せんべいを作るわよ
約一時間後。ジャスミンは、市場の喧噪の中で、目を丸くしていた。
‘午前中の市場って、こんなに活気があるのね’
ジャスミンが起き出すのは、いつも昼過ぎだ。そこから支度をして食事を取って、などしているうちに、あっという間に夕方近くなってしまう。当然市場は閉まってしまうため、ジャスミンはほとんど訪れたことが無いのである。
目当てのペッパーとガーリックを買い込むと、ジャスミンは野菜のコーナーへ回った。
「アボカドとズッキーニを買いましょう。あと、ナッツ類もね」
「かしこまりました、奥様」
ウードが神妙に頷く。ナッツはワインにぴったりだ。アボカドやズッキーニも、オリーブオイルで炒めて上手く味付けすれば、良いつまみになる気がした。
‘本当は、おせんべいをつまみにしたいけれど。この国には無いから無理ね……’
いや待てよ、とジャスミンは思った。せんべいの原材料は、米と醤油だ。工夫すれば、近いものを作れるのではないか。
「ねえウード。お米と醤油はある?」
そう尋ねると、ウードは面食らったようだった。
「米は、こちらの領地では獲れませんが。……そして、ショウユというのは?」
この世界に醤油の概念は無いのだった、とジャスミンは思い出した。
「ええと、大豆を使ったスープよ」
「ああ、そうでございますか。ですが大豆は輸入できないので、無理でございますね」
「輸入ができない?」
はい、とウードは答えた。
「ダールヴィランドとの国交が改善すれば、輸入の道が開けますが。現況、期待はできないですね」
ダールヴィランドとは、セルフォシアの隣国だ。両国の関係が悪いことはジャスミンも知っていたが、大豆の生産地とは知らなかった。自分の勉強不足が、ジャスミンはいささか恥ずかしくなった。
‘せんべいの実現に向けて、国や領地のことを勉強しなくっちゃ!’
百パーセント私欲に基づいて、ジャスミンは大きく頷いたのだった。
その後チーズと生ハムを買い込んで、ジャスミンたちは馬車に乗った。だが、屋敷へ向けて馬車を走らせていると、何やら呼び止めるような声が外でするではないか。ウードは、チラとカーテン越しに外を見やると、ため息をついた。
「新人塔守の、ギョームです。また何やら報告があるようですね」
塔守というのは、文字通り領内の塔に駐在して、町の様子を見守る仕事だ。報告があるということは、町に危険でも迫っているのかと不安になったジャスミンだが、ウードはこう続けた。
「ギョームは、真面目なのは良いことなんですが。細かいことまで監視して報告してくるので、正直厄介なんですよ。やれ、この屋敷は夜会の頻度が多くて騒々しいだとか、この家の奥様は往来で馬車を停めて他の奥様と駄弁ってばかりいるので、迷惑だとか」
‘どこの世界にも、似たような人がいるのねえ’
ちょうど前世の記憶を取り戻したばかりだけに、ジャスミンはクスリと笑いを漏らした。すると御者が、遠慮がちに声をかけてきた。
「ギョームが報告したいことがあると申していますが、よろしいですか?辺境伯がご不在ならご夫人でも結構だと言っておりますが」
「わかったわ。聞きましょう」
そう言ってカーテンを開けたジャスミンだったが、そこでぎょっとした。外に立っている男の顔が目に飛び込んできたのだ。
‘安西さん……!?’




