もっと香辛料を!
ジャスミンが前世の記憶を取り戻してから、一週間が経った。あの日以来ジャスミンは、酒のつまみを毎日作り続けている。チキンのチーズ焼きに、オムレツ、揚げズッキーニ、シュリンプ炒め、アボカドと生ハムのブルスケッタ、などなど。いずれもガーリックやペッパーで味付けした、味わい豊かな品々である。
そして今日ジャスミンが作っているのは、鶏皮のガーリック炒めだった。ここの厨房では鶏肉の皮は処分してしまうと聞いたジャスミンは、震え上がったものである。前世ではおつまみ代表として、店のメニューにもあったレシピだというのに。こうしてジャスミンは、鶏皮を死守して、せっせとつまみに変えている次第だった。
夢中で包丁を使っていると、背後で咳払いが聞こえた。振り返ると、そこには執事のゴーチェが立っていた。
「お料理中失礼いたします、奥様」
「何かしら」
説教だろうかと身構えたジャスミンだったが、ゴーチェは意外にも、笑みを浮かべていた。
「御礼を申し上げに来たのでございます、奥様。この一週間で、奥様はすっかり変わられました。こちらで調理をなさようになってからというもの、奥様は飲酒量が減られ、その分出費が減りました。また、ウードによれば、奥様はこれまで無駄にしていた食材も活用されているとか。その分食費が浮き、執事のわたくしとしては喜ばしい限りでございます」
「はあ……」
単に好きなつまみを作っていただけで、全て偶然の産物なのだが。ゴーチェは、ジャスミンの手を握らんばかりの勢いだ。
「それだけでなく、奥様は最近、以前とは違ってお早く目覚められ、活発に活動なさっているとか。書庫で勉学にも励まれているそうで、嬉しく存じております。旦那様がお帰りになれば、きっと喜んでくださることでしょう」
旦那様、というフレーズに、ジャスミンはドキリとした。
「そろそろ戻られるのかしら?」
「わたくし宛てに下さったお手紙によると、魔物退治はおおむね決着がつきそうだとか。恐らくは一週間後くらいにお帰りになるかと」
よし、とジャスミンは内心拳を振り上げた。
‘米を輸入していただくのよ。カモン、リゾット!’
「お伝えしたかったことは以上でございますが……、最後に奥様、伺っても?」
ゴーチェは、遠慮がちに言い出した。
「毎日作られているそのお料理、料理人たちに作り方を教えていただくことは可能でしょうか。いえ、皆が大変興味を持っておりまして。奥様があれだけ毎日自ら頑張って作られるのだ、さぞ美味しいに違いない、と」
「あら、そんなこと。もちろんいいわよ」
ジャスミンは、即答した。ゴーチェが、ほっとしたように微笑む。
「ありがたきお言葉でございます。特にウードは、レシピを知りたがっておりまして。何でも、香辛料をふんだんに使われるそうですね?」
「そうなのよ。大好きなの」
さようでございますか、とゴーチェは神妙に頷いた。
「お好きならば、他の香辛料も試されては?酒代を節約できた分、そちらに回すことは可能ですよ。市場で扱っている種類には限りがございますので、直接商人を訪ねられてはいかがでしょうか。ジレットという商人が、幅広く扱っていると聞きます」
聞き覚えのある名前に、ジャスミンはドキリとした。片山……今やバルバラという名前らしいが、彼女が教育係として雇われている家ではないか。バルバラには会ってみたかったが、なかなかきっかけをつかめないでいたところだった。
「ありがとう。是非行ってみるわ」
ジャスミンは、即答していた。
※※※
翌日ジャスミンは、早速ジレット邸を訪れた。当主のジレットは、揉み手せんばかりの勢いでジャスミンを出迎えてくれた。
「これはこれは、領主夫人にわざわざお越しいただくとは。お声がけくださったら、私どもの方から参上しましたのに」
さあさあと、ジレットはジャスミンを応接間に通した。そこには、十数種類もの香辛料らしきものが入った瓶が並んでいた。
「ご夫人は、香辛料にたいそうご興味をお持ちだとか。もしや、領内で普及してくださるのですか?」
ジレットは、期待でらんらんと目を輝かせている。うかつな約束はできないので、ジャスミンは慎重に答えた。
「検討しているところよ。夫が戻ったら相談してみるわ」
「さようでございますか。では是非、香りをお試しくださいませ」
ジレットは、瓶の一つを手に取った。
「こちらはクローブといいまして、刺激的な風味が特徴でございます。肉料理と相性が良いのですよ」
ジャスミンは、差し出された瓶の蓋を取った。香り自体は甘く、酒と合うかは微妙だ。だが、『刺激的な風味』というフレーズには心引かれずにいられない。
「こちらは、カルダモン。肉にも魚にも合います。爽やかな香りがしますので、他国では口臭予防に用いているとか」
いいな、とジャスミンは思った。つまみにはよくガーリックを用いているし、匂いのことは気になっていたところだ。
あれこれとジレットの説明を聞いているうちに、小一時間が経過した。ジャスミンは、勧められたうちの五種類を購入することに決めた。
「ありがとう、参考になったわ。実際に料理に使ってみて、良ければ積極的に広めましょう」
「おお、ありがとうございます」
ジレットが、深々と頭を下げる。その時不意に、応接間の扉がバタンと開いた。パタパタと、一人の少女が走り込んで来る。十代前半くらいか。
「お父様、お勉強終わったわ……。あっ、これらは何かしら?色とりどりで、とっても綺麗!」
少女は、香辛料に興味を持った様子だ。ジレットが苦笑する。
「失礼を。娘でございます。……マチルドや、今は大切なお客様をお迎えしているんだ。邪魔をしてはいけないよ」
「はあい、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げて、マチルドと呼ばれた少女が出て行く。ジレットは、頭を掻いた。
「大変、失礼をいたしました。娘には教育係を雇って勉強させているのですが、ちょうど今、勉強が終わったばかりでして。開放感ではしゃいでしまったようです」
「あら、気にしていませんわ。ジレット殿は、教育熱心でいらっしゃるのですね」
ジレットは、照れくさそうな表情になった。
「それほどでもございませんが。将来貴族の仲間入りをする可能性も考えまして、社交界で恥を掻かないようにと」
儲けた商人の中には、金で爵位を買う者も多い。彼もその一人と思われた。
「なかなか良い教育係で、満足しているんですよ」
「まあ、そうでしたの」
ジレットの言葉に、ジャスミンは食いついた。
「そんな良い方なら、お会いしてみたいわ。……いえほら、私たちはまだ子供がいませんが、将来のことは考えておきませんとね」
実際夫婦仲は崩壊状態で、子供どころではないが。ジャスミンの言い訳を、ジレットは信じたようだった。
「まことに、仰る通りです。……では、すぐに呼んで参りますね」
ジレットはきびきびと席を立つと、応接間を出て行った。待つこと数分、外から、けたたましい声が聞こえてきた。
「まあっ、わたくしごときに、ご領主夫人が会いたいと仰っているのですか?まあ、まあ、どうしましょう。末代までの光栄ですわ!」
ジャスミンは、一人頷いた。
‘うん、間違いないわ……’




