8:失敗
攻撃魔術というものは、実際に習ってみると思っていた以上に地味だった。
石を飛ばす。熱を移す。風圧で相手の体勢を崩す。
もちろん、どれも使い方次第では十分に危険なのだろう。マリー師匠が言うには、攻撃魔術で重要なのは「どれだけ派手な現象を起こせるか」ではなく、「狙った場所に、必要なだけの作用を確実に与えられるか」なのだという。
それは分かる。
分かるのだが。
「……もうちょっと、こう、強いやつ撃ってみたいよな」
俺は屋敷の裏手にある浜辺で、誰もいない海を眺めながら呟いた。
仕方のないことである。
せっかく魔法のある世界にいるのだ。巨大な火球だとか光線だとか、そういう派手なものに一度くらい憧れるのは、男として当然ではないだろうか。
ロマンってやつだ。デカくて強いものは、かっこいい!!
少なくとも俺はそう思う。
だが、マリー師匠に言えば、間違いなく止められるだろう。
『まず基礎です』
『出力を上げる前に制御を覚えてください』
『レイさんは前科がありますから』
この三つのどれかが返ってくるに決まっていた。
特に最後が痛い。
窓を溶かした件以来、俺が少しでも危なそうなことをやろうとすると、師匠はすぐあの話を持ち出してくる。
もう随分前の話だぞ。
……いや、幼児になって時間の感覚が狂っていたが、二年前はそこまで前でもないか。
「まあ、海に向かって撃つだけなら大丈夫だろ」
誰にともなく言い訳する。
ここを選んだのにも理由はあった。
屋敷の裏手にある小さな砂浜。正面は海。周囲に人はいない。多少狙いを外しても、屋敷を壊す心配はない。
完璧だ。これ以上の場所は、他のどこを探してもないだろう。
少なくとも、その時の俺は本気でそう思っていた。
今日試すのは、熱を利用した操作系魔術。といっても、熱エネルギーそのものを掴んで飛ばすわけではない。
熱を運ぶには、それを保持するための物質が必要になる。
熱の媒体。
今回選んだのは、水である。
海水を少量だけ引き上げ、細かな水滴へ分け、そこへ熱を移していく。状態が変われば、そのまま水蒸気として保持する。
海が目の前にある以上、材料には困らない。
まず、周囲の熱を探る。
空気、砂、岩、海面近くの水。
一ヶ所だけから大量に奪えば周囲への影響が大きい。だから広い範囲から少しずつ取る。
今まで懇切丁寧に習った通りに行う。
「……意外と取れるな」
足元を見る。
砂の表面が白くなり始めていた。
霜だ。
波打ち際にも、ごく薄い氷が浮かんでいる。寄せた波の端が、ぱき、と小さな音を立てた。
広い範囲から少しずつ取っているつもりでも、それを一ヶ所へ集めれば相当な量になるらしい。
俺は集めた熱を、媒体へ移していく。
掌の前。魔力で保持した水蒸気。
目にはほとんど見えないが、魔力を通してなら分かる。
まだいける。
もう少し。
「……このくらいなら」
熱を追加する。
砂に降りた霜が少し広がった。
海岸近くの薄氷も、先ほどより増えている。
それでも魔術の制御自体には問題がない。
媒体は保持できている。
方向も決められる。
射出もできる。
なら大丈夫。
俺はそう判断した。
水蒸気が加熱され、オレンジ色の淡い光を放ち出したのを見計らい、海面より少し上を狙って水蒸気の塊を細くまとめる。
途中で拡散しないよう制御し、前方へ加速させる。
「行け!」
魔術を解放した。
制御はそのまま、万が一爆発しても安全になるくらいに遠くに飛ぶまで制御を続ける。
成功した。
水蒸気は狙った方向へ飛び、途中で散ることもなく、予定していた海上へ到達する。
魔術そのものは、ほとんど完璧だった。
異変が起きたのは、その直後である。
海の上で、白い光が瞬いた。
「……え?」
何だ、今の。
そう思った直後、腹の奥まで響くような音が来た。
ドォォォン……
瞬間、視界の先で海面が持ち上がる。
高温になった触媒が海水へ触れ、その周囲で急激な膨張が起きた。そこまでは、少し考えれば分かった
問題は、それだけでは終わらなかったことだ。
俺は触媒へ熱を詰め込みすぎた。
想定外の事象である。
俺が想像していた「ものすごく熱い水蒸気」という単純な状態を越え、内部では別の変化まで始まっていたらしい。
ここからは、あとから知ったことだが、
水蒸気は多くの熱を含み、水素と酸素に熱分解。
温度にして三千度。そのとてつもなく不安定なガスは、俺の手のひらの前で渦を巻いていた。
魔術で保持している間は、それでも一つの塊として扱えていた。
だが、海面へ到達し、俺の制御から外れた瞬間。
急膨張。
周囲の空気との混合。
海水と高温のガスが接触したことによる、水蒸気爆発。
高温状態で生じていた成分の再反応。
いくつもの現象が、ほとんど同時に起きた。
そしてもう一度、海が光った。
次の瞬間、最初より大きな轟音が響く。
「――は?」
海が爆ぜた。
本当に、そう見えた。
衝撃で海水が大きく持ち上がり、周囲から白い水煙が吹き上がる。
風が頬を叩いた。
遅れて、大量の海水が押し寄せてくる。
「ちょっ――」
何だこれ!!
俺がやりたかったのは、水蒸気へ熱を持たせて海へ飛ばすだけだ。
実際、それは成功した。
ちゃんと飛んだ。
ちゃんと狙った場所へ届いた。
じゃあ、なんで海が爆発してるんだ!?
考えている場合ではない。
逃げようと後ろへ向いた時には、もう遅かった。
持ち上がった海水が、大きな波となって浜辺へ迫っている。
「やばっ——」
大人なら、もしかすると踏ん張れたかもしれない。
でも今の俺は六歳だ。
まともに受ければ、簡単に海へ攫われる。
「——『城塞』」
低い声が聞こえた。
次の瞬間、俺の目の前に半透明の壁が立ち上がる。
大量の海水が壁にぶつかり、凄まじい音が浜辺へ響き、大量の海水が左右へ弾け飛ぶ。
俺はその場に尻餅をついたまま、何も言えなかった。
壁を境に水が左右へ流れていく。
やがて波が引き、白い水煙も少しずつ薄れていった。
「……レイ」
聞き覚えのある声。
非常に聞き覚えがある。
そして今だけは、あまり聞きたくなかった声。
恐る恐る振り返ると、そこには父さんがいた。
リード・フォン・アスター。
アスター家当主にして、第一級魔術師。
そして今は、ものすごく怖い顔をした父親。
「……父さん」
「何をしていた?」
「魔術の練習」
「それは見れば分かる」
「……攻撃魔術」
「それも分かる」
「海に向かって」
「見れば分かる」
逃げ道がない。
父さんは俺の前まで来ると、しゃがみ込んだ。
怒鳴られると思って、少し身構える。
しかし。
「怪我は?」
「……ない」
「どこか痛むか?」
「ない」
「本当に?」
「うん」
腕、顔、頭。
ひと通り確認し、怪我がないと分かると、父さんはようやく大きく息を吐いた。
「……よかった」
怒っているというより、本気で安心した声だった。
少しだけ胸が痛んだ。
「ごめんなさい」
「……ああ」
父さんは立ち上がり、海を見る。
遠くにはまだ白い水煙が残り、こちらの波打ち際には熱を奪った名残の薄氷が浮いている。
「何をしようとした?」
「水に熱を集めて、水蒸気にして、それを海へ飛ばした」
「触媒に水を使ったのか」
「うん」
「熱はどこから?」
「周りから少しずつ」
「どの程度集めた?」
「……いっぱい」
父さんがこちらを見る。
「いっぱい?」
「途中から分かんなくなった」
父さんは額を押さえた。
「あ」
これ、マリー師匠もよくやる。
「射出は?」
「成功した」
「ああ。見ていた」
「途中でも崩れてない」
「それも分かる」
そう。
そこなのだ。
狙った場所へ飛んだ。
触媒も維持した。
途中で制御を失ったわけでもない。
父さんは足元に落ちていた小石を一つ拾った。
「なら、何が失敗だったと思う?」
「……撃った後?」
俺が答えると、父さんはゆっくり頷いた。
「そうだ」
小石が浮かび上がる。
「攻撃魔術というのは、当てるためだけに組むものではない」
石が海へ飛ぶ。
それは途中で速度を失い、砂へ落ちた。
「外れた時にどうなるか」
もう一つ。
今度は空中で止まり、父さんの手へ戻ってくる。
「途中で術式の一部が破綻した時にどうなるか。想定より威力が上がった時にどうするか。目標が動いた時、味方が射線へ入った時、どこへ逃がすか」
次々と小石が浮く。
十個。
二十個。
それらは別々の軌道を描き、止まり、曲がり、父さんの手元へ戻る。
一瞬、簡単なことのように見える。
でも違う。
一つ一つに、ちゃんと終わり方まで用意されている。
「そして、一番忘れてはいけない」
父さんは海を指した。
「あれだ」
まだ水煙が残っている。
「魔術が完全に成功した結果、何が起こるか」
何も言えなかった。
「術式さえ正しく動けば安全だと思ったか?」
「……思った」
「今日のお前の魔術は、恐らく術式としてはかなり綺麗に成功している。熱を集め、触媒へ保持し、狙った場所へ飛ばした。そこまでは成功だ」
責めるような口調ではなかった。
だからこそ痛い。
「だが、その先を考えなかった」
「……はい」
「魔術師が事故を起こす時、失敗だけが原因とは限らない。むしろ、成功した結果まで考えていなかった時の方が厄介だ」
浮かんでいた小石が、全て砂へ落ちた。
「お前は今日、そこを忘れた」
完全にその通りだった。
高温の触媒が海水へ触れたら何が起こるか。
熱を詰め込み続けた水蒸気が、どこまで普通の水蒸気として扱えるのか。
俺の制御が終わったあと、その状態がどう変化するのか。
知識として知っていることはあった。
でも。
魔術を使う時、俺はそれを最後まで繋ぐことができなかった。
「マリー先生には?」
「言ってない」
「言えば止められると思ったか?」
「……うん」
「なぜ止められると思った?」
「危ないから」
「分かっていたんじゃないか」
ぐうの音も出ない。
「ごめんなさい」
「私に謝ることではない」
父さんは俺の頭へ手を置いた。
「お前が無事なら、それでいい。だが次からは、試したいものがあるなら私かマリー先生に見せろ」
「止めない?」
「内容による」
「じゃあ駄目じゃん」
「危険なら止めるに決まっているだろう」
「……はい」
「ただし、何でも禁止するつもりもない」
父さんは再び海へ目を向けた。
「今日の術式も、発想そのものが悪いわけではない。触媒へ熱を集め、保持し、射出する。攻撃魔術としての組み方は筋が通っている」
「そうなの?」
「ああ」
少し嬉しい。
「問題は、お前が起こした現象を最後まで追わなかったことだ」
嬉しくなくなった。
「魔術は、発動段階が終わったところで都合よく止まってくれるような便利なものではない」
父さんは、薄氷の残った海辺を見る。
「魔術が終わったあとも、起こした現象は続いていく。そこまで考えて、初めて一つの魔術だ」
俺も海を見る。
たぶん今日一番、頭に残った言葉だった。
「それにしても」
父さんが霜の残った砂浜を見回す。
「これだけの範囲から熱を集めたのか」
「すごい?」
「褒めてはいない」
「でも、ちょっと褒めてる」
「……少しだけな」
父さんが笑う。
俺も少し笑った。
「ただし」
瞬間、リードの顔から笑顔が消える。
「今日のことはリシアにもマリー先生にも話す」
「え」
まさか。俺は嫌な予感がして、固まる。
え、味方になってくれるんじゃ?
耳を疑った俺は、もう一度、父に聞き返す。
「マリー師匠にも?」
「ああ」
「母さんにも?」
「ああ……」
「父さん」
「何だ?」
「レイは、まだ子供」
「知っている」
「子供には慈悲が必要だと思う」
「この惨状を起こしておいて、それを言うのか?」
父さんが呆れたように笑う。
駄目らしい。
これはまずい。
母さんは怒る。
マリー師匠も怒る。
いや。師匠の場合、最初に黙る。
そのあと、深いため息を吐いて。
『レイさん』
と妙に静かな声で名前を呼ぶ。
あれが一番怖のだ。
「……父さん」
「何だ?」
「二人には、ちょっとだけ優しく言って」
「善処しよう」
「絶対しないやつだ!!」
「よく知っているな。さすが俺の娘だ」
父さんは笑いながら俺の手を取った。
「帰るぞ」
「うん」
屋敷へ向かう階段を上る途中、俺は一度だけ振り返った。
すでに白煙は消えて、そこには何事もなかったように海が広がっている。
今回は父さんがいた。
だから何も起きなかった。
でももし、いなかったら?
波に攫われていたかもしれない。
もっと酷いことになったかもしれない。
「父さん」
「ん?」
「さっきの魔術、どうしたら安全に使える?」
父さんは少しだけ目を見開き、それから笑った。
「夕食のあと、一緒に考えよう」
「教えてくれる?」
「答えを教えるつもりはない。お前が何を見落としたのか、自分で考えろ。私は横で間違いを止める」
「……面倒」
「魔術師になるというのは、そういうことだ」
それなら仕方ない。
「母さんに怒られた後?」
「その後だ」
「……生きてたら?」
「大丈夫だ。私も一緒に怒られる」
「なんで父さんも?」
「お前が四歳で窓を溶かした時に喜んだからだ」
「まだ言われてるの?」
「まだ言われている」
どうやら父さんにも前科があるらしい。
それが分かって、少しだけ心強くなった。
その日の夕食の前。俺は母さんとマリー師匠の前に正座していた。
父さんも隣に正座している。
「どうしてあなたまで座っているの?」
母さんが聞く。
「最初から見ていながら止めなかった俺も連帯責任かと」
「あなたは後です」
「はい」
父さんの顔から笑みが消えた。
あれ? 昼間は途中から見てた。って言ってなかったか?
思わず俺は隣を見る。
父さんも俺を見ていて、目が合った。
何だか、とても罰が悪そうである。
それから俺たちは、二人並んで仲良く説教を受けるのだった。
やっと夕食にありつけたのは、その1時間後の話である。




