旦那様のご帰還
それから約一週間後。オリオール邸は、いつに無い緊張感に満ちていた。当主であるロラン・オリオール辺境伯が、約二ヶ月ぶりに帰宅するのである。
そして迎えた午前十一時、四輪立ての豪華な馬車が、屋敷前に到着した。百九十センチ近い長身の体躯に、長い銀髪と鋭いグリーンの瞳を持つ男が、中から降りてくる。ジャスミンは、使用人たちの先頭に立って出迎えた。
「旦那様、お帰りなさいませ。長期に及ぶお勤め、お疲れ様でございました」
ジャスミンは丁重に挨拶したが、夫は皮肉っぽく口の端を上げた。
「これは、これは。珍しいこともあるものだ。オリオール夫人が、午前中に目を覚ましておられるとは」
「旦那様、奥様は変わられたのでございます」
ゴーチェが、慌てたように口を挟む。
「最近の奥様は、酒量が減られ、毎日朝から活動的に行動なさっておいでです。書庫で学ばれたり、領内を見て回られたりされているのですよ」
領内を見て、と言うが、単に自分の欲しい物を求めて奔走しただけなのだけれどな、とジャスミンは思った。
「どうせ、一時のパフォーマンスであろう……。要求は何だ?欲しいものでもあるのだろう」
ロランが、ジャスミンをじろりと見る。言い方は不愉快だが仕方ないな、とジャスミンは思った。これまでの所業を思えば、信用されなくて当然だ。
「パフォーマンスをしたわけではございませんが。一点、ご相談があります。お時間を下さいますか」
米だ米、とジャスミンは脳内で連呼した。嫌がるかと思ったが、ロランは案外あっさり頷いた。
「なら、今から話そう。お互い、不快なことは早く済ませたいだろう」
会話をすることすら憂鬱そうな様子に少しへこむが、そういう夫婦関係だったのは事実だ。ありがとうございます、とジャスミンは神妙に頭を下げた。
ロランはジャスミンを、書斎へ連れて行った。グリーンの瞳を見つめながら、ジャスミンは丁重に切り出した。
「旦那様。私と旦那様の関係は、この通りです。ですが私たちの婚姻は、オリオール家とサロー家の関係を改善するために仕組まれました。肝心の私たちは不仲でも、せめて両家の交流に繋がる施策を一つでも行うべきではないでしょうか」
ジャスミンの話が意外だったのか、ロランは、グリーンの瞳を軽く見開いた。
「施策とは、どのような?」
「貿易です」
ジャスミンは、端的に答えた。
「ご存じの通り、我が領では海産物が豊富に獲れます。そしてサロー領では、米の栽培が盛んだとか。こちらから海産物を輸出し、あちらからは米を輸入する、というのはいかがでしょう」
ふむ、とロランは顎に手を当てた。どうやら、即却下、とうわけではなさそうだ。
「貿易を活発化させれば、我が領の収入にも繋がる。悪い話ではないな。君の言う通り、海産物ならいくらでも入手できる。サロー領は内陸ゆえ、喜ばれるだろう……。しかし」
ロランは、首をひねった。
「あちらから輸入するのが米、というのは承服いたしかねる。我が領で米の需要は、それほど無かろう。それよりも、サロー領には重要な資源が多くある。それらの輸入をお願いした方が良いのではないか?」
げげっと、ジャスミンは思った。ロランの意見はもっともだが、それは困る。
「お米の需要は、ありますわ!私が食べた……、いえ、お米って、とっても栄養価が高いですもの。リゾットにして食べてもらえば、領民たちがパワーアップすること間違い無し!」
「貴重な海産物と引き換えにするほどの価値があるとは、思えん。パンで十分だ」
ロランの表情は厳格で、考えを変える気は無さそうだ。仕方ないな、とジャスミンは思った。貿易計画に賛同してくれただけでも、ひとまずの収穫としよう。ジャスミンは軽く礼をすると、席を立った。
「貴重なお時間ありがとうございましたわ、旦那様。長旅でお疲れでしょうから、もう失礼いたします」
ああ、とロランが軽く頷く。そして、チラとジャスミンを見た。
「先ほどは、パフォーマンスなどと言って悪かったな。確かに君は、色々と考え努力しているようだ」
まあ、とジャスミンは目を見張った。
‘旦那様が、私に謝罪なさった……!?’
それは相当驚くべきことだったが、今のジャスミンはそれどころではなかった。いかにして米の輸入を実現するかで、頭がいっぱいだったからだ。
‘諦めないわ!リゾット、いずれはせんべいよ!’




