4:マリーの研究(上)
マリー・エリントンは、自分が優秀な魔術師であることを自覚している。
少なくとも、客観的な数字だけを見ればそう言って差し支えないはずだった。
二十二歳。
平民の家に生まれ、十五歳で単身エルテナ帝国へ渡り、エルテナ魔術学園へ入学。在学中に第五級魔術師の資格を取得し、卒業から四年で第二級まで昇級した。
世間一般の基準で見れば、大成功と言っても差し支えのない経歴である。
第二級魔術師ともなれば、地方都市ならば宮廷付きの魔術師や研究機関の主任として雇われてもおかしくはない。
実際、卒業後にはいくつか誘いもあった。
その全てを断った末に、どうして今、名門アスター家で六歳児の家庭教師などをしているのか。
理由は単純だった。
給金が良かったからである。
「……いや、もちろん、それだけではありませんけど」
アスター家の精霊魔術を、こっそりと見て盗む。
言い方は悪いが、そのような下心があったことは否めなかった。
誰もいない自室でひとり呟き、マリーは机の上に広げた記録帳へ視線を落とした。
アスター家から話を持ち掛けられた時、迷いがなかったわけではない。
王家とも深いつながりを持つ名門。
代々、優秀な魔術師を輩出してきた家系。
そして今回教えることになったのは、その当主リード・フォン・アスターの末娘。
失敗すれば、ただ職を失うだけでは済まないのではないか。
そんな考えが頭をよぎり、最初の面談では緊張のあまり自己紹介を二度言いかけたほどだ。
幸い、当主夫妻は思っていたよりずっと穏やかな人物だった。
問題があるとすれば、教え子の方である。
「レイ・フォン・アスター……」
記録帳の表紙に書かれた名前を、指先でなぞる。
今年で六歳になる少女。
初対面の印象は、妙に落ち着いた子供、だった。
言葉遣いこそ年齢相応に拙い。
それなのに、人の話を聞く時の目や、物事を考える時の間の取り方が、どうにも子供らしくない。
こちらの説明を遮らず、理解できなければ聞き返し、一度納得したことはよく覚えている。
手の掛からない生徒。
教師としてはありがたい。
ありがたいのだが――。
「……どうして水が残るんでしょう」
マリーは小さく呟いた。
机の端には、蓋をした細い硝子瓶が三本並んでいる。
中に入っているのは水だった。
どこにでもある、透明な水。
一見すれば、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、三本ともレイが発生魔術によって生成したものである。
最も古いものは、五日前に作られた。
まだ消えていない。
そのようなことは、本来であれば“あり得ない”。
発生魔術によって作られた虚構物質は、術者による魔力的な維持を失えば崩壊するはずだ。
早ければ一瞬。
長く維持できる術者でも、完全に制御を断てば数分とかからず魔力へ還る。
もちろん例外はある。
術式の内部に自動維持機構を仕込んだ場合や、精霊など外部の存在に維持を代行させた場合だ。
だがレイは、そのどちらも使っていない。
そもそも、まだ使い方を教えていないのだ。
「……私が見落としている?」
その可能性は当然考えた。
翌日、同じ条件でもう一度生成させた。
結果は同じ。
三日目には使用する魔力量を測定した。
妙に多かった。
四日目には別の容器を使った。
やはり残った。
そして今日。
五度目の測定を行ったが、結果は変わらない。
普通なら、そろそろ結論を出すところなのだろう。
『レイ・フォン・アスターの発生魔術には、既存理論では説明できない特徴がある』と、そう報告すればいい。
だが、マリーはその一文を書けずにいた。
「そんなわけ、ない……」
思わず独り言が漏れた。
魔術というものは複雑だ。
人間が解明できていない現象はいくらでもある。
だからこそ、目の前で理解できないことが起きた時に、すぐさま「未知の現象だ」と飛びつくのは三流のすることだ。
測定器が壊れているかもしれない。
術者が無自覚に別の術式を併用しているのかもしれない。
アスター家特有の精霊契約が影響している可能性だってある。
何より、まだ相手は六歳児だ。
本人の説明を鵜呑みにするわけにもいかない。
マリーは記録帳を開いた。
そこには数日分の記録が、細かな字でびっしりと書き込まれている。
『水・推定〇・八グラム。維持停止後も形状を保持』
『魔力消費、標準値の約六十七倍。測定誤差の可能性あり』
『二回目。同様』
『三回目。消費量七十一倍。生成物残存』
『四回目。容器変更。変化なし』
数字だけを眺める。
「……消費しすぎなんですよね」
こちらの方も妙だった。
水一滴を作る程度なら、魔術学園の一年生でもほとんど負担を感じない。
魔力量の少ない者でも、百回、二百回と繰り返せる程度の初歩魔術である。
だというのに、レイはその一滴を作るために、尋常ではない量の魔力を使っている。
本人は気づいていない。
アスター家の血筋ゆえ、もともとの魔力量が多いのだろう。六十倍や七十倍程度なら、それでも本人にとっては軽微な消費で済んでいる。
だが効率だけを見れば、壊滅的だった。
それは、下手という言葉では済ませられないほどである。
「どうやったら、水一滴にこんなに使えるんですか……」
そんな疑問が先に立つほどである。
しかも妙なことに、生成された水そのものは非常に安定している。
それどころか――。
マリーは硝子瓶の一本を手に取った。
光に透かしても、濁りはなく、沈殿物も当たらない。
昨日、簡易測定も行った。
少なくとも、一般的な飲用水より不純物が少ない。
普通、発生魔術で水を作れば、術者の認識の甘さがそのまま生成物へ現れる。
味が妙に苦い。
少し濁る。
温度が安定しない。
質感がどこかおかしい。
魔術学園では、そうした誤差を減らす訓練を数年かけて行う。
だがレイの水には、それがほとんどない。
異常なほど魔力を消費して、異常なほど精度の高い水を作り、そして何より、その水が、消えない。
効率が悪いのか。
精度が高いのか。
上手いのか。
下手なのか。
「……何なんですか、もう」
分からない。
それが、マリーには少し楽しかった。
自覚すると恥ずかしいので、決して口には出さないが。
翌日の授業。
「今日は石を作ってもらいます」
そう告げると、レイは露骨に嫌そうな顔をした。
「また地味」
「基礎訓練です」
「昨日も基礎」
「今日も基礎です」
「明日は?」
「基礎です」
「師匠、派手なの教えて」
「駄目です」
「ケチ、ですね」
「教師なので」
レイは抗議するように「え〜」と言って、肩を落とす。
こういう時は年相応に見えるので、少し安心する。
マリーはあらかじめ用意しておいた小石を机の上へ置いた。
「これと同じものを作ってみてください」
「同じ?」
「なるべく似せてください。ただし、無理に精密に作る必要はありません。形と硬さ、それから大体の重さが同じなら十分です」
「見るだけ?」
「触って構いません」
レイは石を手に取った。
裏返す。指先で撫でる。机に軽く打ち付ける。
それから何故か、じっと石を睨んだ。
「……レイさん?」
「これ、なにで出来てる?」
「石です」
「違う、そうじゃない」
レイは少し考える。
「石の中身」
「中身……?」
「うん」
質問の意味を考える。
「鉱物の種類、という意味でしょうか」
「うん、多分それ」
「これは花崗岩ですね。主に石英や長石などが混ざってできています」
「せきえい……けいそか……」
「詳しい組成まで覚える必要はありませんよ。今日は見た目だけで構いません」
「でも、それだと同じじゃない」
「……同じ?」
「似てるだけ」
マリーは一瞬、言葉に詰まった。
「今回は、それでいいんです」
「そうなの?」
「発生魔術では、必ずしも実物を完全に再現する必要はありません。術者が必要とする性質を満たしていれば、十分に魔術として成立します」
「……そうなんだ」
納得したような、していないような返事。
レイはもう一度、手の中の石を見る。
「じゃあ、硬くて、重くて、石っぽければいい?」
「そうです」
しばらく考えたあと、レイは石を机へ戻し、手の平を上へ向ける。
微かな魔力の流れを感じ、マリーはすぐに測定器へ目をやる。
数値が上がる。
予想通り、早い。
いや。
「……ちょっと待ってください」
数値がさらに上昇する。
「レイさん、まだ生成していませんよね?」
「まだ」
「では、今は何を?」
「考えてる」
「何をですか?」
「石を」
「……」
生成前から魔力を消費している、それは普通だが……異常に多い。
それに、マリーは眉を寄せる。
「一旦、止めましょう」
「え」
「今日はここまでで」
「まだ何もしてない」
「……計器の不具合かもしれません」
そう言い訳をすると、レイは不満そうだった。
マリー自身も、教師としてあまり褒められた判断ではないと思う。
だが、このまま続けさせるより先に確認したいことがあった。
「レイさん」
「なに?」
「発生魔術を使う時、頭の中で何を考えていますか?」
「前も聞いた」
「今日は、もっと詳しく教えてください」
「詳しく?」
「はい。最初から最後まで。できるだけ正確に」
レイは少し困った顔をした。
「えーっと……」
指を折りながら、一つずつ説明を始める。
石の形。
重さ。
硬さ。
そこまでは普通だった。
だが。
「それから、石を作ってる原……小さな粒のことを考えて」
「小さい粒?」
「うん。ものを作ってる、一番小さいやつ」
「……」
「それ同士がどうくっついてるかとか、どれくらい動いてるかとか」
「待ってください」
マリーは思わず遮った。
レイが首を傾げる。
「よくわかんない?」
「……いえ」
すぐには言葉が出なかった。
発生魔術を教える時、魔術師は通常、そんなことを考えない。
石が欲しいなら、石を思い浮かべる。
硬く、重く、冷たい物体。それだけで十分だ。
必要以上に細かな構造を意識すれば、その分だけ術式は複雑化する。
複雑化すれば、必要な魔力も増える。
当たり前の話だ。
では、もし。
もし一人の術者が、普通なら誰も指定しないような細部まで、わざわざ魔力で再現しようとしていたら。
「……」
マリーは、昨日までの記録を思い出した。
異常な魔力消費。
妙に精度の高い生成物。
制御を切った後も消えない水。
脳裏で、何かが僅かに繋がった気がした。
だが、まだ仮説にもならない。
証拠が足りなさすぎる。
「師匠?」
「……何でもありません」
「真顔、怖い」
「元からです」
「元は、可愛い」
マリーは咳払いをした。
「とにかく、今日は石の生成は中止します」
「えぇ……」
「代わりに宿題を出します」
「もっと嫌」
「レイさんが発生魔術を使う時に考えていることを、思いつく限り書き出してください」
「文字いっぱい書く?」
「いっぱい書いてください」
「鬼教官」
「教師です」
レイは机に突っ伏して項垂れている。そんな教え子を横目に、マリーは新しいページを開く。
まだ何も決まっていない。
まだ分からない。
何より、たった数回の測定で、あり得ない結論に飛びつくべきではない。
だから、そのページの一番上に書いたのは、たった一行だけだった。
『発生魔術における、術者の認識精度と生成物の残存時間について――要検証』
その下に、もう一つ。
『次回、比較実験を行うこと』




