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第32話 その女の人誰ですか?

 朝。


 河川敷。


「今日は頑張ったね」


 朝比奈葵が笑う。


「朝比奈が速すぎるんだ」


「それは否定しない」


 本人も認めた。


 相変わらず勝てる気がしない。


 ランニングを終え。


 シャワーを浴び。


 駅前で待ち合わせる。


「朝ご飯どうする?」


 葵が聞く。


「どうするって?」


「せっかくだし食べてから大学行こうよ」


 自然な流れだった。


 最近はこういうことも増えた。


 だから。


「いいよ」


 特に深く考えず答える。


 ファミレス。


 二人席。


 朝食。


 他愛もない会話。


「最近どう?」


「普通」


「普通じゃないでしょ」


 笑われた。


「女の子増えてるじゃん」


 危うくコーヒーを吹きそうになった。


「増えてない」


「増えてる」


 即答だった。


 納得できない。


 だが。


 その話はそこで終わった。


 大学へ向かう。


 二人並んで歩く。


「東條くん」


「ん?」


「最初よりだいぶ話すようになったね」


「そうか?」


「うん」


 葵は笑った。


「最初、本当に喋らなかった」


 それは否定できない。


 今でも得意ではない。


 ただ。


 前よりは少しだけマシになったと思う。


 その時だった。


「あっ!」


 後ろから聞き覚えのある声。


 振り返る。


 嫌な予感がした。


 そして。


 当たった。


「先輩だー!」


 音羽結衣だった。


 全力で走ってくる。


 嫌な予感しかしない。


「おい」


「えいっ!」


 ガシッ。


 腕を組まれた。


「何してる!」


「おはようございます!」


 会話になっていない。


 結衣は満面の笑みだった。


 そして。


 葵を見る。


 数秒。


 見つめる。


「先輩」


「ん?」


「その女の人誰ですか?」


 空気を読め。


 本当に読め。


「朝比奈葵」


「友達」


 葵が苦笑する。


「朝比奈葵です」


「あっ」


 結衣も頭を下げた。


「音羽結衣です!」


 元気だった。


 朝から元気だった。


「東條先輩にはお世話になってます!」


「なってない」


「なってます!」


 なっていない。


 たぶん。


「先輩のこと好きです!」


 沈黙。


 数秒。


 沈黙。


 俺は頭を抱えた。


「違うから!」


「声が!」


 結衣が叫ぶ。


「声が好きなんです!」


 知っている。


 何回も聞いた。


 たぶん十回以上聞いた。


 葵は状況を理解したらしい。


 少しだけ笑った。


「ああ」


「そういうこと」


「そういうこと」


 本当にそういうことだった。


 結衣は悪くない。


 悪くないのだが。


 説明が足りない。


「先輩」


「何だ」


「この前ライブ来てくれました!」


 嫌な予感しかしない。


「そうなんだ」


 葵が言う。


「うん!」


 結衣は嬉しそうだった。


「格好良かったって言ってくれました!」


 言った。


 確かに言った。


 だが。


 それを今言う必要はない。


 葵が少しだけ目を丸くする。


「へぇ」


 その一言が妙に気になった。


「結衣ちゃん」


「はい!」


「ライブやってるんだ?」


「バンドです!」


 そこから。


 なぜか二人は普通に会話を始めた。


 初対面のはずなのに。


 結衣は誰とでも話せる。


 少し羨ましいくらいに。


 大学の門が見えてくる。


 すると。


 結衣が再び俺の腕を掴んだ。


「先輩」


「何だ」


「今度カラオケ行きましょう」


「考えとく」


「行きましょう」


「考えとく」


「行きましょう」


 会話が成立しない。


 すると。


 葵が吹き出した。


「大変だね」


「本当に」


 心からそう思った。


 だが。


 結衣は楽しそうだった。


 そして。


 葵も笑っていた。


 少し前なら想像もしなかった。


 女の子二人と話しながら大学へ通う日が来るなんて。


 数か月前の俺なら。


 信じなかったと思う。

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