意外な訪問者
屋敷へ帰ると、ゴーチェが迎えに出て来た。何やら、深刻な様子だ。
「お帰りなさいませ、奥様。……実は、奥様の知人と申す男が訪ねてきたのですが。何者なのでしょう?本当に知人かもわかりませんので、応接間には入れずに待たせているのですが」
「……?誰かしら」
玄関をくぐって、ジャスミンは目を丸くした。そこに佇んでいたのは、ヴィクトルだったのだ。柔らかそうな茶色の髪をなびかせている。
「ヴィクトルさん!」
「やはり、お知り合いで?」
ゴーチェが尋ねる。ジャスミンは弾んだ声音で、ええと頷いた。
「サロー家のお抱え絵師なのよ。名前はヴィクトル」
「さようでございましたか」
ゴーチェは、安堵の表情を浮かべた。
「失礼いたしました。それでは、改めてお通しいたしましょう」
ヴィクトルを応接間へ通すと、ジャスミンは彼と向き合った。
「一体全体、どうして突然訪ねて来たんです?」
意外な訪問者あり、というパスカルの占いを思い出す。早速当たったというわけか。
「驚かせてごめんね。今度、こちらの旦那様がお誕生日を迎えられるだろう?それでサローの旦那様が、プレゼントとしてご夫妻の肖像画を描くように仰ったんだよ。そのためしばらく滞在させていただきたく、参ったというわけ」
そういえば父がそんなことを言っていたな、とジャスミンは思い出した。
「もちろんよ、ありがとう。それで、誕生日前に来たんですね?」
ヴィクトルは、頭を掻いた。
「実を言うと、もっと前からオリオール領には来させてもらってたんだけれど。肖像画を描くに当たって、領内の雰囲気を知りたくて。気に入った風景がいくつもあったので、良い絵がたくさん描けたよ」
「そういえば……。あちこち回っては風景を書いている男性絵師がいると聞いたわ。ヴィクトルさん、あなたのことだったのね」
ジャスミンは、茶会での噂話を思い出していた。道理で、ギョームが騒ぎ立てなかったはずだ。ヴィクトルの正体を知っていたからだろう。
「うん。そのせいで、このお屋敷に来るのが遅くなった。悪かったね」
ヴィクトルが、ぺこりと頭を下げる。いえ、とかぶりを振りながら、ジャスミンはふと思いついた。せっかく、前世での知り合いと会えたのだ。彼にも寿司の試食をしてもらおうか。
「ヴィクトルさん。肖像画を描くためにしばらく滞在すると仰ったわね?頼みたいことがあるのだけれど」
ジャスミンは身を乗り出すと、現在寿司作りに取り組んでおり、ロランの誕生日に振る舞うつもりなのだ、と説明した。
「よかったらここにいる間、試食をしてもらえないかしら?本当のお寿司の味を知る人に、批評してもらいたいの」
「もちろん」
ヴィクトルは、即答した。
「元々、海産物と米の貿易が始まると聞いて、真っ先に寿司を思い浮かべたからね。前世では、大好物だったんだ」
「ああ、助かりますわ」
ジャスミンはほっとした。
「ロラン様には内緒にしていてくださいね?当日のサプライズにしたいので」
「了解」
大きく頷いた後、ヴィクトルは茶色の瞳をしばたたかせた。
「それにしても君は、今世を楽しんでいるんだね。僕なんかは前世の記憶を取り戻してからというもの、少し落ち込んでしまって。いや、絵師の仕事は気に入っているよ?でも前世なら、ああいう便利なものがあったとか、そんなことを考えてしまってね」
「うーん……。私は単に、食に関心があるから。工夫すれば、前世の料理に近いものが作れるな、と思っているだけですわ」
主目的は酒だが、恥ずかしいので食と言い換える。だがヴィクトルは、感心した様子だった。
「その工夫精神がすごいと言ってるんだよ。前向きで、魅力的だ」
ヴィクトルがにっこりする。やや気恥ずかしく感じた、その時だった。
不意に、咳払いの音が聞こえた。振り返れば、いつの間にかロランが入って来ているではないか。
‘お寿司のお話、聞かれなかったかしら……?’
心配したジャスミンだったが、ロランはそのことには触れなかった。ヴィクトルをじろりと見やる。
「客人がお見えだと聞いたので。その方か?」
「お初にお目にかかります、オリオール辺境伯様。ヴィクトルと申します」
ヴィクトルは素早く立ち上がると、うやうやしく礼をした。
「サローの家でお抱えの絵師なのですわ」
そう言うとジャスミンはロランに、肖像画の件を説明した。
「……というわけで、しばらくこちらへ滞在させてあげても?」
「そういうわけなら、構わないが」
ロランはそう答えたが、何だか気乗りのしない素振りだった。
「ヴィクトル殿。そなたはサロー侯爵のお抱えになられて長いのか?」
「お抱えになったのは、最近ですが。腕には、自信がございます。よろしければ、ご覧ください」
ヴィクトルは、持参していた絵を見せようとしたが、ロランは押しとどめた。
「それには及ばない。サロー様の審美眼は、信用しているのでな。……だが今回は、私の肖像画のみに留めてもらおう」
ジャスミンは、内心首をひねった。確かにロランの誕生日なのだから、ロランの絵を優先するのはわかる。だがジャスミンの絵を描く余裕はあるというのに。とはいえ、ロランの表情から察するに、決意は固いようだ。不審に思ったものの、ジャスミンは素直に従うことにしたのだった。




