13 変わっていく屋敷(レイモンド視点)
先代公爵の頃からノルデン家に仕えて、もう長い年月になる。
レイモンドにとってアルヴィス様は、主というだけでなく、生まれた時からその成長を見守ってきた、我が子にも似た存在だった。
アルヴィス様は、元々感情を表に出す方ではなかったが、幼い頃は庭で無邪気に駆け回る姿や、拙い手で剣の稽古に励む姿があった。
先代ご夫妻が事故で急逝され、若くして当主の座に就かれてからは、その姿が一変した。感情を殺し、気を張り詰め、執務に打ち込む日々。それが、いつしか当たり前の姿になっていった。
政略結婚をされた奥方との間にフィア様が生まれた時は、レイモンドは密かに安堵したものだった。これで公爵家にも、穏やかな時間が訪れるはずと。
しかし暗雲は、あまりに突然立ち込めた。
アルヴィス様が、魔力暴走を起こされたのだ。
診断の結果を聞いた時、レイモンドは目の前が真っ暗になった。魔力回路閉塞症――治療法のない、死に至る病。
当のアルヴィス様は、「そうか」とだけ呟き、それ以上は何も語らなかった。いつも通り執務室へ向かい、いつも通り書類に向き合う。あまりにも普段と変わらぬ様子に、レイモンドはかえって胸を締め付けられた。
(もしや、これまでも……)
自分たちが気づかなかっただけで、症状はもっと前から出ていたのかもしれない。ただ、誰にも悟らせないよう、一人で抱え込んでこられただけなのかもしれない。そう思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。
程なくして、奥方とは離縁された。
それと前後して、アルヴィス様はフィア様を避けるようになっていった。理由を、レイモンドは深くは尋ねられなかった。ただ、あの魔力暴走の凄まじさを思えば、幼い我が子を巻き込みたくないという思いがあるのだろうと、察するよりほかなかった。
「フィアには、母親が必要だろう」
そう仰って、アルヴィス様は何人かの令嬢を迎え入れられた。
しかし、どの方も、アルヴィス様の病を知り、実際に魔力暴走を目の当たりにすると、恐れをなして去っていった。
屋敷に長く留まった方は、結局、一人もいなかった。
リディア様を迎えた時も、胸に去来したのは、期待よりも諦めに近い感情だった。
(今度は、どれほど保つだろうか)
そう思ったのは、恐らくレイモンドだけではなかっただろう。使用人たちの間にも、どこか諦めにも似た空気が漂っていたように思う。おそらくアルヴィス様も。
だが――リディア様が屋敷に来られてから、少しずつ、何かが変わり始めた。
毎朝、日が昇るより早く、リディア様はアルヴィス様の執務室の窓を開け、空気を入れ換えた。それが、いつしか屋敷の合図のようになり、メイドたちも、それに倣うように、廊下の窓を次々と開けるようになったのだ。
ある朝、廊下を歩いていたレイモンドは、花瓶に花を生けているメイドの姿に、ふと足を止めた。
「その花は?」と尋ねると、「庭で摘んだものです。廊下が寂しいので、少しでも彩りをと思いまして」と、はにかむように答えが返ってきた。
以前であれば、そのような気の回し方をする者はいなかった。飾り気のなかった廊下に、いつの間にか花が並ぶようになっている――誰が言い出したわけでもない。気づけば、そうなっていた。
部屋にこもりがちだったフィア様も、リディア様の姿を目で追うように、部屋から出てこられることが増えた。庭先で薬草の世話をするリディア様を窺うように、そっと佇む小さな姿を、レイモンドは何度も見かけるようになった。
先日、庭を通りかかった折には、こんな光景も目にした。
薬草の世話をするリディア様の傍らに、フィア様がそっと歩み寄り、小さな花を一輪、置いていかれたのだ。声をかけるでもなく、置いたと思うとすぐに、逃げるように駆けていかれる。
リディア様は気づいていらっしゃらない様子だったが、レイモンドは少し離れた場所から、その一部始終を見ていた。
あの人見知りの激しいフィア様が、ご自分から歩み寄られる――それだけで、レイモンドには十分すぎるほどの変化だった。
使用人たちの顔にも、以前より笑顔が増えたように思う。
厨房からは、以前にはなかった甘い香りが漂ってくるようになり、マーサをはじめ使用人たちの表情も、心なしか和らいでいる。
リディア様ご自身は、恐らく無自覚でいらっしゃるのだろう。ただ、毎日変わらず、誰に対しても丁寧に接するその姿が、気づけば屋敷の空気そのものを、少しずつ変えていた。
静かに、しかし確かに変わっていく屋敷の様子を眺めながら、レイモンドは思わず、微笑みを浮かべた。
「まるで、息を吹き返したようですね」
それは誰に聞かせるでもない、独り言だった。




