第五十九話 蔵狸摩攻防戦
旧校舎の裏側には、なだらかな丘がある。
草木に占拠されて、頂上には壊れた遊具の残された小さな公園跡地があるだけの、人があまり立ち入らない空間。
かつて傀機獣の攻撃を受けながら、地中のデミウルゴスの加護により辛うじて原型を留めた場所の一つである。
そしてそれきり、十五年戦争の後も人の手を加えられず、経年劣化と自然の侵蝕に呑まれて、現在の状況に落ち着いた。
元より生徒の寄り付かない場所であるが、文化祭等のイベント中は部外者の侵入を防ぐべく、坂の入り口手前にはバリケードテープが張られている。
雄二が校内で見つけた、父に似た面差しの男は、その手前で立ち止まっていた。
「……あ、あの……っ」
困惑する雄二。
ここまで追い掛けてきたものの、掛ける言葉が見つからない。
しかし男は、肩越しに雄二を見ると。
「少し登ろうか」
とだけ言って、バリケードテープを乗り越える。
旧校舎の一階窓はほぼ暗幕で閉められている。
二階はどうだっただろうか、いや、木々の奥では人の形も捉えられまい。
(明らかに、人気のない場所に誘われている)
言い表せない感情のままにここまで来た雄二でも、その程度の頭は回る。
だが、幾ら怪しくても。
この謎の人物を捨て置けるほど、自分の心を無視できない。
写真の中の父の顔を貼り付けた、何者かを。
通信デバイスで誰かに報告を。
そう思って手首を弄るが、通信障害で機能しなかった。
(どういうことだ?)
そう思っている間にも男は先に進み、今居る場所からは見えなくなる。
周囲を見回すが、見える人影はまばらで、誰もこちらを見ていない。
僅かに逡巡するも、意を決して後を追う。
ここが戦地でない、通う学校の敷地に隣接している近場だという油断。
相手の行動に選択を迫られて、この男と通信障害の関係を疑う思考に及ばない。
それが少年の失敗だった。
テープの向こう側は野草に覆われて、過去の林道を探すのも困難だ。
ズボンの裾もあっという間に汚れて、滅多に人の来ない場所だと実感する。
そういえば以前、この上の公園周辺に人が立ち入らない理由があると、怪談めいた迷信話を碧さんが奏さんに聞かせていたような……。
そこまで考えて、追い出すように頭を振る。
そんなのはどうでもいいと、雄二は木々の間の男を追う。
気付けばその背は、林道の中間で足を止めて佇んでいた。
今なら追いつける、そう思った途端。
言い得ぬ不安がよぎり、雄二もそれ以上近付くのを止めた。
「……どうしたんだ、雄二?」
こちらに向き直った男に、不安は一層強くなる。
誘き出されている。
そう分かっていたのに、男への興味、いや期待から、まともに考えなかった。
父かも分からぬ男の為に。
通信障害は続いている。
この場には雄二と男しかいない。
追うのを止めるや否や、招き寄せるかのようにこちらを見て名前を呼ぶ男。
これは――――
後ずさる雄二の背中が、何かにぶつかった。
見れば、ぶつかったのは謎の男だった。
ここまで追ってきた男と同じ姿をした、男だった。
思わず声が出る、それを男の手が塞いだ。
捕まった。
そう気付いて藻掻く雄二の前に、堰を切ったように次々と現れる人の姿。
樹木の陰から身を乗り出したのは、皆が同じ顔をした男。
父の顔をした集団が雄二に迫って。
「ふっ」
声と共に、雄二の視界を、父の顔が飛んでいった。
は?
思考が停止する、その間もなく。
少年の腕が引っ張られて、謎の集団との間に壁が立った。
衛守哲人が、雄二をその背に隠していた。
「教官――」
遅れて、首を失った男の体がすぐ近くに倒れた。
先程まで雄二を捕まえていた男の遺体。
いや、冗談だろう。
死んだのか――――混乱する雄二に哲人が呟く。
「切り口をよく見ろ、人じゃない」
切断面に見える、金属やチューブの人工物。
それは確かに、人間の首の構造ではない。
「あ、アンドロイド……!?」
「映像記録でしか知らないが、お前の父親の顔を使っているな」
「……はい」
雄二に迫っていた集団は、乱入者を前にして再び距離を取る。
攻めあぐねている様子に飛んだ首を思い出して、雄二は哲人に訪ねた。
「あの、教官はどうやって相手を倒したんですか?」
見た所徒手であるが。
そう思っていた雄二の目に、薄っすらと映るそれが疑問を吹き飛ばした。
剣がある。
軽く握られた哲人の拳、その親指の上に、半透明の刀身が。
それを認めると、空いた指の間にも柄らしい曇った何かがあると分かる。
念波動の刀剣だ。
「隠し玉だよ。
俺のような弱念奏者が護衛を兼任できる理由でもある」
現在姿が見える敵の数は四体。
その内の、最も近い一体が飛び掛かる。
重ねられる哲人の迎撃。
疾走る刃に片腕を断たれて、アンドロイドは地面を転がった。
「こいつら」
「僕が狙い、ですよね」
「ああ、それはそうなんだが。
今の攻撃、俺からの致命傷を避ける体捌きだった。
端から有効打にするつもりじゃなかったな」
「?」
言葉の意味が分からず首を傾げる雄二を背後に。
哲人は今斬った敵を見ながら、雄二を伴って後退する。
それは首を刎ねられたアンドロイドの傍らで、その倒れた背中に片手をついて。
起き上がるのかと雄二は思ったが。
何が目的なのか、アンドロイドは同型アンドロイドの背を突き破った。
手を差し込んで、そこから何かを取り出す。
「あれは……」
「動力炉だ」
「確かに、強い念波動を感じます」
「……そうか。
奴らに寄られないように気をつけろ、雄二」
何かに思い至った哲人は、注意を促しつつ護衛対象にそれを伝える。
「こいつら、転送機能を持っているぞ。
複数体の動力炉を燃料に、お前を目的地に飛ばす算段だ」
「転送機能機器って、使用を国で管理している重要機材ですよね」
「だな。
ここで攫った所で、俺たちと追い掛けっこになるだけだろうにと思ったが、
これは相手も相当金を注ぎ込んでやがる」
次は、四体同時に近付いてきた。
防衛側の武器が剣一本の現状、四方から攻撃には対処手段が限られる。
そして向こうは、人ではない。
「雄二、目を瞑って耳を塞げ」
人ではないからこそ、人間相手に有効な武器を自由に使える。
非致死性兵器に分類される、人体の感覚器官に効果を与える装備。
視覚、聴覚、嗅覚、痛覚に訴えて行動不能に追い込むものだが、これらの殆どは生躰変の台頭により過去の銃火器同様に利用価値を失った。
生躰変の本来の効果とは、感覚を鋭敏にするのでも、抑制するのでもない。
念波動と同じ、意識無意識から溢れた使用者の願いを叶える力の現れである。
その結果として、肉体強度が増し、目や耳が良くなっているだけなのだ。
それが何を意味するのか。
本来なら失明する光、鼓膜を破る気圧を、感覚喪失への恐怖が遮る。
人の生への執着が力となり、無力化に繋がる一切に抵抗する。
生躰変はそうして、生命維持と人生の謳歌を達成する究極の防御手段として君臨し、この牙城を崩す手段として、従来の兵器は評価されなくなってしまった。
生躰変の防御を貫くには、同質の力である念波動を用いるしかない。
もしくは上記の補助として。
心に攻撃を加えて、意識側から発する念波動の盾を剥がすか。
つまり、今回の場合だと。
一体目の、雄二の父親の似姿が崩れる。
突然うつ伏せに倒れると、四足起立で顔面を割り、そこから長い管を伸ばす。
二体目の、雄二の父親の似姿が叫ぶ。
雄二、こっちにおいでと、ただそれを連呼するだけの壊れたスピーカーに。
三体目の、雄二の父親の似姿が嘆く。
痛い、痛いと泣き叫びながら、残った片腕を振り回して童子のように。
四体目の、雄二の父親の似姿が笑う。
延命冠者の能面を顔に、一言も発さずただ迫り来る。
人間では不可能。
雄二の父、青海岳人を模したアンドロイドならではの手段。
標的、青海雄二への精神攻撃である。
「本当、雄二には有効な仕掛けなんだろうが」
哲人は黙って剣を正眼に構えた。
死に別れた親類を亡者として弄ぶ機械の使徒に、その切っ先を向けて。
「優しくしねぇぞ、悪趣味の代償だ」
踏み込む。
移動する哲人の先を狙い澄まして射抜く管。
これを真っ向より両断、
続けざまに返した切り上げが、二体目の胸部から顎まで振り抜かれた。
「お゛い゛で」
締まらない断末魔を最後に崩折れる。
これにアンドロイドたちの動きが一瞬止まった。
何故か。
それは二体目が、胸部ごと動力炉を断ち切られたからだ。
放たれた剣撃が、彼らの心臓を正確に撃ったのだから。
見せるべきではなかったのだ。
背中から動力炉を取り出した、あの一連を。
その位置を、先に哲人に教えるべきではなかったのだ。
一体目が前足で地面に転がる首を掴むと、これを投擲する。
哲人目掛けて飛ぶそれは、二度目の剣を受けて二つに別れた。
その間に接近する三体。
同時攻撃の腹積もりは、しかし叶わない。
哲人は先に前に出ると、最も近い三体目に狙いを絞る。
応じて攻撃対象となった三体目の腕が、肩から高速回転する。
念波動の籠もった動力炉を凶器代わりに哲人に叩きつけようと。
その判断は機械らしく理に適ったもので、弱念奏者の哲人では致命傷になる。
そう、当たれば。
風切る腕の軌道上に、剣の切っ先をただ置けば。
折角回収した動力炉も瓜のように割れて。
腕を引き繰り出された片手突きの一撃で、三体目の胸にも穴が空いた。
雄二はもう、目も耳も開けていた。
化け物になった父も、能面の父も、教官の武技の前に霞む。
流れるように蹴散らしていく。
その連鎖は終わりを知らず。
一体目の割れた管に剣を突き立てて、絡め取る。
野草の茂る悪い足場に踏み込んで、下半身から上半身を連動させて。
全身で振り回すようにして、一体目を四体目に放り投げた。
ぶつかり絡まる二体。
そこに足場を物ともしない神速の足運び。
瞬く間に詰め寄ると、二体を一突きの下串刺しにした。
共に動力炉を穿たれて、機械の人形は四肢を張る力を失い沈む。
目を奪われる雄二。
その頭上、大木の上から機を窺い続けていた六体目。
得物を二体に突き入れた哲人を目視し、これを以って飛び掛かる。
大多数の動力炉を失った時点で、アンドロイドに下された命令は一つしかない。
衛守哲人の排除の後、速やかに青海雄二を連れて戻る。
これさえ成すことができれば。
裏で糸を引く人物の目的は達成されるのだから。
頭上からの強襲。
その害意は事前に届き、だからこそ攻撃は届かなかった。
剣を持つ、哲人の腕が振り抜かれれば。
たちまち二体の同型機諸共、六体目の両足がもがれる。
空中でバランスを失い、何も成せずに墜落して。
残された両腕で起き上がろうとする前に、動力炉を刃が貫いた。
人造人間蔵狸摩シリーズ、一号から六号。
その全てが今日この場で、永遠に機能を停止した。
哲人は周囲に気を配る。
謎のアンドロイド、その気配はもう感じられない。
そしてこの周辺に、こちらに敵意を放つ存在も居ない。
雄二の強張った表情が、安堵からか緩み始めた。
「……終わり、でしょうか」
「まずはここを離れて人目のある所に行こう。
何者かは知らんが、仕掛け難い場所に移った方が安全だ」
合わせて、通信障害も終わっていた。
やはりアンドロイドたちの事前工作だったらしい。
余弦を呼びながら、終息の雰囲気に息を吐く。
さて動こう。
そうして雄二の手を取ろうとして。
「よう」
懐かしい声に顔を向けた。
その横っ面を全力で殴られて。
哲人が吹き飛ぶ。
かつて『星辰の尾』に所属していた、衛守哲人の元同僚。
甲斐がそこに立っていた。




