10 薬湯
庭に植えた薬草が育つまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
根付いたばかりの苗を眺めながら、リディアは少し考える。
(すぐに使える物で、何かできないかしら)
そうして思いついたのが、ハーブと間引いた薬草の若葉を使った薬湯だった。
相変わらず、アルヴィスは執務室にこもりきりだ。関係を築けているとは言い難い今の段階で、「休んでください」と言ったところで、素直に聞き入れてもらえるとは思えない。
(だから、せめて)
少しでも身体が休まる時間があれば――そう思った。
早速、リディアは厨房の隅を借りて、薬湯作りに取りかかった。
間引いたばかりの若葉は、まだ青々として瑞々しい。指先で軽く揉むと、つんと鼻に抜けるような、青くさい香りが立った。分量を間違えれば刺激が強すぎるので、ここは慎重に調整しなければならない。
乾燥させたハーブと合わせ、細かく刻んでいく。まな板の上で葉が刻まれるたびに、爽やかな香りが厨房いっぱいに広がっていった。
鍋に水を張り、刻んだ葉を入れて弱火にかける。
小さな鍋の中で、葉の色がゆっくりと湯に溶け出していく。淡い黄緑色に色づいていく様子を眺めているだけで、なぜか心が凪いでいくのが分かった。
出来上がった薬湯を、スプーンに少しすくって味見をしてみる。
ほのかな苦みの奥に、ふわりとした甘さが残る、優しい味わいだ。
もちろん、独断で進めるつもりはないので、調合した薬湯はグレイのもとへ持っていき、成分と分量を確認してもらった。
「……まあ、この程度なら害はないでしょう」
グレイは湯呑みに鼻を近づけ、香りを確かめてから頷いた。その言葉に、リディアはほっと胸を撫で下ろした。
夕方、湯気の立つ湯呑みを盆に載せて、リディアは執務室へ向かった。
廊下を歩きながら、こぼさないよう慎重に盆を支える。窓の外は、茜色から藍色へと移り変わっていく途中だった。屋敷の中は静かで、リディア自身の足音だけが、やけに大きく響くように感じられる。
換気のために毎朝訪れることには、もう何も言われなくなっている。それでも、今回は勝手が違う。飲み物を勧めるとなれば、また拒まれるかもしれない。
(湯呑みを置いて、すぐに出よう。長居はしない方がいいわ)
そう決めても、執務室に近づくにつれ、少しずつ鼓動が速くなっていくのが分かった。長い廊下の先に見える扉が、いつもより遠く感じられる。
扉の前に立つと、湯呑みからまだ細く湯気が上っていた。冷めないうちに、と思いながら、リディアは小さく息を吸ってから、ノックをした。
「失礼致します」
中に入ると、アルヴィスは書類から顔も上げずに、ペンを走らせていた。窓の外はすでに薄暗く、机の上の灯りだけが、彼の横顔を淡く照らしている。
「薬湯を作ってきました。よろしければ」
声をかけると、ペンの動きがぴたりと止まった。
顔を上げたアルヴィスの目に、久しぶりに強い拒絶の色が浮かぶ。
「……かまうな」
低く、突き放すような声だった。
一瞬、怯みそうになる。けれどリディアは、その言葉に気づかないふりをして、努めて軽い調子で続けた。
「身体が温まりますので、冷めないうちにどうぞ」
言うが早いか、机の端にそっと湯呑みを置き、一礼して足早に部屋を出た。
パタンと扉を閉めた後、リディアは詰めていた息をそっと吐いた。
(飲んでくださるかしら……)
気にはなったが、確かめに戻る勇気はなかった。それに、あまりしつこくしては、かえって逆効果かもしれない。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、その夜は過ぎていった。
翌朝、リディアは廊下でレイモンドを見つけると、周囲を窺いながら、こっそりと尋ねた。
「あの……アルヴィス様は、昨日の薬湯を飲んでくださいましたか?」
レイモンドは、珍しく口元を緩めた。笑いを堪えているような、そんな表情だった。
「ええ。『ちょうど喉が渇いていたから、仕方がない』と仰りながら、飲んでいらっしゃいましたよ」
その言い回しに、リディアは思わず頬が緩む。
「良かった……」
安堵の息を吐くリディアに、レイモンドは言葉を続けた。
「昨夜は、普段と比べてうなされているご様子が少なかったように思います。薬湯のお陰かもしれませんね」
「そうだと、嬉しいです」
薬湯の効果なのかは分からない。たまたま、体調の波がそうだっただけかもしれない。それでも、少しでも楽な夜を過ごせたのなら――理由はどうであれ、それだけで十分だった。
その日以降、リディアが薬湯を持っていっても、アルヴィスは「かまうな」とは言わなくなった。
何も言わず、ただ黙って、机の端に置かれた湯呑みへ目をやるだけだった。




