14 フィアの気持ち
厨房でクッキーを食べてくれた次の日から、薬草の手入れをするリディアの傍らに、フィアが近づいて来るようになった。
少し離れた場所にちょこんと座り、リディアの手元をじっと見つめている。土の状態を確認して、雑草を抜き、芽吹いた葉に水をやる――その一つ一つの動きを、フィアは飽きることなく目で追っていた。
リディアは、無理に話しかけることはしなかった。こうして傍にいてくれるだけで、十分すぎるほどの前進だった。
時折、目が合うことがあれば、そっと微笑みかけるだけにとどめた。フィアは慌てたように視線を逸らすこともあったが、それでも、逃げ出すことはなくなっていた。
(目が合っても、逃げなくなっただけで、大きな一歩だわ)
そう思いながら、リディアは焦らず、その距離を大切に見守っていた。
変化は、思ったより早く訪れた。
「これは、なに?」
ある日、土に埋めた球根を指差して、フィアがぽつりと尋ねてきたのだ。
初めて、フィアの方から声をかけてきた。
リディアは、込み上げる嬉しさを表に出さないよう、努めて穏やかに答えた。
「これは、お花の種のようなものです。土の中で、ゆっくり根を伸ばして、そのうち芽が出てくるんですよ」
「めが、でるの?」
「ええ。もう少し暖かくなったら、きっと」
フィアは球根の埋まった場所を、じっと見つめた。それから、こくんと小さく頷いた。
それからというもの、少しずつ、フィアとの間に言葉が増えていった。
「これは?」「それは、どうするの?」「あれはなに?」――たどたどしい問いかけに、リディアは一つ一つ、丁寧に答えていく。フィアの瞳には、子どもらしい好奇心が見え隠れしていて、可愛いらしい。
そんな、穏やかな午後のことだった。
その日は、朝から柔らかな陽気に恵まれていた。庭には少しずつ春の気配が忍び寄り、リディアが育てている薬草の若葉も、心なしか色を濃くし始めている。風はまだ冷たさを残していたが、日向にいると、それも心地よく感じられるほどだった。
フィアは、いつものように少し離れた場所に座り、リディアが水をやる様子を眺めていた。じょうろから水が流れ落ちる音が、静かに庭に響いている。
しばらくの間、二人の間に会話はなかった。それでも、以前のようなぎこちない沈黙ではなく、穏やかで、どこか安心できる静けさだった。
ふと、フィアの視線が動いた。
庭の向こう、屋敷の二階――アルヴィスの執務室がある方角だった。リディアが朝開けた窓は、今は閉ざされている。フィアは、その窓をじっと見つめていた。その横顔は、ほんの少しだけ翳りを帯びているように見える。
リディアは、水やりの手を止めた。
何かを言おうか迷ったが、言葉が見つからず、ただ静かにフィアを見守っていた。
どれくらい、そうしていただろうか。
やがて、フィアが小さく、独り言のように呟いた。
「お父さまは……フィアのことが、キライなのかな」
リディアは、息を詰めた。
思い返せば、初めてフィアの姿を見かけたあの日も、彼女の視線は庭からアルヴィスの執務室の方角へ向いていた。その後も、同じように執務室の窓を見つめるフィアの姿を、リディアは何度も目にしていた。
(やっぱり、気にしているのね……)
アルヴィスがフィアを遠ざける理由を聞いたわけではないが、推測は出来る。いつ起こるか分からない魔力暴走に、フィアを巻き込まないためだろう。
しかし、幼いフィアには、遠ざけられていることは分かっても、その理由まではわからないのだろう。
だから「嫌われている」と思い込んでしまっている。
リディアは膝をつき、フィアの目線に合わせた。
「フィア様……」
何と言えばいいのか、すぐには言葉が見つからなかった。嫌ってなどいない、と簡単に言うことはできる。けれど、それだけでは、フィアの不安は消えないだろう。
フィアは、リディアの顔をじっと見上げていた。
「ねえ、お父さま、いなくなっちゃうの?」
その問いに、リディアは息を呑んだ。
病のことを、フィアがどこまで理解しているのかは分からない。けれど幼いなりに、屋敷に漂う空気から、何かを感じ取っているのだろう。誤魔化すことも、安易に「大丈夫」と言うことも、リディアにはできなかった。
しばらくの沈黙の後、リディアは静かに、フィアの手をそっと握った。
「少しでもお父さまが楽になれるように……一緒に、頑張りましょうか」
問いの答えには、なっていない。それでも、今のリディアに言えるのは、それが精一杯だった。
フィアは、リディアを見上げたまま、しばらく黙っていた。
やがて、小さく――けれど、はっきりと。
「うん」
頷いた小さな声に、リディアは、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。




