浮気疑惑
「あれ、何だか懐かしい匂いがする」
そこへ、狙ったようにヴィクトルが現れた。ヴィクトルもこの時間は暇になるので、ジャスミンは度々彼を厨房へ招いては、寿司の試食をしてもらっている。
「あなたも、やっぱりそう思います?実は、醤油に近い調味料が手に入ったんですのよ」
ジャスミンは、小皿にスープを少し垂らした。すでに作っていたマグロの手巻き寿司と一緒に、ヴィクトルに差し出す。
「さ、付けて召し上がって」
「ありがとう、いただきます!」
ヴィクトルが手巻き寿司をスープに浸し、口にする。次の瞬間、彼の瞳は輝いた。
「すごい!完璧だ。前世のお寿司だよ!」
「本当!?嬉しいわ」
ジャスミンは思わず、ガッツポーズをしていた。よほど興奮していたのか、ヴィクトルはジャスミンをぎゅっとハグした。
「君はすごいよ。こんな……」
「何をしている?」
そこへ低く放たれた声に、ジャスミンはビクリとした。おそるおそる振り返れば、厨房の入り口にロランが立っているではないか。腕を組んだ姿勢で、こちらをにらみつけている。グリーンの瞳は、鋭い光をたたえていた。
「こそこそと、何をしているかと思えば……。よりによって、私の屋敷内で密会か。私を愚弄するにも、程がある!」
「ち、違いますわ!」
あらぬ疑いに、ジャスミンは動揺した。
「何が違うというのだ。しかも今は、妻を抱擁していたではないか。この場でそなたを斬り殺さないことを、感謝するのだな!」
ロランがびしりと指を突き出し、ヴィクトルに向ける。ジャスミンは、必死に弁明した。
「ヴィクトルさんには、料理の試食をしてもらっていたのです。……あなたにはサプライズにするつもりでしたけれど、お誕生日に差し上げるプレゼントですわ。ついに完成したので、嬉しくて盛り上がっていたのです」
「舞い上がってしまい、失礼しました。……ご覧ください、これらがその料理です」
ヴィクトルが、手巻き寿司の残りを指さす。だがロランの表情は硬いままだった。
「試食など、ウードたちにしてもらえばよかろう。あるいは、茶会に来られているご夫人方でも。なぜわざわざヴィクトル殿に頼む必要がある?それも、夜に」
ジャスミンは、唇を噛んだ。弁明のしようが無い。前世の話はしたくなかった。信じてもらえるはずが無い。
「お互い、空いている時間が今だったからです。ヴィクトルさんに頼みましたのは、その……」
「僕は絵師として、あちこちを放浪しておりましたから」
ヴィクトルは、ジャスミンの話を引き取った。
「彼女は以前に食したことのある料理を再現しようとしていたのですが、どこで食べたか思い出せなかったのです。各地の料理に通じている僕なら力になれるのではと、協力していた次第です。ですが、確かに夫のいる女性とこの時間に二人で会うのは軽率でした。申し訳ありません」
ヴィクトルがロランに向かって、深々と礼をする。無難な切り抜けに、ジャスミンは小さく吐息をついた。
「ロラン様。神に誓って、やましいことはございません。ですが、誤解されても仕方ない真似をしました。その点は、お詫び申し上げます」
ジャスミンもまた、丁重に礼をした。ロランはしばらくの間、並んだ皿と二人を見比べていたが、やがてため息をついた。
「ひとまずは、信じるとしよう。だがヴィクトル殿には、本日限りでサロー領へお戻りいただくとする。肖像画も完成したことだしな」
「まあ、仕上がったんですの?」
ジャスミンは、顔を輝かせた。
「是非、拝見したいですわ。……ああそうですわ、もうバレてしまったのですもの。ロラン様、新作料理を召し上がっていただけませんこと?完成のお祝いも兼ねて」
だがロランは、静かにかぶりを振った。
「結構。誕生日当日にいただくとしよう。‘サプライズ’なのであろう?」
後半を皮肉っぽく強調しながら、ロランが言う。そのまま彼は、踵を返すと厨房を出て行った。




