13:襲撃-後編
—ルーク—
剣を振った男は、まだ正門の外側にいた。
距離にして何十歩。決して普通の斬撃が届く間合いではない。
——にもかかわらず、ルークの足元を何かが通り抜け、石畳が真っ直ぐに裂けた。
「……なるほど」
ルークは一歩、二歩と距離を取る。
先ほどまで相手にしていた剣士たちも、いつの間にか距離を取っている。
恐れているのだ。
味方であるはずの、あの男を。
仮面の男は剣を下げたまま、ゆっくりと門をくぐった。刃の周囲には、目を凝らさなければ分からないほど薄い風の層が揺れている。
「もう一度言う、ここはアスター家の所有地だ。引け!!」
ルークが警告するが、男は答えない。
一歩、もう一歩、隙のない歩みで男は再び間合いにルークをとらえた。
瞬間、剣先がブレる。
速い。
そう思った時には、すでに剣が目の前にあった。
ルークは咄嗟に剣の腹で受ける。
金属同士がぶつかる音より先に、腕へ重い衝撃が走った。
「ッ!!!」
力任せではない。
刃が触れた瞬間、剣の周囲にまとわりついていた風が一方向へ弾け、受けた側の体勢を崩してくる。
魔術を手足のように扱う精巧な魔術。
紛れもなく精霊術師の戦い方だ。
ルークは半歩下がり、その勢いを利用して剣を返した。
男は肘当てのはめられた左腕で剣を受け、ぬるりとルークの鋭い斬撃を流す。
続けて二撃、三撃。
全て紙一重だ。
気を抜いたら、その瞬間真っ二つになる。
『ルーク兄!!』
通信席から声が聞こえる。
レイの声だ。
だが、答える余裕など無い。
ジリジリと確実に、ルークは屋敷の内へと追い込まれていた。
—レイ—
俺は照準を仮面の男へ合わせた。
「リリ姉、あれ精霊魔術なんだよな?」
「……ええ」
「なら催眠は効かないのか?」
「分からない。でも付け焼き刃のレイの魔術じゃ、向こうの精霊に弾かれるかもしれない。見た限りだと、仮面のやつについてる精霊は中位以上だと思うし……」
「まあダメ元だ、やるだけやってみるしかない」
そう吐き捨てて、俺は引き金を引く。
火薬の音と共に、銃弾が夜の庭を横切り、仮面の男に迫った。
だが、仮面の男は避けず、それどころか、銃弾には一切の反応すら見せない。
だた、その周囲の風が乱れ、弾道が横へ逸れる。
「くそっ、やっぱり全自動迎撃持ちかよ」
「レイ」
リリ姉の声が低い。
「あの剣士、ただ精霊魔術が使えるってだけじゃないみたい」
「見りゃ分かるさ、そんなの」
「いいえ、違うの」
それを聞いて、俺はリリ姉の方へ一瞬視線を向ける。
暗がりでわかりにくいが、どうも顔色が悪いように見えた。
「あの精霊たち、この屋敷の庭の精霊よ」
一瞬、言葉が出なかった。
アスター家の精霊魔術。
アスター家の始祖、ウィル・フォン・アスターが原初の大精霊と交わした契約。その血族へ継承される権利。
その契約は絶対であり、絆。
精霊たちは、決して赤の他人の言うことなど聞かないのだ。
「って言うことは、アイツはアスター家の人間ってこと?」
「分からない」
リリ姉は冷や汗を流しながら、その男を凝視していた。
男がもう一度剣を振り、ルーク兄が横へ飛ぶ。
先程までルーク兄が立っていた石畳は轟音を立てながら、剥がれ、吹き飛び、その背後の噴水が砕ける。
ルーク兄は完全に疲弊し切っており、先ほどもろに衝撃を受け止めたせいか、左腕に力が入らない様子だ。
防戦一方、勝ち目は薄いだろう。
「このままじゃ、ルーク兄がすり潰される」
「レイ、待って」
「でも——」
「あなたはここを離れちゃ駄目」
分かっている。
俺が塔から動けば、屋敷全体を見渡せなくなる。
そうすれば、発生魔術の無効化も狙撃も行えなくなる。
俺が焦っている、その間にも、仮面の男が前へ進む。
しかも最悪なことに、敵の魔術師たちが動き始めた。
俺が仮面の男へ意識を取られた隙を狙ったのだ。
「レイ!!」
リリ姉が叫ぶ。
火球。
氷槍。
煙幕。
見えるものから崩す。
だが全部は無理だ。キリがない!!
「レイ!! 魔術師がこっちを狙ってる!! 十一時方向、魔術は操作系の石礫!!」
「分かった!」
塔の胸壁へ身を伏せる。
直後、石が壁へぶつかり、細かな破片が飛んだ。
これはまずい。
戦線が崩壊しつつある。
——ロイス——
通信石から聞こえる声が増えてきた。
『正面、押されてる』
『西側二階に侵入者』
『使用人、まだ三十人ほど残っています』
『レイ、東側の対処をっ!!』
『ロイス!! 西棟に応援を!!』
『屋敷裏手の浜辺から追加の魔術師!! 人数は五名程度ッ!!』
ロイスは廊下を走りながら舌打ちした。
正門方面で轟音が聞こえてから、どうにも忙し過ぎる。
裏口へ回った六人は倒した。
屋根から入ろうとした二人も止めた。
なのに、気づけば屋敷の中に敵がいる。
「どんだけ湧いてくるんだよっ!!」
角を曲がる。
前方に黒装束。
一人。
こちらを見るなりそいつは短剣を投げた。
剣先は少し濡れていて、明らかに何か塗ってある。
ロイスは壁を蹴り、体を捻って避ける。着地と同時に踏み込み、相手が次の武器へ手を伸ばすより先に距離を詰めた。
剣の腹で、思いっきり股間を振り抜く。
股間を強打された相手は、声も出ないのか、言葉にならない呻き声をあげて倒れた。
「レイ、西棟と中央棟の渡り廊下のど真ん中。窓から見えるはずだから、手が空いたら眠らせておいてくれ」
『分かった、少し時間がかかる』
そう告げて通信石を腰のホルダーに戻すと、ロイスは視界の先の違和感に気がついた…
視界の、その向こう。
廊下の窓が開いている。
「……窓?」
すぐに窓辺に駆け寄って、外を見る。
屋敷の外、海側の崖から何人もの黒装束が、縄を使って登ってきていた…
「正面の奴らは揺動……背後から闇討ちしようってかッ!!」
通信石を握る。
「マリー先生! 海側の崖から侵入された! 使用人の避難を急いで!」
『分かりました。ロイス様も戻ってください』
「分かった、見えてる奴らだけ片付けたら、すぐに行く」
通信石を再度ホルスターに戻し、それからロイスは、窓から屋敷の裏へ飛び出す。
「ックソ、王都旅行が楽しみだな」
—マリー—
西棟の大広間は、人で埋まり始めていた。
中央には巨大な転送魔法陣。光それを避けるように、使用人たちが壁際へ集められている。
突然の襲撃、見たこともない魔法陣、外から響き続ける剣戟と魔術の音。誰もが不安そうな顔をしているが、リシアがいるだけで辛うじて混乱は抑えられていた。
「順番に入ってください。向こう側へ到着したら、魔法陣から降りて、その場から離れすぎないように」
マリーは魔法陣を確認する。
発動自体は問題ない。
レイがどこから、どうやってこの術式を写したのかについては、今は考えないことにしている。
その件については、後でゆっくり聞けばいい。
「マリーさん」
リシアが近づく。
「先に使用人を?」
「はい。ただ、この人数を一度には送れません。数回に分けます」
「分かったわ…… 皆さん、落ち着いて!! 一人ずつ十秒程度の感覚を空けて、魔法陣に入ってください!!」
リシアは使用人たちを誘導し、次々と魔法陣へ人を入れる。
マリーが魔力を通すと、床に描かれた線が順番に淡く光り始め、空間全体が僅かに歪む。眩い光が広間を満たし、次々と姿をけす。
それを数百回繰り返し、時間と共に残った使用人たちは目に見えて減っていく。
だが、その間にも、通信石から悪い報告ばかりが入ってきていた。
『ルーク、継戦不能!! 離脱します!!』
『敵の黒装束が、二階へ侵入』
『魔術師の数が増えた!! もう限界です!!』
そして……
『マリー師匠』
聞こえてきたのは、場違いなほど冷静なレイの声だった。
「聞こえています」
『予定通り、第三フェーズに移行するよ』
レイは、静かな声でそう告げた。
「わかりました」
それを聞いたマリーは、大きな声で通信石に向けて、宣言する。
『直ちに全員、魔法陣より撤退せよ!!』
—リリ—
塔から降りる途中でも、リリはずっと背後を気にしていた。
精霊たちが落ち着かないのだ。
自分の呼びかけには応じる。
だが、呼びかけるのをやめてしまえば、ふっとどこかに消えてしまいそうな……そんな感覚だった。
「レイ、急いで」
「分かってる」
レイはライフルを肩へ掛けたまま階段を降りている。途中の窓から外を確認するたび、敵の魔術師を見つけてはその術式を崩していく。
ルークが撤退したのち、あの厄介な仮面の男の足止めも、レイは並行して行っていた。
手伝いたい。とは思うが、リリの精霊魔術では歯が立たないので、やむなくレイの特殊な魔術に頼り切りになる形になったのだ。
「あの精霊魔術……」
「今は、逃げるのが先だ。考えるのは後」
「そうだけど……」
「リリ姉」
聞いたこともないような、静かな声で名を呼ばれ、思わず振り返る。
「お願い」
その言葉に、リリは一瞬黙った。
その真剣な眼差しの奥底に、リリは、どこか父のような、暖かさを見た。
レイがこんなに大きくなっていたなんて、今まで気づかなかった。
場違いかもしれないが、リリはそれを、少しだけ嬉しく思った。
同時に、
こんな状況で成長を実感したくなかったとも思う。
—レイ—
大広間へ着いた時には、使用人のほとんどがすでに転送を終えていた。
残っているのは母さん、マリー師匠、ルーク兄、ロイス兄、リリ姉、それから俺。
「ルーク兄、その腕」
「問題ない。衝撃で少し痺れてるだけだ」
「本当に大丈夫?」
「今はいい」
確かに今は後回しにすべき問題だ。王都についたら医者か腕ききの治癒魔術師にでも見て貰えばいい。
今はそれより……
俺は魔法陣を見る。
魔法陣は、マリー師匠が魔力の注入を行っていて、母さんは青ざめた顔で椅子に座っている。
どうやら、魔力切れが近いらしい。
「マリー師匠、準備は?」
「もう少しでできます。起動ができたらその時は、どなたからでも、すぐに飛び込んでいただいて構いません」
「あなたたちが先です」
母さんが、力強い口調でそう言う。
「いや、母さん。そんな状態なんだから——」
「レイ、あなたが最初よ」
「でも、俺がいなくなったら、このホールの結界が維持できない」
敵の襲撃が起こってから、このホールには結界を貼ってある。
精霊魔術『認識阻害領域』 魔力でマーキングした対象者以外の認識を阻害し、結果以内への到達を阻害する効果のある魔術だ。
だが、これはあくまで小手先の術。
この空感が認識されてしまうのは、時間の問題だろう。
だが、俺がいなくなれば、この術はたちまちに崩壊し即座に敵が襲来する。
そうなれば、ここまでの準備が全て水の泡だ。
「俺は絶対、最後に入る」
結局、最初にロイス兄と母さんが入ることになった。ロイス兄は最後まで不満そうだったが、ルーク兄に背中を押される。
「兄貴は?」
「次だ」
「……絶対来いよ」
「当たり前だ」
魔法陣が青白く光り輝き、瞬間二人が消える。
次はルーク兄。
だが、魔法陣へ入る直前、廊下の向こうから剣戟が聞こえた。
「来た」
俺は振り返る。
大広間の扉の向こうに、仮面の男。
一人だ。
精霊魔術を使う彼は、他の誰より先に、この結界を突破したのだろう。
ならば、まだ結界自体は健在だ。
「ルーク兄、行って!」
「だがっ!」
「早く!!」
一瞬、兄の顔が歪む。
「……絶対来い」
「分かってる」
「絶対だぞ」
「ああ」
ルーク兄が魔法陣へ入る。
続いて、リリ姉も。
残ったのは俺とマリー師匠だけ。
「レイさん」
「師匠、行って」
「あなたを残して行けるわけないでしょう」
「師匠」
俺は銃を構えたまま、前を見る。
「大丈夫、ちゃんと行くから」
「そういう問題では——」
「師匠、お願いします」
マリー師匠が黙る。
それから……
「……必ず来てください」
そう言って、師匠が魔法陣へ入る。
そうして、俺一人になった。
大広間は急に広く感じた。
外から響く戦いの音も、今は遠い。
正面の扉には仮面の男。
結界の影響もある、男には、俺や魔法陣はぼんやりとしか見えていないはずだ。
俺はライフルを構える。
「誰だよ、お前」
時間稼ぎに、俺は仮面の男に問いかける。
返事はない。
「その精霊魔術、お前はアスター家の分家か何かの人間か?」
やはり返事はない。
次の瞬間、仮面の奥の目がこちらを捉えた。
男の剣へ、また風が集まる。
完全に認識された。
「……こりゃぁ、まずいな」
俺の魔術妨害が効かない。
催眠も通らない。
近づいて戦うには、相手が悪すぎる。
ならば、逃げる!!
俺は銃を撃った。
もちろん、狙いは男ではない。
狙ったのは天井近くの吊り飾り。留め具が外れ、大きな装飾が男たちの前へ落ち、ほんの一瞬、視界が切れる。
だがそれだけで十分。
俺は後ろへ跳び、魔法陣へ走った。
あと少し。
背後から風の音、おそらく負ってきている。
だが、振り返らない。
魔法陣へ入れば終わる。
生き残った先のことなど知ったものか。
魔法陣を抜ければ、王都だ。どんな重傷を負っても、魔法陣に乗ればゲームクリアだ。
あと一歩。
その時だった。
窓ガラスが割れ、甲高い音と一緒に、細い影が大広間を横切る。
矢だ。
一本の矢が、俺の足元に突き刺さった。
魔法陣の縁。
よりにもよって、そこは複数の術式線が重なる場所。
「まずっ——」
光が乱れた。
本来なら順番に点灯するはずの術式が、一斉に白く輝く。
床が震える。
空気が歪む。
建物が軋み、空間がうねる。
俺は足元から、魔力が一気に吸い上げられた。
「ちょ、待っ——」
消せない、止まらない、止められない。
転送先を示していた術式が、矢で裂かれた箇所から次々と別の線へ繋がっていく。
大広間全体が、真昼のように白く染まった。
魔力を限界まで吸い出された俺の視界は、グラつき、位置を失う。
世界が裏返る。
足元がなくなる。
上下も、前後も分からなくなる。
そして俺は、深い光の中へ落ちていった。
次回 第二章『ルーデンベルク共和国編』




