第五十五話 紛れ込むもの
黄桜奏は暇だった。
文化祭で割り振られた自由時間だが、友人の須崎碧はクラス行事のお化け屋敷に取られて、赤城精太は教官をもてなすのだと息巻いている。
イベント中だからといって見たいものも見つからず、一人校舎をぶらついた挙げ句、結局友人の居るお化け屋敷に戻ることにした。
よし、受付の子の仕事を代わって時間を潰そう。
自身の人見知りな部分が文化祭をつまらなく感じさせていると自覚しながらも、問題の解消を早々に諦めた奏は廊下を進む。
旧校舎への二つある渡り廊下の一つに差し掛かろとした所で、別の道から曲がってきた一団の一人にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
布団のような感触。
そこに居たのは着ぐるみだった。
動物の被り物で顔まで隠れた、大きな着ぐるみが五匹、並んでいた。
「あん?」
ぶつかった犬頭が、ガラの悪い声を発する。
中の人の顔は分からないが、奏を認識したのだろう。
「ああ、ごめんなさい。
私たちこんな格好だから、前が見え辛くて――」
猫頭が女性の声でフォローしようとする――――
しかし犬頭は次の瞬間、しでかした当人以外、誰もが予想外の行動に出た。
奏の小さな喉元を、布地の膨れた手で掴み上げたのだ。
「――はぁ!?
カ――バカ犬、何やってんだよ!」
鳥頭が連れの行動を非難する。
受けた奏は息が詰まるほどではないが、犬頭からの威圧感に押し黙った。
明確な害意。
そういったものに間髪入れずに噛み付く気性を有する奏が、何も言えない。
犬頭の中身から、伝わったものがあったから。
「……か……っ!」
「テメェ、何の目的でこんな所にいやがる!」
殺意だ。
コイツは、アタシを殺そうとしている。
それが何故か、間違いなく分かってしまって、奏は足が竦んでしまった。
どうして。
「いや理由なんか聞かねぇ、死――――ぐべぇ!」
犬頭が盛大に吹き飛んだ。
発言の途中で思い切り殴りつけたのは、一団で最も大きなゴリラの着ぐるみ。
掴まれていた奏は、そのゴリラに合わせて動いた猫頭に引き離されて、危うく諸共廊下を転がる事態からは免れた。
「すまない、すぐに離れる」
「ごめんなさいね、怖い思いをさせてしまって」
「このクソバカ犬が、滅茶苦茶じゃん……!」
「お、重いよ」
言葉少なにゴリラが呟いて、猫頭が落ち着かせようと奏の頭にふかふかの手を乗せる。
その間に鳥頭と鼠頭が犬頭を担いで、逃げるように去っていく。
それを見て――遅ればせながら、少女の闘争心に火が点いた。
「あ、アンタたちぃ、何者なの!」
猫頭の手を振り払い、敵の集団に怒声を飛ばす。
奏と犬頭の接触から僅かに見物していた人だかりは、その声で一気に膨れ上がった。
不味いとゴリラと猫頭も仲間たちに続こうとする。
そんな後ろ姿を捉えて、逃すまいと奏は猫頭に飛び掛かり、腕に噛み付いた。
全力で。
そして少女の顎は、着ぐるみの奥に違和感を認めた。
「んぐぅ!?」
「ら、乱暴な子ですね……!」
慌てながらも振り解いて、猫頭も走り去る。
当然怒り狂った奏もこれを追うが。
結論として、これを捕まえるには至らなかった。
五匹がどこかの教室に入ったところで、その足取りが消えてしまったのだ。
「こっちはここに逃げたの見たんだから!
隠していたらただじゃおかないからね!」
「し、知りませんよ!
うちらは誰も見てませんって!」
奏の剣幕にたじろぎながらも、教室の使用権を得ていた郷土研究部は分からないの一点張り。
部屋の中もくまなく探したものの、大きな着ぐるみ五つを隠せるような空間は見つからなかった。
「……なんだったのよアイツら、ああもぉ!」
地団駄を踏んで悔しがる少女を宥める術を持たず。
郷土研究部員はただ、自然鎮火を祈って眺めるのみだった。
「それじゃオムレツにケチャップかけまーす!」
「…………」
「はい、どーぞ!」
目の前の皿には赤いハートマーク。
衛守哲人はもう一度、無言で精太の顔を見る。
少年はその視線を受けて、少し考え込んだ後に。
「あ、分かったぞ!」
「…………」
「……はい、あーん!」
遠巻きの女子組がきゃーとか声を上げている。
精太にはそれが聞こえていないのか。
哲人が黙って口を開けると、オムレツを掬ったスプーンをすかさず突っ込んだ。
「よく噛んで食べろよ!」
哲人は同じテーブルを囲む外村仁と大槻鳳雅を見た。
二人とも、哲人に呼ばれてこの席に着いたのだ。
説明を求める視線に、鳳雅が重い口を開く。
「文化祭で衛守さんを喜ばせたいって精太が相談してきたことがあるんですけど、聞き耳を立てていた女子が勘違いしたのが妄想を爆発させたのか、こぞって有る事無い事吹き込んで……」
「女装は喜ぶかどうか分からないって散々言ったんだけどなぁ」
そこは『分からない』と曖昧に濁さず断言して欲しかった。
流石に二口目まで精太に運ばせる訳にもいかず、哲人はオムレツの残りを掻き込んだ。
冷凍食品の味であるが、市販されているだけあって悪い味ではない。
しかし哲人の関心、というか困りごとは他所にあり、味覚に集中できない。
「職場の教官が教え子の女装に喜んでいるという認識は、正直に言うと進退に関わる大問題なので訂正したいんだが」
「嫌だったのか……?」
「問題は好き嫌いじゃないんだよなぁ!」
表情を曇らせる精太に頭を抱える哲人。
その様子を暫く眺めてから、精太は唐突に笑い出した。
「悪い悪い、冗談だって!
勧めてくる女子の勢いが凄くてさ、色々と話も聞いて貰ったし乗ってあげるかと思っただけだからさ」
「その割には俺たちに時間稼がせて化粧まで始めたけど……」
「女装するなら可愛くしとけって言ってくるからさぁ」
その辺りを吹き込んだのだろう女子たちは、こちらにフラッシュを焚いている。
もう何も言うまい。
しかし不気味なのは、余弦だ。
チームハガネ号の四人を監視しているやつは、精太の現状も見えている筈だ。
だというのに、不気味な沈黙を続けている。
この状況に甘んじている哲人に、嫉妬や興奮を絡めた一言も無い。
あの変態なら、もう何らかのアクションを起こしていてもおかしくないのだが。
「そんなに疑わなくても、オレの目的はもうある程度達成できたから良いよ」
「目的?」
「この二人、仁と鳳雅さ、兄ちゃんと話したがっていたから。
その癖に誘ってもなんか気後れしてるし、機会を見て強引に引き会わせてやろうと思ってたんだよな」
それを聞いて、二人は顔を見合わせる。
否定しないところを見るに、そう的外れの話でもないのだろう。
「なんだ、俺になにか聞きたいことでもあるのか?」
「いや、聞きたいというか……」
「ふぅん……じゃあ精太、この四人でカードゲームでもやろうぜ。
トランプとか持って来てくれないか?」
精太は頷くと、女子組の所に赴く。
その間に哲人は二人に顔を寄せて、内緒話の姿勢になった。
「精太の前では言い難い話だったりする?」
「……あいつ、仕事ちゃんと出来てるのかなぁって」
「傍から見て機嫌の分かり易いやつですけど、感覚派というか。
ああいうノリで公務とかちゃんこなせてるのか気になるんです」
仁も鳳雅も精太の友人である。
哲人という大人を通して、客観的な友人の評価を聞いておきたかったのだろう。
「……大丈夫だよ。
そういう若い部分も含めて、ヤマト級のパイロットして将来有望さ。
少なくとも俺よりは、この国に期待されている人材だよ」
精太が帰ってくる前に、それだけは伝えておく。
すると――少年二人が反応するより前に、イヤホンから聞こえたのは。
「ショタに囲まれて……っ。
精太くんに女装させて給仕まで……ぐすっ……う、怨め、羨ましい……!」
それはもう低い、地を這うような声だった。
「何をやってやがる!
事を起こす前に目立ってどうするんだよ!」
「落ち着いて……カネジが問題児なのは今に始まったことじゃないし」
人気のない校舎裏で仲間を責める鳥頭。
叱られている本人は何も言わず、猫頭が困り声で言う。
「よりによってハガネマルの関係者とトラブルを起こすとは。
厳戒態勢を敷かれたら大人しく逃げ帰るしか無いですね」
「しかも撒くのにも転送機能使っちゃったし。
残りは基地に帰る為の一回だけ。
無駄遣いせずに突っ返すつもりだったのに、連中にでかい顔されるよ……」
「でも先生の希望なのに、こんなので失敗したくないよ」
鳥頭と鼠頭が沈んだ声で続く。
だがゴリラは終始、カネジと呼ばれた犬頭を見たままで。
「カネジ、どうしてあんな真似をした」
「どうしても何も、そういう馬鹿なんだよこいつは」
「理由があるのだろう」
そう尋ねる声色から、責める様子は感じられない。
犬頭はそっぽを向いたまま、小さく語る。
「……分からねぇ」
「お前なぁ……!」
「落ち着け。
カネジよ、俺はお前の感性を買っている。
その精度の一点においては、人工的に強化された先生に匹敵する程だと。
……俺たちを納得させなくてもいい。
頭に浮かんだ言葉を、何でもいいから吐き出してみろ」
犬頭に視線が集まる。
中心の人物は俯いて……やがてその胸の内を口にした。
「ヤマト級のパイロットだか知らねぇけどよぉ。
俺様には見分けがつかなかったんだ」
「誰が相手でもトラブルを起こすなよ……」
「そういう意味じゃなくてだな……!」
激昂しそうになるが、それを押し殺して。
「……これまで散々ぶっ殺してきた、傀機獣の連中と」




