11:来たるその日に備え
それは、いつもと変わらない朝食の席で語られた……。
「三日後から、しばらく王都へ行くことになった」
父さん——リードは、さらりと何でもないことのようにそう告げた。
俺の手が止まり、フォークの先に刺さっていた肉が皿へと静かに落ちる。
「王都に?」
俺は、半ば反射的にそう聞き返す。
「ああ、王の勅令でな。行き帰りは転送魔法を使えるらしいから、長くとも十日ほどで帰ってこられると思う」
「それはまた、急ね」
母さんが少し眉を寄せると、父さんは「以前から話はあったんだがな。昨日の今日で決まったんだ、悪い」と謝罪を述べ、母さんはそれに「気にしないでいいわよ」と言って少し微笑む。
それから二人は何事もなかったかのように食事へ戻り、ルークもリリも、ロイスさえいつものことだと、気にも留めずにフォークと口を動かすばかりである。
俺だけだった。
出張の話を聞いてから、心臓が妙に大きく鳴っていた。リードが王都へ行く。それ自体は、今までに何度もあった。
だが今回ばかりは、タイミングが悪い。
統一歴454年、アスター家は謎の襲撃に遭い、以降の歴史からその名を消す。
そう、それは今年なのだ。
ゲーム内ではテキストのみによって語られ、取り立てて話題にも挙がらなかったようなバックストーリー。誰が、どうやって、何のために行ったのか。全くもって分からないそれについて、俺は何も知らないも同然だ。
だが、当主リードの長期の不在というこの状況が、俺の不安感を加速させていた。
「レイ?」
リリに呼ばれ、我に返る。
「どうかした?」
「何だか、顔色が悪い気がするけど、具合が悪いの?」
「いや、なんともないけど?」
そう誤魔化して、俺は急いで口に肉を運ぶ。
必ず来る。
確証はないが、それでもやはり、この状況はそう断じておいた方がいい。何せ、この家で一番の実力者がいなくなるのだ。
第一級魔術師、中でもリード・フォン・アスターという魔術師の実力は、この国のみならず隣国にまで広く知られている。
彼の実力は底が知れない。
普段はああやって普通の父親のように振る舞っているが、本気を出せば、恐らく一人で小国を落とせる。その魔術は“魔法”の域に半歩踏み入れており、俺なんかじゃ見聞きしただけではその原理すら理解できない。
俺であれば、絶対にこんな奴を相手にしたくない。
相手にできるとすれば、それこそ世界のどこにいるかも知れぬ“魔法使い”や“魔女”くらいのものだろう。
であれば、襲撃を目論む者は、この絶好の機会を逃す手はないだろう。
「レイ。手が震えているぞ。本当に大丈夫なのか?」
今度はリードである。
「大丈夫。ちょっと昨晩、魔術の練習をしすぎて、そのせいかも」
そう嘘を言って父さんを見る。
『行かないで』
俺が本気でそう言って事情を説明すれば、父さんを引き止められるだろう。
だが、その瞬間、この世界は俺の知っている歴史から外れる。
襲撃者がリードの不在を狙うのなら、今回は襲撃をやめるかも知れない。
けれど、それで終わる保証など何もないのだ。
今回を逃せば、完全に襲撃のタイミングが分からなくなる。それに、相手が手段を変え、俺たちを一人ずつ闇討ちにする、なんていう別の方法を取るかも知れなくなる。
決めていたことだ。
日和るな。
ここで決めなくてはならない。
「父さん、一ついい?」
「なんだ?」
俺は前々から考えていた一つの可能性を、父さんへ伝える。
「王都は何だか最近物騒だ。人攫いの噂も絶えないし、魔術師殺し……なんていう殺し屋の噂まである……って、ダーニャが手紙で。だから、くれぐれも気をつけて、できれば王城からあんまり外に出ないでほしい」
家が襲撃され、そこにいた全員が殺されようとも、アスター家は滅ばない。
なぜなら当主と、その子供の一人であるダーニャが生きているからだ。
だが、アスター家はゲーム中で滅んでいた。
ならば必然、父さん——リードも、どこかのタイミングで殺された可能性が高い。
ダーニャは確か、ゲーム中で何度か遭遇し、生存を確認しているので、今回の件で死ぬ可能性は低いだろう。
ゲーム中でアスターの名を名乗っていなかったので、同名で、かつ容姿も似通った別人という線も考えられるが……まあ、それはこの際、考えないものとしよう。
そんな考え事をしているうちに、俺は父さんが何やら難しい顔をしていることに気がついた。
「……それは、いや、気をつけよう」
父さんは何かを言いかけたが、それをぐっと飲み込んで、俺の忠告を受け入れた。
日頃、俺が何かを予言——ゲーム内知識で未来を言い当てる度に、直感的なものだと言い訳していたことが功を奏したのであろう。
母さんも何かを察したのか、不安そうな表情を浮かべている。
「リード、気をつけてね」
その母さんの一言を最後に、その日のアスター家の朝食は、重い沈黙のうちに終わった。
朝食を食べ終え、一時間も経たないうちに、俺はマリー師匠の部屋を訪ねていた。
「レイ、まだ授業の時間には早いですよ」
彼女は記録帳に羽ペンで書き込みながら、あしらうようにそう言った。
この五年で随分と扱いが酷くなったものだ。
「いや違う、折り入って相談に来た。今回は真剣だ」
「そう言って、毎度くだらないことばかりじゃないですか」
そう言って聞く耳を持たない彼女を尻目に、俺は部屋の施錠を確認したのち、精霊魔術を唱える。
「我、星の花の名を冠し、かの英雄ウィル・フォン・アスターの血族にして、その契約を継ぐ者なり。原初の一柱、風を司りし大精霊エア。その従順たる眷属にレイ・フォン・アスターの名を以て命ず。十九の契りに則り、今ここに世界の理の一端を顕現せよ『防振結界』」
「何をっ——」
マリー師匠は驚いた顔で立ち上がり、こちらを向いた。
「これで、外部に音は漏れない」
「こんな精霊魔術、相当な魔力を……」
「襲撃がある」
「……今、なんと?」
「三日後から十日間、父さんがこの家を離れている間のどこかで、この家は襲撃され、そして滅ぶ」
「そんなっ……なぜあなたが、そのようなことをっ!!」
「いつも通りだよ。ただの“勘”」
「ッ!!」
師匠は何かを言い返そうとしたが、すんでのところでそれを飲み込み、話を続けた。
「……確率はどの程度ですか? あなたがその“勘”をここまで断言するなんて、相当なんですよね」
「いや、断言はできない……でも、無視はできない程度の確率。五分五分と言ったところだよ」
「リード様や、リシア様には言ったのですか?」
「いいや、父さんには言わない」
「なぜです? あの方がいれば、仮に襲撃が起きたところで対処は容易でしょう」
「だからだよ。父さんがいれば、今回の襲撃は多分起こらない。何せ、敵はアスター家を相手取って、あまつさえ滅ぼすような連中だ。決して馬鹿なんかじゃないし、最新の内部情報を仕入れる手段も確保してあるだろう」
「内通者ですか……。いや、でも、それなら起こらないに越したことは——」
「今回を逃せば、襲撃のタイミングが分からなくなる」
「相手が諦める可能性は?」
「いや、連中は決して諦めない。なぜって、何としてでも潰したい理由がなければ、アスター家なんぞ攻撃するはずがないんだ。アスター家は代々、魔術関連の研究成果や武勲を多く立て、今や王家から厚い寵愛を受ける超有力貴族。攻撃するとなると、イルグラーデ王国そのものを敵に回すことは目に見えているし、何より、この家には“魔法使い”の認定をくらいかけている王国最強の魔術師、第一級魔術師『リード・フォン・アスター』がいる。加えて、その息子や娘、召使いやメイド、家庭教師、あまつさえ妻に至るまで、並の騎士より数段強い。まるで対軍想定でもしているのかと首を傾げたくなるような戦力が、この家には備わっている」
「当たり前のようでしたが、それは考えてみると、とんでもないですね」
そう言って、マリーは頷く。
「ですが、ますます分かりません。その襲撃を企てた者は一体何者で、何を目的としているのです?」
「分からない。誰が、何の目的で、どのような手段を以て襲撃を行うのか、全く」
「まあ、所詮は“勘”ですしね」
「……だけど、来る。今回来なくても次回。次回来なくても、そのまた次回」
そこまで聞いたマリー師匠は、考え込むように下を向き、自らの顎に手を当てる。
「これまでの経験からして、あなたの“勘”や特殊な知識は、無視できるようなものではない、ということは十分すぎるほどに分かっています。おそらく、今回もそれは的中するのでしょう」
「多分な」
「では、作戦が必要ですね。何の策もなしに襲撃を受ければ、それこそ貴女の言うように滅ぼされかねません」
そう言ってマリー師匠は、いつになく真剣な顔つきで俺の方へ向き直った。
「じゃあ早速、作戦立案といこう」
そう言って俺は、机の上に見取り図の描かれた大きなスクロールを広げた。
「今回の作戦は、迎撃ではなく避難に重点を置こうと思う。敵を倒すことは考えていない」
「それはまた、なぜです?」
「安全第一に、だよ。今回は人数が多いし、回復の精霊魔術を使える魔術師は、俺とリリ姉さん、あと母さんくらいしかいない。だから、重傷者が出れば、それが死に直結しかねない。敵が毒を使ってきたり、大規模な炸裂魔術を用意して捨て身の特攻を仕掛けてきたりする可能性も、無きにしもあらずだ」
「確かに、全員無傷で乗り切るのは無理がありそうですね」
「だから、襲撃が来たらこれを使う」
そう言って、俺は机の上にもう一枚の大きなスクロールを広げた。
「これは、魔法陣ですか? ぱっと見た限りでは、四面立体投影方式の相当高度なものに見えますが……」
「転送魔法陣だ。父さんが使うやつを、こっそり形質模倣で写した」
「は!? 転送魔法陣は禁術指定ですよ!? 写し取るなんて、国王の許可でもない限り固く禁じられて……それを分かって——」
「あー、分かってるよ。バレたら俺は牢屋生活。よくても屋敷で数年間は軟禁されるだろうね」
「ならばっ」
「知ってたか、マリー師匠」
「……何をです?」
「バレなきゃぁ、犯罪じゃないんだよ」
そう、キメ顔で言い放つと、マリー師匠は呆れた顔で頭を抱えた。
まあ、緊急事態だ。この際、犯罪の一つや二つ致し方なかろうて。
「とりあえず、これをどこか安全な場所に設置して、そこに逃げ込む形で作戦を組む」
「……分かりました。作戦を聞きましょう」
魔法陣を丸めて脇に置き、俺とマリー師匠は二人、屋敷の見取り図へ視線を落とす。
「敵が攻め入る入り口の候補は、正門、海路、あるいは空からと、さまざまな可能性が考えられます。なので、あえてこれは絞らずに、その時その場で柔軟に対応できる作戦の立案が求められます」
「ええ、そうですね。ならば魔法陣の設置箇所は、どの経路からも侵入しづらい中央棟の地下室ではどうでしょう?」
「いいや、アクセスはしやすい方がいい。屋敷の全員を避難させなくちゃいけないからな」
「では、西棟のメインホールはどうでしょう」
「ああ、それでいこう」
そう確認し、俺はペンで見取り図のメインホールに丸をつける。
「じゃあ次は、戦力の配置だな」
「最高戦力はやはり、リリ様とルーク様ですかね」
「ああ、そうだな。この二人をどう配置するかが大切だ」
二人はそれぞれ魔術と剣術に秀で、戦闘能力は第二級上位クラス。研究職であるマリー師匠は除外するとして、この二人が現時点でのアスター家における最高戦力だ。
ちなみに俺は、ロイス兄と同等の第二級下位相当。まあ認定試験を受けていないから、実際のところは分からないが。
「リリ姉は精霊魔術使いで、詠唱に時間がかかるから近接戦には向いてないけど、対集団戦や遠距離攻撃を得手としている。一方、ルーク兄は近接戦特化で、少数精鋭相手にはめっぽう強いけど、代わりに集団戦や遠距離攻撃に対しては不利」
「であれば、東棟の塔の上にリリ姉。どこでも動きやすいように、ルーク兄はメインホール付近で待機って感じかな」
「それが最善でしょう。ロイス様は遊撃ですね。あの方は暗殺者タイプなので、不意打ち役が適切でしょう」
「まあ、俺相手だといっつも魔術妨害くらって吠え面かいてるけど」
「あまりロイス様をいびらないであげてください」
「分かったよ。で、俺だけど、俺はリリ姉と同じ東棟の塔の上で魔術妨害と狙撃役をする。魔法陣への誘導はマリー師匠にお願いしたい」
「ええ、分かりました」
「あと、これはこのあと兄弟や母さんにも渡すことになるけど……」
「なんでしょう?」
「その時になったら、内通者が内部から撹乱を行うかもしれない。その時は、この通信石で名前と、なるべく正確にそいつの位置を俺に伝えてくれ」
そう言って、俺はマリー師匠に通信石——いわゆるトランシーバー的な魔術道具を渡す。
「分かりました。それからどうすれば?」
「俺が精霊魔術で催眠をかけるから、そいつを連れて魔法陣に入ってくれ。転送先は王都になってるはずだ」
作戦の詳細を詰めているうちにも、襲撃の時は刻一刻と迫っている。
三日後、俺はこの世界で最初の“試練”を迎えることになる。




