7:精霊魔術
町へ出た日から、俺の魔術訓練には少しだけ変化があった。相変わらずマリー師匠は、水を動かせだの石を浮かせろだの、地味な課題を山ほど押しつけてくる。
しかし、それとは別に、ようやく俺が以前から望んでいた訓練が始まった。
攻撃魔術である。
「最初に言っておきますが、派手なものは教えません。まずは制御からです」
「なんで」
「あなたがまだ幼いからです」
「魔術師なのに?」
「まだ半人前です」
「窓溶かせるよ?」
「だからです」
何を言っても駄目だった。
場所は屋敷の裏手にある訓練場。普段は兄さんたちが剣や魔術の鍛錬に使っている場所で、今日は俺とマリー師匠だけではなく、珍しく家族まで集まっていた。母さん――リシアは心配そうな顔でこちらを見ており、その隣では父さんが妙に楽しそうにしている。
「レイ、本当に攻撃魔術なんて習うの? まだ早くないかしら」
「習う」
「俺はもう扱わせてもいいと思うが」
「あなたは黙っていてください」
横から口を挟んだ父さんが即座に怒られた。第一級魔術師にしてアスター家当主、リード・フォン・アスター。世間的には相当偉い人間らしいが、母さんの前ではあまり威厳がない。
「いや、しかしだな。レイはすでに熱を扱う魔術も――」
「その結果、窓が一枚なくなったでしょう?」
「……はい」
父さんが黙った。強い。
「まあまあ、母さん。マリー先生もいるんだし、危険なことはさせないだろ」
苦笑しながら仲裁したのはルーク兄だった。
「当然です。今日教えるのは、攻撃魔術そのものというより、射程と威力、それから停止条件の基礎です」
「攻撃の仕方より、止め方を先に教えるのね」
リリ姉が言うと、マリー師匠は頷いた。
「はい。そちらの方が重要です」
「いい先生じゃない」
褒められたマリー師匠がわずかに目を逸らす。その横ではロイス兄が、どういうわけか俺以上に楽しそうな顔をしていた。
「レイ、火球やろうぜ、火球」
「ロイス様」
「はい」
一言で黙った。マリー師匠、強くなったな。
そんなわけで始まった攻撃魔術の訓練だったが、最初に教えられたのは巨大な火球でも雷でもなく、小石を飛ばす魔術だった。
「まず見ていてください」
マリー師匠の掌に乗せられた小石が、ふわりと浮かび上がる。
「操作系魔術で対象を保持し、方向を定めます。最後に必要な速度だけを与える」
次の瞬間、ぱん、と乾いた音がして、小石が数十歩先の藁人形へ突き刺さった。
「おお」
地味だが、普通に危ない。
「攻撃魔術とは、炎や雷を生み出すことではありません。相手へ作用する現象を、必要な形で発生させることです。石一つでも十分な攻撃になります」
「夢がない」
「実用性があります」
相変わらずである。
しかし実際にやってみると、思った以上に面白かった。石を持ち上げ、進行方向を決め、速度を与える。それだけなら簡単だ。問題は速くしすぎないことだった。
「レイさん、もっと弱く」
「これくらい?」
「弱く」
「これ?」
「もう少し」
「……これ?」
「はい」
飛ばした小石は、ぽす、と頼りない音を立てて藁へぶつかり、そのまま地面へ落ちた。
「弱くない?」
「今はそれでいいんです」
「全然倒せないよ」
「何と戦うつもりなんですか」
四年後、この家を襲う何者か。とは、さすがに言わなかった。
ゲームの歴史では、この家は統一歴四五四年に没落している。それが何を意味するのか、俺自身まだほとんど分かっていない。けれど、何もできないままその日を迎えるつもりはなかった。そのために始めた魔術だ。
「もう一回」
「あと十回で休憩です」
「分かった」
「本当に?」
「多分」
「そこは『はい』でしょう」
そのやり取りを聞いていたロイス兄が、待ってましたとばかりに割り込んできた。
「だったら次、俺が相手してやろうか?」
「駄目です」
「まだ何もしてねえだろ」
「レイさんに対人戦をさせる予定はありません」
「俺なら避けるぞ?」
「そういう問題ではありません」
「ロイス」
今度はリリ姉だった。名前を呼ばれただけで、ロイス兄は渋々引き下がる。この家、女が強い。ぜひ見習いたいものだ。
と、ひと通り訓練が終わると、今度は父さんが待っていたように俺のところへやってきた。その後ろにはリリ姉もいる。
「レイ。今日はもう一つ教えよう」
「精霊魔術?」
「よく分かったな」
「リリ姉もいるから」
この世界で俺が初めて魔法らしいものを見た日。リリ姉が見せてくれた、暗く、冷たい炎――『虚光灯籠』。当時の俺は詠唱を丸暗記して何度も真似したが、何一つ起こらなかった。
「レイにはすでに、アスターの契約が継承されている」
「ウィルの?」
「ああ。始祖ウィル・フォン・アスターが大精霊と結んだ契約だ。少なくとも、お前にはその契約を通じて精霊へ働きかける権利がある」
「でも、唱えてもなにも起こんなかったよ?」
「権利があることと、使い方を知っていることは別だからだ」
父さんはそう言って、軽く俺の額を指で弾いた。
「詠唱は鍵の形をしているだけだ。どの扉へ差し込むのかも分からず振り回していたら、何も開かん」
「へぇ」
かなり分かりやすい。
「精霊魔術では、まず精霊の存在を感じる必要があるわ」
リリ姉が俺の前へしゃがむ。
「目を閉じて。普段みたいに魔力で探ろうとしないでね」
「探さない?」
「そう。自分から掴みに行かない。向こうから触れてくるのを待つの」
んな、アバウトな……
と、俺は心の中で悪態をつくも、渋々言われた通りに目を閉じる。魔力を広げない。操作もしない。ただ待つ。
風が吹いている。草が擦れる。遠くで鳥が鳴く。父さんたちが近くにいることも何となく分かる。
そして、それとは別に。
何かがいた。
「……いる」
自然に声が出た。
「どこ?」
「分かんない」
「それでいいわ」
見えるわけではない。声が聞こえるわけでもない。ただ、自分以外の何かがこちらを見返しているような、不思議な感覚があった。怖くはない。むしろ妙に安心する。
まるで親に見守られているような気分だ。
「なら、今度は契約を通して呼びかける」
父さんの声に頷き、ゆっくり息を吸う。
「我、星の花の名を冠する者――」
以前は意味も分からず真似していただけだった。だが今なら少し分かる。星の花。アスター。それは、自分が何者なのかを示す言葉なのだ。
「かの英雄ウィル・フォン・アスターの名を借り、その契りを以って——」
何かが近づく。魔力とは違う。だが確かに、俺の呼びかけへ反応している。
「世界の理の一端を、今ここに顕現せしめん——」
そこで止まった。
「……最後なんだっけ」
一瞬の静寂のあと、父さんが吹き出した。
「そこまでやって術名を忘れたのか?」
「ホロウなんとか」
「『虚光灯籠』よ」
リリ姉が笑う。
「そうだった」
もう一度、最初から唱える。今度は最後まで。
「――『虚光灯籠』」
指先に、黒い光が灯った。
「お」
炎のように揺らめいている。しかし熱くはない。むしろ周囲の空気が薄く冷えていく。あの日、リリ姉が見せたものと同じだ。
「できた!!」
俺は思わず叫んだ。
ついに俺は、ただの厨二病患者から立派な精霊魔術師に成ったのだ。
「できたわね」
リリ姉が嬉しそうに笑った。俺も思わず笑う。昔は言葉だけ真似して何も起きなかった。それが今は、自分の指先にある。
「これ、俺が作ってるの?」
「半分正解で、半分違うわね」
「半分?」
どういうことだ? と、リリに問うと彼女は優しく答えてくれた。
「精霊魔術は、術者だけで全部を組み上げるものじゃないの。こちらが意思と条件を示して、その一部を精霊へ委ねる」
「発生系とは別?」
「分類の軸が違う、と考えた方がいいでしょう」
答えたのはマリー師匠だった。いつの間にか記録帳を開いている。
「通常の操作系・発生系という分類は、術者がどのように現象へ介入するかという分け方です。精霊魔術は、そこへ精霊という別の担い手が加わる。単純に同列へ置けるものではありません」
「じゃあ、これ研究したら面白そう」などと溢すと、
「まず普通に扱えるようになってください」
「はい」
即座に釘を刺された。
どうやら俺は、相当警戒されているらしい…
「しかし、六歳でここまで契約を意識できるとは。やはりレイは——」
「あなた」
父さんが言い切る前に母さんの声が飛ぶ。
「……何も言っていないぞ?」
「私が止めてなかったら、言っていたでしょう?」
父さんは黙った。何となくだが、言おうとしたのか分かった。
母さんは俺のところまで来ると、頭に手を置いた。
「レイ。強くなるのは悪いことじゃないわ。でも、怪我をしないことの方が大切よ」
「分かった」
「本当に?」
「多分」
「レイ」
「はい」
今日二回目だ。
後ろからロイス兄が声を上げる。
「じゃあ次は俺と模擬戦――」
「駄目です」
母さん、マリー師匠、リリ姉。三人同時だった。
「なんでだよ!」
「六歳相手に何するつもりだ」
ルーク兄が呆れたようにロイス兄の頭を軽く叩く。父さんとマリー師匠は少し離れたところで、今後の訓練について話し始めていた。
「攻撃術式は、しばらく今日の範囲でお願いします」
「分かっている。私も急がせるつもりはない」
「精霊魔術もです。本人が面白がったからといって詰め込まないでください」
「……君は私を何だと思っている?」
「四歳児が窓を溶かした時に『さすがアスター家の子だ』と喜んだ父親です」
「ぐっ」
師匠も強い。
俺は指先で揺れていた虚光灯籠を見つめた。自分で一から組み立てる発生魔術。すでに存在するものへ働きかける操作魔術。そして、精霊へ現象の一部を預ける精霊魔術。同じ魔術と呼ばれていても、やっていることはまるで違う。
考えれば考えるほど、できることは増えていく。同時に、分からないことも増えていった。
「レイ」
リリ姉に呼ばれて顔を上げる。
「そろそろ消してみて」
「あ、うん」
呼びかけを止めると、指先の暗い炎は音もなく消えた。形質模倣で作った虚構物質とも、自分で作った妙に消えない物質とも違う。これは最初から、俺一人の魔術ではないのだ。
「……精霊って、結局なんなんだろうな」
「さあ?」
リリ姉は笑った。
「それを知るのも、魔術師の仕事なんじゃない?」
なるほど。
調べたいことが、また一つ増えた。




