3:家庭教師
窓を焼いて数ヶ月後、俺に専属の家庭教師がついた。
なんでも父が、幼年で魔術を扱う俺にアスター家の正規の魔術を教えたいとかで、エルテナ魔術学園の卒業生を雇い入れたらしい。
名を『マリー・エリントン』
種族は純人族で、イルグラーデ王国北部出身の平民で、隣国エルテナ帝国の魔術学園を卒業した第二級魔術師という少々変わった遍歴を持つ彼女。
魔術師の階級は、
『七賢者』
『魔法使い・魔女』
『第一級〜第七級魔術師』
なので、上から四つ目の結構すごい人である。
ちなみに俺の父である「リード」は第一級魔術師だそうだ。
「よろしくお願いします、今日から貴女の家庭教師を務めさせていただくマリー・エリントンです。気兼ね無くマリーとお呼びください」
と、淡々と自己紹介を述べる彼女の第一印象は「カワイイけど無愛想だな」だった。
六歳ちょっとの幼女の肉体に、おおよそ成人男性の精神を搭載している俺が言うのもなんだが、彼女は可愛らしい見た目に反して、愛想というものがなかった。
ジト目、よそよそしい敬語、いちいち鼻につく大ぶりの魔術。
かと思えば、何か失敗する度にガチ凹みするし、魔術をスカると顔を真っ赤にして、わかりやすく咳払いをする。
そういう時にからかってやるのも一興ではあるが、可哀想なので、毎度のフォローは欠かせなかった。
「また失敗してしまいました……そろそろ私は解雇ですかね……」
「マリー師匠、大丈夫。母さん、怒らない。マリー師匠のこと、気に入ってる。この前も、マリー師匠のこと、カワイイって言ってた」
やはり、まだ新たな言語に慣れない。
読解はできても、まだまだスピーキングはカタコトだ。
だが、多分、言いたいことは伝わっているだろう。
証拠に、彼女はその言葉を聞いて「ははは…… レイさんは優しいですね」と、自嘲気味に笑っていた。
そんな彼女だが、魔術の授業はとても楽しい。
初めのうちは、魔術の歴史だとか、魔力器官の構造だとか、そういった座学ばかりだった。
マリー師匠は俺にさまざまな魔術を見せ、失敗することもあったが、概ねとても高度かつ見応えの魔術だったと思う。
俺としては早いところ実践に移りたかったのだが、マリー師匠曰く、
「基礎を知らずに魔術を扱うのは、文字を知らずに本を書くようなものです」
とのことだった。
もっともな話である。
窓を一枚駄目にした前科のある身としては、反論の余地もない。
そういうわけで、俺は毎日のように机へ向かい、この世界における魔術の基礎を一から学ぶことになった。
そこでまず分かったのは、俺が今までやっていた魔術が、かなり我流だったということである。
「レイさん。魔術というものは、詠唱を唱えれば発動するものではありません」
「……そうなの?」
「はい。詠唱はあくまで術式を組み上げるための補助です。魔力の流れを整え、必要な工程を思い出しやすくするためのもの、と考えてください」
マリーはそう説明しながら、人差し指を立てた。
「例えば――『灯火』」
指先に小さな火が灯る。
リリ姉が見せてくれた『虚光灯籠』とは違う。
本当にただの炎だった。蝋燭の火を少し大きくした程度の、何の変哲もない火だ。
「今の、詠唱した?」
「いいえ。術式を覚えていれば必要ありません」
「じゃあ、詠唱いらない?」
「極論を言えば、そうなります」
なんだよ。
じゃあ、あの日リリ姉の真似をして延々と厨二詠唱を繰り返していた俺は何だったんだ。
「ただし、複雑な魔術になれば話は別です。人は一度に多くの工程を意識できませんから、言葉や動作に工程を紐づけることで、術式を安定させます。特に精霊魔術は契約や呼び掛けを伴うものが多いので、詠唱を重視する術者も少なくありません」
「リリ姉のも?」
「おそらくは。私はアスター家の精霊契約について詳しく知る立場ではありませんが」
そこでマリーは一度言葉を切り、俺を見る。
「少なくとも、言葉だけを真似ても発動しないのは当然です」
「……なるほど」
少し恥ずかしい。
俺はずっと、ゲームでいう必殺技名みたいなものだと思っていた。
だが実際は、ボタンを押す代わりに技名を言えば出るとか、そんな単純なものではなかったらしい。
それから数日後、ようやく実技の授業が始まった。
最初にやらされたのは、驚くほど地味な訓練だった。
「この水を、こちらの容器へ移してください」
机の上には二つのガラス容器が置かれている。
一方には半分ほど水が入り、もう一方は空だった。
「手で?」
「魔術でです」
「ふーん」
それなら簡単だ。
水へ魔力を伸ばし、その状態を確かめる。
質量、温度、流れ。そこまで細かく考える必要はない。水がそこにあることを認識し、自分の魔力で包み込む。
あとは持ち上げるだけ。
そうすると、水の塊がふわりと容器から浮かび上がった。
俺は、そのまま空中を滑らせ、隣の容器の真上に移動させて、制御を切る。
すると、ぱしゃり、と小さな音を立てて水の塊は容器へ落ちた。
「こんな感じ?」
「……はい」
マリーは手元の紙へ何かを書き込んだ。
一体何をそんなに書き込むことがあるのだろう?
「次は半分だけ移してください」
「半分?」
「正確に半分です」
再度同じような指示に困惑しつつも、俺は再び水へ意識を向ける。
さっきより少し面倒だ。
とはいえ、水全体の量を感覚的に捉え、その中心を境に二つへ分ければいい。
半分を残し、もう半分だけを持ち上げる。
そして隣の容器へ移す。
「これで?」
マリーは二つの容器をしばらく見比べたあと、棚から細長い器具を持ってきた。
「少し待ってください」
何やら目盛りを確認している。
やがて彼女は眉を寄せた。
「……どうしたの?」
「いえ」
また紙に何かを書いた。
「ほとんど誤差がありませんでしたので」
「それ、すごい?」
「操作系を習い始めたばかりの子供としては、かなり」
へえ。
そう言われると悪い気はしない。
「ですが、喜ぶのはまだ早いですよ。次は四分の一です」
「ええ……」
「その次は八分の一です」
「マリー師匠、厳しい」
「普通の授業です」
そういうものなのか。
と、俺は渋々ながらに納得した。
その後も似たような訓練が続いた。
水を一定の高さで静止させる。
木片を決められた速度で動かす。
蝋燭の火から熱を少しだけ取り出し、金属板へ移す。
石を持ち上げ、落とさずに円を描かせる。
どれも見た目は地味だが、これが案外難しい。
ゲームでは「魔術」という一つの処理で済んでいたものを、自分の感覚で一つ一つ組み上げていく。
上手くいけば、考えた通りに物が動く。
失敗すれば、その理由を考える。
前世では勉強なんて面倒なだけだった覚えがあるが、不思議と今は苦ではなかった。
「レイさんは、操作系との相性が良いようですね」
ある日の授業の終わりに、マリーが言った。
「そうなの?」
「ええ。魔力の出力そのものは……まあ、アスター家として見れば特別多いわけではありませんが、制御が非常に細かいです。特に物質操作と熱操作は得意ですね」
「発生は?」
「そちらは、もう少し調べてみましょう」
言いながら、マリーの視線が一瞬だけ手元の記録帳へ落ちた。
最近、彼女はよくあの帳面に何かを書いている。
最初の頃は授業内容でも記録しているのだろうと思っていたが、どうもそれだけではないらしい。
俺が魔術を使うたびに、生成量だとか、魔力消費量だとか、持続時間だとかを細かく記録している。
俺以外にも同じような測定をしているのかと聞けば、
「比較対象がなければ、測定する意味がありませんから」
と言っていた。
教師というより研究者だな、と思う。
可愛い顔だが、彼女は堅物だ。無愛想なのも、多分そこからきているのだろう。
「今日は発生系をやります」
「おお」
待ってました。
これまで散々苦戦してきた分野である。
独学では何が悪いのかさっぱり分からなかったが、専門家がいるなら話は違う。
「まず、これを」
マリーが机の上へ置いたのは、小さな金属製の皿だった。
「水を出してください。一滴だけ」
「一滴?」
「はい。一滴です」
随分と慎重だ。
「コップ一杯とかじゃなくて?」
「一滴です」
「前、水いっぱい出したことあるよ」
「だから一滴です。爆発することも、稀にあるので」
妙に強い口調だった。
どうやら窓の一件は、ちゃんと彼女にも伝わっているらしい。
仕方がないので、俺は皿の上へ手をかざした。
水。
水分子。
水素二つに酸素一つ。
だが、それだけでは足りない。
液体として存在するための状態を考える。
温度から分子同士の運動まで。
「レイさん?」
「ん?」
「今、何を考えています?」
「水」
「……もう少し詳しく」
何だろう。
「水の作り方?」
「どのような?」
「えっと……水素と酸素があって、それが――」
「待ってください」
マリーが止めた。
「はい?」
「今の説明、もう一度お願いします」
「水素と酸素?」
「その二つは何ですか?」
あ、そうか。
この世界では、その呼び方をしないのか。
いや、この文明レベルだと原子や分子の存在が知られているのかも怪しいところだ。
「えーっと……」
どう説明したものか。
俺が言葉を探していると、マリーはしばらくこちらを見つめたあと、
「……まあ、それは後で聞きましょう」
と言って、記録帳へ何かを書き込んだ。
「続けてください」
気を取り直して、水を想像する。
掌の先に魔力を集め、形を整えた。
やがて、ぽつりと一滴。
透明な水滴が皿の上へ落ちた。
「できた」
水一滴分というのも、なかなかに骨が折れる。
もう少し量が多ければ楽なのだが……
「はい。そこで制御を切ってください」
俺は、言われた通り、魔力を止める。
水滴はそのまま皿に落ち、沈黙を保っている。
何の変哲もない、水そのものだ。
水は前にも作ったことがあるので、うまくできたと思う。
だが、マリーは水滴をじっと見ていた。
一秒
二秒
三秒
十数秒たったが、それでもマリー師匠は目を離そうとしない。
「……マリー師匠?」
「少し待ってください」
一分経った。
水滴はそのまま。マリーは瞬きすらせず、じっと水滴を見つめている。
マリーは皿を手に取り、角度を変えた。
水滴がころりと転がる。
「……」
「どうしたの?」
「いえ」
マリーは指先で水滴に触れ、それを眺めた。
それから記録帳を開き、何かを書き込む。
何かおかしなことがあっただろうか?
「失敗?」
「分かりません」
「成功じゃないの?」
「発生そのものには成功しています」
「じゃあ成功」
「……そうですね」
なんとも歯切れが悪い。
その後、マリーは同じことをもう一度やらせた。
今度も一滴。
そしてまた一滴。
量を変え、時間を測り、俺の魔力消費量まで確認する。
結局、その日の授業はほとんど水滴を作るだけで終わってしまった。
無口な美少女と一日を過ごすというのも良いが、さすがに地味である。
「今日はここまでにしましょう」
「もう?」
「はい」
マリーは記録帳を閉じた。
その顔はいつもの無愛想なものだったが、何となく機嫌が悪そうに見える。
「俺、何か変だった?」
「いいえ。そういうわけではありません」
「じゃあ?」
「少し、測定結果が合わないだけです」
「壊れてる?」
「その可能性もありますね」
彼女はそう言って立ち上がり、机の上の器具を片付け始めた。
俺も手伝おうとしたが、
「レイさんは結構です」
と止められた。
やはり、無愛想である。
まあ、子供に触らせたくない物もあるのだろうと、俺は大人しく椅子へ座り直した。
その横で、マリーはもう一度だけ記録帳を開いた。
ちらりと見えたページには、数字がびっしりと並んでいる。
中央には、大きく丸で囲まれた箇所があった。
何が書いてあるのかまでは読めなかった。
ただ、その下に小さく、
『再測定』
とだけ書かれていたことだけは分かった。
それからしばらく俺の授業では、何故か同じような実験が増えた。
水を出す、熱を出す、小さな石を作る。
それぞれ量を変え、時間を測り、消費した魔力を記録する。
俺としては、もっと派手な魔術を教えてほしかったのだが、
「基礎は大切です」
の一言で却下された。
まあいいさ、魔術というのは、思っていた以上に奥が深いものだと、分かったし。
そこまで焦る必要もないだろう。
四年後まで、まだたっぷり時間があるのだ。




