第70話 二人で乾杯
店員がおしぼりとメニューを置いて部屋を出ていく。
個室には。
直人とレナ、二人だけ。
レナは少し緊張した様子でメニューを見つめていた。
「何飲もうかな……」
「甘いの好きだったよな?」
「うん」
直人はドリンクメニューを開く。
「カシスオレンジ」
「ファジーネーブル」
「ピーチフィズ」
「この辺は飲みやすいと思う」
「なおくん詳しいね」
レナが笑う。
「バーで働いてるからな」
「そっか」
レナは少し考えてから。
「じゃあ」
「カシスオレンジにしようかな」
「俺もそれにする」
「え?」
レナは少し驚いた。
「なおくんも飲むの?」
「ああ」
「今日は休みだし」
「たまにはな」
レナは嬉しそうに笑う。
「なんか安心した」
「どうして?」
「なおくんって」
「飲まないイメージだったから」
「普段はあんまり飲まないよ」
「今日は特別」
その一言だけで。
レナは少し嬉しくなった。
店員を呼び。
料理と飲み物を注文する。
しばらくして。
グラスが運ばれてきた。
「乾杯」
カチン。
二人のグラスが静かに触れ合う。
一口飲む。
「美味しい」
レナが自然と笑顔になる。
「飲みやすい」
「そうだな」
料理も並び始める。
枝豆。
唐揚げ。
焼き鳥。
だし巻き卵。
「いただきます」
二人は笑顔で箸を伸ばした。
しばらく他愛もない話をしながら食事を楽しむ。
ふと。
レナが笑った。
「幼稚園の頃は」
「毎日一緒だったね」
「ああ」
「帰るのも一緒だった」
「公園にもよく行ったな」
「鬼ごっこしたり」
「泥だらけになって遊んだり」
「先生にも怒られたね」
二人は顔を見合わせる。
「懐かしいな」
「うん」
レナは笑いながら頷いた。
その時だった。
レナの頭に。
幼い頃の記憶が蘇る。
――『大きくなったら、お嫁さんにしてね』
――チュッ。
(あっ……)
思い出した瞬間。
顔が熱くなる。
(な、何思い出してるの……)
思わずグラスを手に取る。
一口飲む。
(なおくん……)
(あの約束)
(覚えてるのかな)
聞きたい。
でも。
(もし忘れてたら……)
そう思うと。
どうしても聞けなかった。
「レナ?」
「えっ?」
「どうかした?」
「う、ううん!」
「何でもない!」
レナは慌てて笑う。
「そう?」
「ああ」
直人も笑った。
けれど。
直人もまた。
同じことを思い出していた。
(あの約束……)
(レナは覚えてるのかな)
聞きたい。
でも。
(忘れてたら……)
少し怖かった。
「なおくん?」
「ん?」
「本当に何でもない?」
「ああ」
「何でもないよ」
直人は優しく笑う。
レナも笑い返した。
二人とも。
同じことを思い出し。
同じことを聞きたかった。
それなのに。
あと一言が。
どうしても口にできない。
沈黙さえ。
どこか心地良く感じる。
そんな時間が。
二人の間に流れていた。




