11 診察結果(グレイ視点)
ノルデン公爵家の診察室には、長年使い込まれた薬品棚と、古びた診察机が並んでいる。窓から差し込む午後の光が、埃っぽい空気を白く照らしていた。
グレイは、アルヴィスの専属医師としてこの屋敷に常駐して、もう何年になるだろうか。発作を起こした際の緊急対応はもちろんのこと、月に一度の定期診察も、ずっと一人で担ってきた。
アルヴィスが患う魔力回路閉塞症は、いわゆる不治の病だ。
体内を巡る魔力の流れが徐々に滞り、それが暴走を引き起こしながら、少しずつ身体を蝕んでいく。対症療法はあっても、根本的な治療法は存在しない。じわじわと、しかし確実に――死へと向かっていく病だった。
定期診察のたびに、数値は悪化の一途を辿ってきた。
記録用紙に並ぶ数字を見るたび、グレイは医師として、やるせない気持ちを飲み込んできた。できることは、進行を少しでも遅らせること、痛みを少しでも和らげること。それだけだった。
だからこそ、今回の診察結果には、思わず眉をひそめた。
「……悪化していない?」
記録用紙を手に、グレイは何度も数値を見返した。
見間違いではない。むしろ、発作の頻度は、わずかにではあるが減少している。この病を診てきた長年の中で、初めて見る動きだった。
「先生、何を惚けている。診察は終わりだろう」
アルヴィスが素っ気なく言った。
「アルヴィス様、これを見てください。今回、数値がほとんど動いていません。発作の頻度も減っています」
「誤差だろう」
興味なさそうに、アルヴィスは一瞥もくれず答えた。
グレイは、思わず口元を歪めた。
自身の身に起きていることだというのに、この人はどうしてこうも無関心でいられるのか。もう少し、自分の身体を気にかけてもいいだろうに――そんな言葉が喉まで出かかったが、飲み込んだ。言ったところで、聞き入れられないことは分かっている。
「では、失礼する」
アルヴィスはさっさと立ち上がり、そのまま執務室へと戻っていった。
残されたグレイは、記録用紙を片手に、しばらく考え込んだ。
(最近、何か変わったことは……)
思い返してみて、真っ先に浮かんだのは、オリーブグリーンの瞳をした、穏やかな微笑みの少女だった。
アルヴィスの――何人目になるかも、もう覚えていない花嫁。
嫁いで来てから、まだそう日は経っていない。のんびりとした雰囲気に反して、なかなかに行動力のある娘だ、というのがグレイの印象だった。何しろ、ほぼ初対面の医師相手に、アルヴィスの痛みを和らげる薬を自分で調合してみたいと相談してきたのだから。
あの時渡された調合案は、素人が思いつく範疇を超えていた。おそらく、以前にも作ったことがあるのだろう。もっとも、実際に効くかどうかは別問題だと、その場では釘を刺しておいたが。
それに、毎朝アルヴィスの執務室の空気を入れ換えているとも聞いていた。最初は迷惑がられているだろうと思っていたが、続いているということは、少なくとも追い出されてはいないらしい。
(そういえば……薬湯も、作っていたな)
執務室を出たグレイは、廊下でレイモンドを見つけ、声をかけた。
「レイモンド、少し聞きたいことがある」
「はい、何でしょう」
「最近、公爵の様子で何か変わったことはないか」
レイモンドは、少し考えるように間を置いてから、静かに答えた。
「そうですね……。リディア様が、毎日薬湯を作ってくださっています」
「毎日?」
「ええ。夕方になると、必ず執務室にお持ちになってくれています」
グレイは軽く目を見張った。
「公爵は、それを飲んでいるのか」
てっきり、頑なに拒んでいるものと思っていた。あの性格だ、余計な世話を焼かれることを、素直に受け入れるとは思えない。
「はい。毎日、飲んでいらっしゃいますよ」
レイモンドの口調に、微かな笑みが滲んでいるように聞こえた。
(あの方が、毎日……)
グレイは、思わず考え込んだ。
薬湯自体は、以前リディアに請われて中身を確認している。使われている薬草は、どれもごく一般的な鎮静作用のあるものばかりで、特別なものは何一つ入っていなかった。あの時は、何の変哲もない、ただの薬湯だと判断した。
だが――もし、それが本当に発作の減少と関係しているのだとしたら。
(一度、詳しく調べてみる価値はあるかもしれないな)
記録用紙を片手に、グレイは診察室へと戻りながら、そんなことを考えていた。




