まずは需要調査を
その翌日、ジャスミンが試食会へ行こうと急いでいると、ロランが呼び止めてきた。
「ちょっといいか。話があるので、書斎に来て欲しい」
珍しいこともあるものだな、とジャスミンは思った。屋敷に戻ってからのロランは、日々部屋で書類仕事をしたり、鍛錬をしたりして過ごしていた。相変わらずジャスミンとは関わる気が無いようだったのに、どういう風の吹き回しだろう。
書斎で向き合うと、ロランは意外なことを言い出した。
「ゴーチェから帳簿を見せてもらって、確認した。確かに、支出が減っている。主に君の酒代だな。新たに購入した香辛料の分を差し引いても、釣りが来るほどだ。よくやった」
「いえ、今までが飲み過ぎでしたので。……でも、ありがとうございます」
褒められるとは思いもせず、ジャスミンは少し赤くなった。だが次の瞬間、ロランの眼差しは険しくなった。
「しかしだな。毎日開いている、あの試食会とやらは何なんだ。何の意義がある?」
「それは……、使用人の手を煩わせると悪いかと思い、自分で夜食を作っていたところ、彼らがそのレシピに興味を持ちまして。教えがてら、一緒に食べてみる習慣になったのです」
ロランの眉間には、きつい皺が寄った。
「事情はわかったし、使用人と良い関係を築くのは、決して悪いことではない。君の飲酒量が減ったのは、夜食作りを始めてからだと聞いているしな。……しかし、毎日開催する必要はあるのか?」
うっと、ジャスミンは詰まった。
「そんな暇があるなら、この領内に役立つことをして欲しい。私の方は、もうサロー領との貿易に向けた準備を始めている。あちらには、有益な資源がたくさん眠っているからな。海産物と引き換えに何を輸入しようか、慎重に比較検討しているところだ」
ぎえーっと、ジャスミンは叫びたくなった。
‘着々と、準備が進んでいるわ!米でないとダメなのよ!’
「わ、わかりました。頻度を減らします」
「そうしてくれ。今の君の所業は、まるで料理学校だ。学校なら、授業料を取れるからいいが」
フンと、ロランが鼻を鳴らす。むう、とジャスミンは口を尖らせた。
‘何よ。仕事の虫!金の亡者!’
口には出せないので、心の中で思い切り罵倒する。その時、控えめなノックの音がした。ゴーチェだった。
「お話中失礼いたします、旦那様。そのう、塔守のギョーム殿がお見えです。何だか色々と報告があるようですが、わたくしの方でうかがっておきましょうか?」
噂をすればか、とジャスミンは思った。ゴーチェの困ったような表情から察するに、恐らくは重箱の隅をつつくような案件を持ち込んだのだろう。
「いや、私が聞こう。ジャスミンも、同席なさい。どうせくだらぬ報告だろうが、少しは勉強になるだろう」
一瞬うんざりしたような表情を浮かべたものの、ロランはそう言った。あまり顔を合わせたくないが、ジャスミンは渋々その場に留まることにした。
ややあって、ギョームが入室する。彼はジャスミンをチラと一瞥した後、ロランに向かってうやうやしく礼をした。
「領主様。お目通りをお許しいただき、ありがとう存じます。実はこの度、重要なご報告がありまして……」
ギョームの報告内容は、どこそこの家の門番が仕事を怠けがちなため泥棒に入られた、これは領内の治安にも影響するのではないか、という予想通り些末なものだった。ロランはどう出るのだろうかと思ったジャスミンだったが、彼は意外にも微笑んだ。
「いつも丁寧な報告をありがとう、ギョーム殿。門番の雇用は各家の裁量ではあるが、治安に繋がるとなれば、気にとめておかねばならないな」
「ありがたきお言葉!」
ギョームが、パッと顔を輝かせる。褒められて調子づいたのか、彼はこんなことを言い出した。
「では恐れながら領主様、あの件はお聞き及びでしょうか。領主様がご不在だったため、先日、奥様にお伝えしたのですが……」
思い切り猜疑の眼差しで、ギョームがジャスミンをじろりと見る。市場で言われた件か、とジャスミンは内心舌打ちした。市場のどこやらの女店主の香水がきつい、とか言っていた。あまりにもくだらなかったため、脳内から吹き飛んでいたのだ。ジャスミンが信用できないので、領主に直談判と来たか。
‘まずいわね。米の輸入がかかった重要な時期に、旦那様のご機嫌を損ねたりしたら……’
一瞬ひやりとしたジャスミンだったが、ロランは思いがけなくも、ギョームの言葉を遮った。
「もちろん、聞いているとも。その件については、妻ともじっくり話し合っていたところだ。それゆえ、対応は先になるが……」
「とんでもありません!私めの意見をご検討くださり、ありがとうございます!」
ギョームが、顔を紅潮させる。うむ、とロランは頷いた。
「ギョーム殿の細やかな目配りには、いつも感謝しているところだ。今後とも、よろしく頼むよ」
「恐れ入ります。では報告は以上ですので、それでは」
丁重に礼をして、ギョームが退室する。ジャスミンは、ロランをチラと見た。
「ご報告なんて、していませんのに」
「構わない。どうせ、くだらぬ内容だったのだろう?私を煩わせまいと、配慮してくれたのだな。助かるよ」
単に忘れていただけなのに、ロランは都合良く解釈してくれたようだった。
「今日の報告もどうでもよい話だが、ああ言っておいたのだ。観察力は、塔守にとって重要な能力だからな。あの男も懐柔しておけば、いざという時に役立つだろう」
ロランは、涼しい顔で語っている。冷たい印象だった夫だが、案外人たらしだなとジャスミンは思った。……そして、策士でもある。
「そうですわね。では私、彼を見送ってまいりますわ」
ジャスミンは、そそくさと席を立った。ギョームと接触するためだ。
「ギョームさん!」
呼びかけるとギョームは、機嫌の良さそうな顔で振り返った。
「ああ、あんた。見直したぜ。市場で伝えた件、ちゃんと領主様に報告していたんだな。何もご対応が無いから、てっきり、あんたが言ってないのかと思っていたぜ」
「夫は、つい最近まで不在でしたもの。それに、言っていましたでしょう?重要な案件だからこそ、旦那様は慎重に対応なさりたいのよ」
「そりゃあ、光栄なことだ。まあ、当然だが。前世でも、わしの活躍のおかげで、マンションの平和が保たれていたんだから」
ギョームが、これ以上できないくらい胸を張る。その口うるささで、逆に平和を壊していた気がするが、とジャスミンは思った。
とはいえ、もちろんそうは言えない。ジャスミンは、好機とばかりに微笑んだ。
「全くですわ。……ところでギョームさん。旦那様も認める、ギョームさんのその能力で、知りたいことがあるのだけれど。領内のことです」
「何だい?何でも聞いてくれ。この領内で、わしが知らないことは無いよ」
ギョームは勢い込んだ。
「知っての通り、お隣サロー領とは違って、我が領ではお米を食べる習慣がありません。でもお米って、栄養価が高いし、簡単な工夫で美味しくアレンジできます。だから私としては、お米の輸入を考えているんです。……というわけでギョームさん。領民のお米の需要がどれくらいあるのか、調査していただけません?」
「お安いご用だ」
ギョームは、即答した。
「というより、わし自身が食べたいね。前世の記憶を取り戻してからというもの、白米が恋しくなっちまって。……よし、輸入実現に向けて、前向きに調べてみよう」
渡りに船だ、とジャスミンは思った。
「よろしく頼みますね。あ、それから、この件は旦那様ではなく私に報告して欲しいの。旦那様もお忙しいですから、この件は私に一任されていますのよ」
ジャスミンはそう言って、にっこり微笑んだのだった。




