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5:マリーの研究(下)

 レイの発生魔術について本格的に調べ始めてから、十日ほどが経った。


 その間、マリーはレイに同じような実験を何度も行わせていた。

 水、石、鉄、塩。それから簡単な構造の木片。

 もちろん、六歳の子供に無理をさせるつもりはない。生成させる量は多くても数グラム程度で、一日に行う回数も厳しく制限していた。

 もっとも、その程度の量であれば、レイ本人は疲れた様子すら見せなかったのだが。


 結果として、いくつか分かったことがある。


 まず、レイは発生魔術で生成した物質は術式終了後も消えない。


 水は水のまま。

 鉄は鉄のまま。

 塩は塩のまま。


 術者との魔力的な接続を切って一週間放置しても、その性質には何一つ変化が見られなかった。


 それだけなら、まだ特殊な術式によって実体化している可能性も考えられる。

 問題は、レイ自身にそんな術式を使っている自覚が全くないということだった。


「もう一度聞きますけど、本当に何もしていないんですよね?」


「してない。作って、終わり」


「こっそり維持を続けたりは?」


「してない」


「精霊に維持代行とか」


「なにそれ」


「空間魔術で転送とか」


「空間魔術って? 教えて!」


「……ですよね」


 分かっていた答えを聞き、マリーは小さく息を吐いた。


 そもそも、まだ教えていないのだ。

 知らなくて当然である。


 それでも確認せずにはいられなかった。


 「空間魔術って!?」と、しつこく聞いてくるレイを横目に、机の上に置いた二つの硝子皿へ視線を向けた。


 一方には、マリー自身が発生魔術によって作り出した小さな鉄片。

 もう一方には、レイが作り出した鉄片が乗っている。


 見た目だけならほとんど変わらない。


「では、今から私の方の制御を切ります」


「……うん」


 マリーが魔力の供給を止めると、彼女の作った鉄片は輪郭を僅かに崩し、そのまま淡い光となって空気中へ霧散した。

 あとには何も残らない。

 発生魔術としては、これが正常である。


「次、レイさん」


「もう切ってる」


「……そうでしたね」


 レイの皿には、鉄片が当然のように残っていた。


 十秒待つ。

 一分待つ。


 だがやはり、何も起こらない。


 マリーは鉄片を指でつまみ、軽く机へ落とした。

 硬質な音が鳴った。


「のこるね」


「そうですね……」


「師匠のだけ消えた」


「普通は消えるんですよ」


「レイのが変?」


「少なくとも、教本通りではありませんね」


 レイは「ふーん」と興味があるのかないのか分からない返事をして、椅子の上で足を揺らしている。


 本人に自覚がないのも無理はない。

 これまでレイにとっては、自分の魔術こそが普通だったのだから。

 むしろ、目の前で消えたマリーの鉄片の方を不思議そうに眺めている。


「師匠の鉄、鉄じゃない?」


「虚構物質ですから、魔術として存在している間は鉄としての性質を持っています」


「だから消える?」


「……そう言われると困りますね」


 魔術学では、発生魔術によって作られた鉄は『鉄の性質を持つ虚構物質』とされる。

 術者の魔力によって一時的に世界へ存在している物質であり、それ自体が自然界に存在する鉄と全く同じものである必要はない。


 硬ければいい。

 重ければいい。

 刃物に使うなら切れればいい。


 魔術師が必要としている性質さえ備えていれば、それで魔術としては完成なのである。

 だからこそ効率がいい。

 世界に存在する鉄そのものを、一から再現する必要などないのだから。


 ところがレイは違う。


「レイさん。鉄を作る時、何を考えています?」


「もう言った」


「もう一度です」


「……鉄の小さい粒を並べる」


「その『小さい粒』は?」


「ゲンシ」と、レイは聞きなれない発音でそう言った。


「げんし」


「うん」


 レイの説明は時折、意味が分からない。

 まあ、まだレイは子供だ。 少し歪んだ世界観を持っていても不思議ではなかろう。。

 

 最近になってマリーは、その内容そのものよりも別の部分が気になっていた。


 レイは発生魔術を使う際、必ず『その物質がどう出来ているのか』を考えている。

 普通の魔術師が考えるのは、完成した物質の性質だ。

 レイが考えているのは、その性質が成立するまでの過程である。


「……もしかして」


 マリーは思わず呟いた。


「なに?」


「いえ。まだ何でもありません」


 仮説を立てるには早すぎる。そう思っていた。

 だから、その日の最後に行った実験も、確認のつもりだった。


「次は、これを作ってください」


 マリーが机の上に置いたのは、一枚の葉。庭で摘んできた、ごく普通の草木の葉である。


「葉っぱ?」


「はい。なるべく同じものを」


「これ、難しいよ」


「そうでしょうね」


 これまで生成させてきた水や塩、鉄などとは違い、生物由来の物質は構造が遥かに複雑だ。

 発生魔術の訓練でも、初心者に植物を模倣させることはほとんどない。


 今回は成功させる必要はない。


 失敗した場合、何が起こるのか。それが見たかった。


 レイは葉を持ち上げ、表と裏を交互に眺めた。


「緑なのは分かる」


「はい」


「水もいっぱいある」


「ええ」


「でも、作り方が分からない」


 しばらくして、レイは困ったように眉を寄せた。


「何がどう並んでるのか、全然分からない。『サイボウ』の中になにがあるのか。どんな働きがあるのか、よく知らない」


「……それでも構いません。分かる範囲で作ってみてください」


「変なの出来るかも……」


「危険だと思ったら私が止めます」


 レイは少し迷ったあと、手を机の上へかざした。

 魔力が集まる。

 すると、同時に測定器の針が動き始めた。


 水を作った時よりも明らかに速い。


「レイさん、無理そうなら止めてくださいね」


「うん」


 レイが眉間に皺を寄せながら、難しそうな顔をしていると、やがて、掌の下に小さな何かが現れ始めた。


 最初は緑色だった。

 薄く、細長く、確かに葉の形をしているように見えた。


 ——だが、それは完成しなかった。


 瞬間、表面に細かな亀裂が走る。


「あ」


 レイが声を漏らした直後、葉のようだった物体が音もなく崩れた。

 机の上に残ったのは、細かな砂のような粒だった。


「……」


 マリーはすぐに立ち上がった。


「触らないでください」


「触っちゃ駄目?」


「念のためです」


 魔術で粒を動かし、硝子皿の上へ集める。

 灰色がかった半透明の砂。

 見た目は砂糖の粒にも似ているが、光を当てると僅かに淡い輝きを返す。


 何より。


「……消えない」


 レイが言った。

 その通りだった。


 制御はすでに切れている。

 それなのに、正体不明の粉は残っている。


 水や鉄のように完成した物質として残るわけでもない。

 かといって通常の虚構物質のように魔力へ還元されるわけでもない。


 ただ、崩れた。


「師匠、これ何?」


「分かりません」


 本当に分からなかった。


 マリーは皿を持ち上げ、目の高さまで運ぶ。

 粒の一つ一つから、ごく僅かな魔力を感じる。

 しかしそれは、魔術として制御されている時の魔力とは違い、固まっていた。


 流れもせず。

 消えもせず。

 物質とも言い切れない状態で、そこに留まっている。


「魔力が……結晶化してる?」


 そんな現象は聞いたことがない。


 魔力結晶と呼ばれる天然鉱物は存在する。

 だが、それは長い年月をかけて高濃度の魔力が鉱物中へ蓄積した結果生まれるもので、発生魔術の失敗で突然出来上がるようなものではない。


 少なくとも、マリーの知る限りでは……だが。


「失敗?」


 レイがおそるおそる尋ねてきた。


「……はい。生成には失敗しています」


「やっぱり」


「ですが……」


 マリーは皿の上の砂を見つめた。


「失敗の仕方が、おかしいですね」


「?」


 通常、発生魔術で術者の想像が不足すれば、生成物は不完全な形で現れる。

 そして制御を切れば、他の虚構物質と同じように魔力へ還元される。


 だが、レイの場合は違った。


 複雑なものを無理に作ろうとすると、消えない物質が残り、物質として成立せず、それでも魔力には戻らない。

 そして代わりに崩れて、得体の知れない小さな結晶となる。


「……」


 マリーはしばらく考えたあと、記録帳を開いた。


『生成対象――植物葉

 生成途中に構造崩壊

 生成物、魔力へ還元せず、粒状の結晶として残存』


 そこまで書いて、筆が止まる。


 そして数行空けて、ゆっくりと書き足した。


『仮説――レイ・フォン・アスターは、通常の虚構物質を生成できない可能性がある』


 自分で書いておきながら、随分と突飛な文章だと思った。

 普通なら、虚構物質を作れない術者は発生魔術を使えない。

 だというのにレイは発生魔術を使える。


 いや。


 本当に、あれを発生魔術と呼んでいいのだろうか。


「師匠?」


「はい」


「また怖い顔してる」


「……すみません」


「失敗して怒ってる?」


「違いますよ」


 マリーは記録帳を閉じた。


「むしろ、私の方が分からなくなってきただけです」


「師匠なのに?」


「師匠でも分からないことくらいあります」


「ふーん」


 レイはそれ以上気にした様子もなく、机の上の葉をつまんだ。

 おそらく本人にとっては、それくらいの出来事なのだろう。


 だがマリーにとっては違った。

 これまで彼女は、レイの魔術を『異常に効率の悪い発生魔術』だと考えていた。

 必要以上に細かく物質を想像し、そのせいで莫大な魔力を浪費している。

 そういう、少し変わった癖なのだと。


 しかし、もし今の仮説が正しいのなら。


 レイは効率が悪いのではない。

 普通の魔術師が行っている『曖昧な生成』そのものが、できないのだ。


 水を作れと言われれば、水として成立するところまで作ろうとする。

 鉄を作れと言われれば、鉄として成立するように組み上げる。


 ここからは仮説だが、

 彼女は、分からない部分を適当に誤魔化すことができない、のかもしれない。

 結果として完成すれば物質が残り、完成しなければ魔力の塊として崩れる。


 そんな馬鹿げた話が、本当にあるのだろうか。


「……もう少し、調べる必要がありますね」


「また水?」


「水もやります」


「ええ……」


「それから石と、鉄と、次は砂糖も試します」


「地味」


「基礎は大切です」


「それ、便利な言葉だよね」


「教師なので」


 そう返しながら、マリーは硝子皿を慎重に箱へしまった。

 この奇妙な砂については、後で自分でも詳しく調べてみるつもりだ。


 まだリードへ報告する段階ではない。


 測定回数が少なすぎる。

 偶然の可能性もある。

 自分が知らないだけで、既存の魔術現象に説明がつくかもしれない。

 形質模倣魔術でも教えれば、何か手掛かりが掴めるかもしれない。

 もしかすると、それで効率の悪い魔術も、何か改善するかもしれない。


 だから、もう少しだけ、ただの家庭教師として、レイの魔術を観察してみよう。

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