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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
125/125

【番外編】これからヨロシク・これからもヨロシク

 マドイの美へのこだわりは半端ない。

それは前から分かっていたことだったが、いざ結婚してみると、ラーニャが思っていたよりずっと、彼の美に対する執念は凄かった。

朝起きれば洗顔用の超高級石鹸で顔を洗い、特注の化粧水と乳液と美容液と日焼け止めを顔に塗りこみ、自慢の銀髪に椿油をなじませ、ブラシを三本使い分けて髪を丹念にとかす。

仕事から帰ると、スタイルを維持するための体操。

夜はまず二時間近く風呂に入り、出たら全身マッサージ、次に保湿用のローションを体に塗りたくり、朝と同じく顔と髪のお手入れをして、最後に爪をピカピカになるまで磨く。

おそらくマドイは余暇時間の半分以上を、自分磨きに費やしているのだろう。

マドイの女優並みのこだわりに、最初は我慢していたラーニャも、彼のあまりの美容バカぶりに、そのうちイライラが募ってきた。


「おいマドイ! 前から思ってたけど、お前見た目にこだわりすぎなんだよ。もうちょっと鏡を見る時間減らしとけよ」


 結婚して一月ほど経ったころ、ラーニャはついに不満を口に出した。

だがマドイは怒鳴られても、手の爪をヤスリで削るのをやめずきょとんとしていた。


「何を今更。私がこういう人間だとは分かっていたことでしょう?」

「でもよお、朝から晩までごちょごちょごちょごちょ。いい加減やりすぎだっつーの」


 いくら美形で容姿にこだわりがあるとはいえ、新婚なんだからもう少しかまってくれてもいいだろう。

ラーニャは口にこそ出さなかったが、そう思っていた。

夫が鏡ばかり覗いてこちらを見てくれないなんて、空しいにも程がある。

しかしマドイには、ラーニャの不満がピンと来ないらしかった。


「やりすぎって、これくらい普通ですよ。女性なら皆そうしているでしょう?」

「してねーよ。貴族の我侭娘でも、そこまでじゃないって」

「ラーニャは手入れをしないから分からないんです。顔を洗っても何も付けないし……。いつももう少し何とかしろと言ってるでしょう」

「だって、面倒くさいじゃねーかよ」


 ラーニャはマドイとはま逆で、お手入れは必要最低限しかしない。

もちろんパーティの前などにはそれなりのことをするが、日常でいちいち塗ったりつけたりなど、かったるくて仕方ないのだ。


「オレだって何もしてないのに、ニキビも何もないし。マドイだってもう少し手を抜いても平気だろ」

「平気じゃありません! 褐色の貴女とは違い、白い肌は染みも目立つし、何より日光に弱いんです。油断したらすぐに、シミですよ。シミ! 嗚呼恐ろしい」


 マドイは大げさに顔をしかめて見せた。


「体だって同じです。油断したらすぐに緩む。ラーニャも何も考えずに食べていると、すぐに猫から豚になりますよ」

「平気だよ。だってオレ太らないもん」


 ラーニャは体質のせいなのか、食べてもほとんど太らない。

結婚してからというもの、城での食事が美味しくて毎日三食おかわりしているが、体型に目立った変化はなかった。

だからマドイのように神経質にならなくても大丈夫だろう。

ラーニャはそう思って夫の忠告を聞き流したが、それからしばらく立ったある日、小さな異変が起こった。


 朝、久しぶりにウエストの締まったワンピースを着ようとしたのだが、腹がつっかえたのである。

洗濯のせいで生地が詰まったのかもしれなかったが、今まで成長以外で服がきつくなったことなどなかった。


 ひょっとしたら、太ったのかもしれない。

ラーニャは顔から血の気が引いて行くのを感じた。

「オレは太らない」なんて大見得を切ったのに、もし太ったとなればマドイに何と言われるか。

それみたことかと嘲笑うマドイの顔が、脳裏に浮かんだ。

彼に知られる前に、一刻も早くこの腹を引っ込めなければならない。


 その日からラーニャはおかわりを止め、運動に励んだが、一旦出た腹はなかなか引っ込まなかった。

それどころか、調子に乗ってどんどん前に出てくる始末である。

このままでは、マドイにばれるのも時間の問題だ。

今は体型が分かりにくい、ゆるいワンピースを着てなんとかしているが、マドイも周囲の人間も、そういつまでも騙しきれるものではない。


 ラーニャの危惧は悲しいことに的確だったらしく、ミカエルとアーサーに久しぶりに会うと、まず挨拶より先に、体型のことを指摘されてしまった。

「ラーニャ、随分おなか丸くなったねっ」と、笑うミカエルをどつきたくなったが、太ったのは自分の責任なのでぐっと堪える。


「そんな風に言うなよ……。オレだって頑張ってるんだからさ」


 ラーニャがぼやくと、それにミカエルではなくアーサーが答えた。


「頑張ってるって、頑張ってないからこんなおなかなんですよ。全く、これだから既婚の女は困りますね」


 アーサーは、何故か勝ち誇ったような笑顔だった。

ラーニャが太って、何がそんなに嬉しいんだろうか。


「何笑ってんだよ。それに既婚だの何だの、オレが太ったのに関係ないだろ?」

「関係大ありですよ。永久就職先が決まったからって、日がな一日中寝転んでおやつ食べてたんでしょ? そんで豚みたいにブクブク太って。あーいやだいやだ」

「豚って――。オレはそこまで太ってないぞ」

「結婚したときより太る女はみんな豚ですよ!」


 アーサーはきっぱりと断言した。

 

「しっかし、マドイ殿下も負け組ですよね。せっかく年下と結婚できたと思ったら、新婚早々豚になっちゃって。だいたい結婚する男なんてみんな負け組なんですよ。女なんて結婚したら図々しくなるし、そのうち老けるし、だいたい何年も一緒にいたら、飽きてくるじゃないですか」

「飽きるって、なんだよ。玩具かよ」

「あー良かったー。僕独身で良かったー」


 アーサーは空しささえ感じるような、晴れやかな笑顔だった。

ラーニャはアーサーをどうしようもない男だと思って、呆れて見ていたが、ミカエルは彼と同感なのかウンウン頷いている。


「やっぱりそうだよねっ。長くいると図々しくなるし、おまけに飽きるよねっ」

「さすがミカエル様。話が分かる!」

「何もしないくせに金ばっか食うし、ハッキリ言ってお荷物だよね」

「そうですよ。そうですよ」

「いても意味がない存在だよねー」


 二人の会話を、ラーニャは唖然として見ていた。

少し前までミカエルは、アーサーが非常識な発言をするとすぐに諌めていたのだが、もしかして、長く一緒にいたせいで毒されてしまったのだろうか。


 ラーニャは変わり果てた友の姿に絶望的な気持ちになる。

しかし次の瞬間、ミカエルは思わぬことを言った。


「――というワケで、アーサー今からクビねっ」

 

 ラーニャとアーサーは、二人で「へっ!?」と叫んだ。


「ミ、ミカエル様! ご冗談を――」

「冗談じゃないよ。アーサー、君クビねっ」

「え、な、なんで……」

「だって飽きたしっ!」


 目の前にいる長身の金髪少年は、とんでもない解雇理由を言い放った。

アーサーは全身を、特に膝をガクガクさせながら、非情な元雇い主に食い下がる。


「あ、飽きたってなんですか。そんなの理由にならないですよ!」

「君が結婚相手に飽きるみたいに、ボクも護衛騎士に飽きるんだよ。長くいて図々しくなってきたし、何もしないくせに金ばっか食うし」

「そっ、そんな! そんなこと――!」

「それに君、ボクを守るどころか、迷惑ばっかかけてくるじゃないっ。君とデートした女の子と、その親からの苦情、全部ボクに来るんだから!」


(そりゃークビにもなるわな)


 むしろ今まで雇われていた事の方が奇跡に近かった。

ラーニャへの暴言がきっかけとなって、ミカエルも我慢の限界に達したのだろう。

自分の発現を逆手に取られただけに、アーサーは元主人へ何も言うことができない。

うずくまってべそをかく彼に、ミカエルは片手をひらひら振った。


「というわけで、とにかく飽きたからっ。バイバイ!」

「ウソだぁ。クビなんて嫌だー!」


 泣き喚くアーサーは、異変を聞きつけた近衛騎士たちによって引きずられていった。

いくら彼が悪いとは言え、あまり気分の良くない光景である。


「おい、本当に良いのかよ? 長い付き合いなんだろ」

「三ヶ月ぐらいしたら、また雇ってあげるよ。ああいうの、ほっといたら何するか分からないからっ。まぁいい薬になったでしょ」


 ミカエルはミカエルなりに、部下のことを考えているらしい。

しかし一度首になったくらいで、あのアーサーが性根を入れ替えるとはいまいち思えなかった。

また同じことを繰り返しそうだとラーニャが危ぶんでいると、思い出したようにミカエルが言った。


「話は戻るけどさ、ラーニャホントおなか出たよね」


 彼はどうしても、出てきたラーニャの腹に興味があるらしい。

ラーニャは口を屁の字に曲げて、無神経な彼を睨んだ。


「なんだよ。むし返すんじゃねーよ」

「ダイエットしてもへっこまないんでしょっ? ひょっとして妊娠してるんじゃないの?」


 「妊娠!?」と、ラーニャは叫ぶ。

そのうちするかとは思っていたが、今がそのときなんて考えてみもしなかった。


「まっさかぁ。そんなわけねーだろ」

「今のおなかじゃ妊娠かどうか微妙だけど……。でも一応考えておいた方がいいよ。何かあってからじゃ遅いんだからっ」


 ミカエルの熱心な勧めと、何より王宮には医師が常駐しているというのもあり、ラーニャはとりあえず診てもらうことにした。

結果はなんと妊娠四ヶ月。

ラーニャは芝居のような劇的な兆候もないまま、あっさりと妊婦になった。


 ラーニャのおめでたを知って、本人より喜んだのがマドイである。

まだ生まれてもいないのに半泣きになり、ラーニャの腹に頬ずりした。

元々子供を欲しがっていたし、余程嬉しかったのだろう。

次の日にはこれから父親になる男向けの雑誌を取り寄せ、熱心に読みはじめた。


「おい、ちょっと気が早いんじゃないのか?」

「早くありません! あと半年もしたら生まれるんですよ。あ、これ見て下さい。『理想の父親像大特集』ですって」


 雑誌を読みふけるところは、さすがミカエルとそっくりだ。

すこしせっかちな気もするが、父親の自覚がもてないよりはずっとマシである。

しかし「妻の妊娠」で、何かスイッチが入ってしまったのだろう。

妊娠が発覚して数日後、ラーニャがマドイの部屋に入ると、彼は頭に手ぬぐいを巻いてギコギコとのこぎりを振るっていた。


「どうしたんだ? お前が大工仕事なんて」


 ラーニャが驚いて訪ねると、マドイは得意げに笑った。


「何って、子供が遊ぶための小屋を作ってるんですよ」


(子供のための小屋ぁ?)


 まだ生まれてもいないのに、今から遊具を作るなんてどれだけ気が早いのか。

いや、それより、経験のないマドイが切った板切れは歪でとても材料になりそうもないし、そんな彼が釘など打てるはずがないし、なにより大工仕事は室内でするものではない。

何処から突っ込んで良いのか分からず、ラーニャは言葉に詰まるしかなかった。


「……。何か上手く言えないけど、やめといと方がいいと思うよ」


 きっと小屋が完成する前に、部屋はおが屑やらで使い物にならなくなるだろう。

そもそも、どうして彼は小屋など作ろうと思い立ったのか。


(お前舞い上がりすぎだろ)


 ラーニャはよっぽど口に出して言おうかと思ったが、妊娠を喜んでくれるマドイの気持ちを傷つけたくなかった。


「とりあえず、大工仕事してみたかったら、工作キットから始めてみるといいんじゃねーかな?」

「そんなんじゃ、子供が喜ばないでしょう?」

「あのなー。いきなり三歳児で生まれてくるわけじゃねーんだぞ。大きくなる前に上手くなればいいじゃねーか」


 妻の言い分も尤もだと納得したらしく、マドイは子供向けの工作キットで練習に励むようになった。

当然釘を打ったりしていれば指先が荒れてくる。

だがマドイはあんなに気にしていた爪が汚くなっても、不満ひとつこぼさなかった。

今までが今までだったから、これくらいがちょうどいいかとラーニャは思ったが、マドイの変化はこれだけに留まらなかった。

なんと美容にかける時間のほとんどを、激しい筋肉トレーニングに費やすようになったのである。


「マドイ、急にどうしちゃったんだよ? ムキムキになるのは嫌だって言ってただろ?」


 マドイは今まで、男性的な美より、中世的な美を追い求めてきた。

なのにそんな激しいトレーニングをしたら、彼の理想とは全く違う方向に行ってしまう。

しかしマドイ自身は、そのことを全く気にしていないようであった。


「何言ってるんですか。私は父親になるんですよ。良い父親には力拳くらいないと」


 自慢の銀髪を無造作に結い上げたマドイは、呆れたように笑っていた。


「でも、今だって非力なわけじゃねーじゃねーか。そんなことしなくていいだろ?」

「良い父親っというものは、たくましくないといけないんです。今みたいな細身じゃ、格好悪いじゃありませんか」


 本人がそう思うならいいのだろうと、とりあえずラーニャは納得したが、マドイの様子はどんどん妙になっていった。

美容道具は物入れに片付けてしまったし、その代わり、今までほとんどしなかった剣術の稽古を毎日するようになった。

「ゴミ置き場で泣いていたので、連れてきました」と、アーサー相手に模擬試合をしていたときは、目玉が飛び出るかと思ったほどである。


 どうやらマドイは、典型的な男らしい男を目指しているらしい――ラーニャがそれに気付いたのは、彼の口数がめっきり減ってからだった。

きっとマドイは、「父親」になるのをきっかけに、中性的でいるのをやめて「男らしく」なろうと思ったのだろう。

気持ちは分からないでもないが、無理に自分を捻じ曲げるのはかえって良くない事である。


 腹が誰が見ても分かるほど大きくなった頃、ラーニャは指を腫らしながら釘を打っているマドイに聞いた。  


「お前、最近無理してねーか? 辛いんだったらやめろよ」


 彼女の問いに、工作キットで練習に励むマドイはぎくりとしたようだった。

だがすぐに彼は曖昧な笑顔を浮かべて、とぼけてみせる。


「やめるって、何をやめろと言うのですか?」

「とぼけんなよ。最近無理して「男らしく」なろうとしてるじゃねーか」

「何を根拠に。そんなことありませんよ」


 鼻で笑って作業に戻ったマドイは、釘を打とうとして、かなづちで自分の指を打ちつけた。 

彼の細い指は、観賞用には優れているが、細かい作業をするには向いてないらしい。

だいたい小さい頃から傅かれて生きてきた王子様が、急に工作を始めようとして上手くいくはずがないのだ。


「やめろって、上手くなる前に指が壊れちまうぞ」

「ここで止めたら、子供に玩具を作ってやれないでしょう。ラーニャは黙って見ていなさい」

「玩具なんて、お前ならいくらでも買ってやれるじゃねーか。怪我してまで作る必要ないだろ?」

「お黙り! 買って与えた玩具と、手作りの玩具では、愛情に天と地の差があるんですよ!」


(そんなはずないと思うんだけどなぁ)


 買った物でも、親の気持ちが篭っていれば、手作り品となんら変わりはないはずである。

しかしマドイは手作りに執着しているらしく、いくらラーニャが説得しても、かなづちを振るうことをやめなかった。

筋肉トレーニングも、ラーニャの腹の大きさに比例してますます激しくするようになり、筋肉が付くにつれて、服装も飾りが無い物に変わってきた。

もちろん今までの華美な服は、物入れ送りである。


 なんだか無理をして男らしくなろうとしているうちに、今までのマドイが削れてなくなっていくようで、ラーニャは次第に怖い気持ちになってきた。

大好きだった美容や、今までの自分を捨ててまで、なぜマドイは男らしくなろうとするのだろうか。

確かに親になるのだから、何もかも変わらないわけにはいかないが、それでも限度というものがある。


 子供ができて嬉しさのあまり動転しているのか、今のマドイはすこしおかしい。


「髪を耳まで切ることにしました」


 そうマドイが言ってきたのは、ラーニャが彼の異変に気付いてすぐのことだった。

マドイの十年近く伸ばされた髪は、日頃の入念な手入れが物をいい、まるで銀糸のように美しい。

そんな何よりも大切にしてきた髪をあっさり切ってしまうなんて、とてもまともな思考の結果とは思えなかった。


「バカヤロウ! 何考えてんだ!!」


 マドイの髪切り発言を聞いたラーニャは、思わず彼を怒鳴りつけた。


「お前は十年かけて、髪をこんな綺麗にしたんだろうが! それを切るなんて、一体どうしたんだよ!?」

「どうしたも何も、父親になるからですよ。男親がこんな髪じゃ、子供に悪影響だと思いまして」


 マドイは激高するラーニャに対して、極めて冷静に受け答えた。

彼は大切な物を捨ててしまうことに、ためらいや迷いがないのだろうか。


「あのなー、切ってから後悔しても遅いんだぞ。元通りになるには、最低でも五年はかかるじゃねーか」

「で、でも、子供のためですから」

「子供の育ちと髪の長さに因果関係はねーよ!」


 髪を短くして子供が良く育つなら、世間の親は子育てに悩んだりしない。

考えてみる前に分かることである。


「マドイ、最近思ってたけど、お前最近おかしいぞ。無理やり美容道具しまったり、筋トレしたり。自分を変えるにしても、もうちょっと方法があるだろ?」

「だって、子供のためだもの。しょうがないじゃありませんか。私はただ『良い父親』になりたいだけなんです」

「無理矢理自分をゆがめて取り繕っても、『良い父親』になんかなれやしねーよ」


 そう言った途端、マドイが目を見開いたまま動かなくなってしまったので、ラーニャは言いすぎたと後悔した。

彼が無理をしているのは、ひとえにこれから生まれてくる子供のためである。

その愛情を、もっと酌んで上げるべきであった。


「ゴメン、オレが悪かったよ。言い過ぎた」

「やっぱり私は、『いい父親』になんてなれないのでしょうか……」

「何言ってんだ。お前は今のままで充分だろ?」


 だがマドイは俯き、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「でも私、男のクセに美容にばかり気にかけているし、見た目も女っぽいし。こんなわたしが父親になったら、きっと子供を不幸にしてしまいます」

「おいおい。そりゃちょっと考えがぶっ飛びすぎだろ。だいたいお前、あんなに子供欲しがってたじゃねーか。何今更しょぼくれてんだよ」


 ラーニャは落ち込むマドイを何とか励まそうとしたが、彼は急に石膏像のような堅い顔つきになると、そのまま近くにあったテーブルの上に突っ伏してしまった。

ずっしりと重い空気を背中に乗せながら、マドイは呟く。


「……私は子供の頃、まともに父上から接してもらったことがないんです」


 ラーニャはよっぽど彼に声をかけようかと思ったが、敢えて黙って様子を見守ることにした。

こういう時は、本人のペースで好きに喋らせてやるのが一番いい。

マドイは顔を伏せたまま続けた。


「……だから私、子供にどうやって接したら良いのか、全く分からなくて。そのことに、子供ができてからやっと気付いたんです。――馬鹿ですよね、私は。散々子供が欲しいと言ってきたのに」

「……」

「こんな私が父親になったら、子供を不幸にしてしまうんじゃないかと、急に怖くなったんです」

「――それで『いい父親』になるために、妙なこと始めたわけか」


 マドイは顔を上げると、ゆっくり頷いた。


「しかし、どーしてそれで大工仕事だの、剣術修行だの始めるかね。父親云々と関係ねーだろ」

「それは……」


 マドイは言葉を濁すと、ためらいがちに手元にあった雑誌を引き寄せ、ラーニャに手渡した。

手渡されたのは、いつかマドイが読んでいた育児雑誌である。

表紙には「理想の父親像大特集」と書いてあった。


「お前まさか、この特集記事を真に受けたとかじゃないだろーな」

「……」

「おいおいマジかよ」


 特集のページを開くと、そこには『騎士みたいに強い父親』だの『大工仕事のできる父親』だのが、理想の父親の要素として上げられていた。

あろうことかマドイは、ここに書いてあるほとんど全てのことを実行しようとしていたのだ。

もちろん彼が、雑誌の言うことをすぐ鵜呑みにするような馬鹿ではないと、ラーニャは知っている。

しかし鵜呑みにしなければいられないほど、マドイは父親になることに対して不安があったのだろう。


「雑誌を読んでみたら、書いてあることが私にはちっとも当てはまらなくて、それで余計に怖くなって――」

「マドイの大馬鹿野郎!」


 ラーニャは手加減せず、マドイの胸をはたいた。

驚きながらむせる彼にかまわず、感情の高ぶるまま、さらに胸をバスバス叩く。


「何でそんなに不安なら、オレに言ってくれなかったんだよ! 相談しろよ。オレたち夫婦だろ!」

「ちょっラーニャ……」

「それに子供を幸せにできないような男と、オレが結婚して子供作るはずねーだろーが。オレが認めたんだからもっと自信持てよ!」


 最後の方は、ほとんど涙声になっていた。

マドイの子供を思うゆえの悩みに胸が痛んだのと、それに気付かなかった自分への憤り。

そして妊娠中ゆえの情緒不安定が合わさり、ラーニャの気持ちはどうしようもないほど乱れていた。


「だいたい子供産むのはオレなんだぞ! 何テメー一人で育てる気になってんだ。そんなにオレが頼りねーかよ」

「違います。そんなつもりじゃ――」

「だったらもっと安心しやがれ。お前に分からないことがあったりしたときは、オレがいるんだから!」


 仕舞いにラーニャはマドイに抱きついて、べそをかき始めていた。

普段の彼女では絶対にありえない振舞いに、驚いたのはマドイである。

慰めたり撫でたり、必死になってラーニャをなだめた。


「ごめんなさい。私が何も言わなかったばっかりに――」

「謝るのはオレのほうだバカヤロー」

「でも、もう大丈夫です。ラーニャがいるんですもの。」


 マドイはそう言うと、にっこりと微笑んだ。

ラーニャに叱咤されたことで、悩む必要がないと分かったのだろうか。


「私は一体、何を悩んでいたんでしょうね。すぐそばにラーニャがいるのに」


 マドイはもう一度ラーニャの頭を撫でた。

ラーニャは急にべそをかいたのが恥ずかしくなって、体を離す。


「テメーはすぐ思い詰めるからな。反省しろ」

「じゃあ、また私が悩んだ時は、相談に乗ってくれますか?」


 マドイが呟くと、ラーニャは口を尖らせ、小さな声で「当たり前だろ」と嘯いた。











 ラーニャとマドイの子供は、予定日どおりに、医者も驚くほどの超安産で、無事この世に誕生した。

性別は男。

息子誕生の報せを聞いたとき、マドイは人目もはばからず号泣した。

産婆に取り上げられた赤ん坊は、身を清められた後、ラーニャの隣に寝かされる。

このくしゃくしゃの生き物が、自分の腹の中から出てきたのかと思うと、不思議でならない。

マドイは赤ん坊の横で、まだハンカチで涙を拭っていた。


「もういい加減泣くの止めろよ」


 呆れ顔のラーニャを見て、マドイはぐすぐすと鼻を鳴らす。

若干頼りないが、彼も今日から父親なのだ。


「オレたち、もう親になったんだなぁ。まさかマドイと子育てすることになるとは思わなかったよ」

「何を今になって」


 マドイは目をウサギのように赤くしながらはにかむ。

そんな彼を、ラーニャは金色の瞳でまじまじと見つめ、呟いた。


「……マドイ。これからもよろしくな」


 いきなり何を言うのかと、マドイは目を丸くする。

だがすぐに彼は「こちらこそよろしく」と言って微笑んだ。


「お前も、これからヨロシク」


 ラーニャは横で眠る我が子に、そう囁いたのだった。


これにて「激烈出稼ぎ娘」は全ておしまいです。

ここまで読んでくださった方、本当に有難うございました。

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[良い点] とっても良かった! 創作ありがとうございました
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