第三十五話 犯罪者
「始まりは一通のメールよ」
白沢司令宛に送られてきたそれの、まず目についたのは送信元だった。
「『黒墨余弦を返せ』って私に文句言ってきたのよ。
ヤマト級十三番機『ゴースラッガー』のパイロットの一人がね」
現在最新のヤマト級、そのパイロットは三人の男子中学生である。
少年野球で同じチームを組む友人同士で、遡れば学童野球時代からの付き合いであるらしい。
「なんのこっちゃってなったんだけど、黒墨曹長の名前があるでしょ。
話した事のない相手からの直談判だし。
子ども特有の勢いに駆られた行動だとしても、冗談じゃない必死さを感じたの」
本来ならゴースラッガーを預かる基地の司令、少年たちの上司にこの件を報告するのが筋なのだが。
元々白沢も探っていた黒墨余弦の情報。
調べた彼女の経歴の中に、当該基地への関与はなかった。
余弦と他ヤマト級パイロット、本来なら接点が無い筈の二人。
これは何かある。
そう察した白沢は、報告前に送信元のパイロットとやり取りを続けたのだ。
「聞いてみれば、私たちの知らない何かが分かるかもと思ってね。
そしたら――あそこのクソ司令ども、とんでもない事を隠してんの!」
話も佳境に入り白沢は激昂する。
少年の話、そしてその後の展開を思い出したのだろう。
「司令、階段下りるから口閉じて――」
直後、浮遊感。衛守哲人は踏み面を股下に踊り場の間を一足飛びで越える。
抱えられたままの白沢は、しかし着地の衝撃が伝わらない事に逆に気持ち悪さを覚えた。
その後を軽い身のこなしで続く須崎碧。
そうはいかない黄桜奏も、生躰変を駆使して全力で追い縋る。
哲人に連行される形の白沢、その背に続く碧と奏。
彼女たちは哲人の行く先に注文をつけない。
目的地を告げないで疾走するその様を見て、ある種の予感があった。
男の向かう場所に、恐らく尋ね人が居るのだと。
そしてそれは、もうすぐそこに――
「あの女ぁ――」
言いながら、白沢は事前に手を前に翳す。
その目にとある扉が映り、彼女もまたゴールを察したからだ。
同時に込み上げる怒りを抑え込んで。
一つ目の扉は勝手に開く。
問題は奥の、二つ目の扉。
そこに掛けられたロックが、白沢の手に触れた途端、司令権限で開かれた。
「パイロットに手ぇ出していやがった!」
場所は、男性職員用のシャワールーム。
突入した四人の眼前には。
「ぎゃああ! ぎゃああああっ!?」
「あばばばばばばば……」
「あぁ体温、触覚で伝わる宝玉の汗、最っ高の時間だぉぉぉ……お?」
真っ裸の精太と雄二に抱きついて、両者の脇の間で頬を擦る変態がいた。
「すみませんでした」
シャワールームから引き摺り出された余弦は、手前の更衣室で正座。
それを白沢たちが取り囲む形で、尋問は開始された。
「酷いもん見せられた……夢に出そう」
「ごめんね奏ちゃん。
男性更衣室の扉を見た瞬間、最悪の事態で頭が一杯になってね。
あの場は一刻も早いせー君たちの保護を優先しました」
「別に沢ちゃんを責めてはいないけど。
勝手について来たのはアタシたちだし」
そう言いながら奏は被害者たちの方を見た。
服を着せられた二人は、相変わらず顔面蒼白のままだ。
赤城精太は犯人の視線に怯えながら、哲人の腕を掴んで隣で震えている。
青海雄二に至っては二人の背後で丸まり、とにかく余弦と距離を置きたい様だ。
「無理してこいつの近くに居たくないだろ。
整備班の誰かを呼ぶから、一緒に外へ出ていろって」
「やだ、兄ちゃんといる……!」
「せー君には申し訳ないけれど。
衛守曹長はこの犯罪者への抑止力として、ここで見張っていて欲しいのよね」
「こいつとの話を進めていいから! 兄ちゃんの近くにいさせて!」
精太と同様、雄二もここを動くつもりはないらしい。
脅威に脅かされて弱った彼らの心は、無意識の内に強く信頼できる人物に頼ろうとしていた。
この場においては哲人がそれに当たり、加害者が近いという矛盾を孕んでいたとしても、二人にとっての安全地帯が現在のポジションなのだ。
それを察した奏としては、この事実が面白くない。
或いは凶行を目の当たりにした余弦の件よりも。
片や身体で迫る痴女、片や人間関係にするりと入り込む間男……。
「アタシの周りの大人、こんなんばっか……」
「奏ちゃん?」
心外な言葉に、何故か巻き込まれた白沢は目を丸くするしかない。
また俺も悪く思われてるんだろうなぁ。
そう勘付いた哲人であるが、諦めの境地で余弦の対処に意識を向ける。
「で、だ。
一応聞くが、申し開きはあるか?」
「……無実を証明する為にも、もう一度精太くんたちと三人きりにさせて欲しい」
「は?」
「ちょっと焦って怖がらせちゃったけど、あれは本意じゃないの。
これまで数々の宝玉たちと高め合った巧手伎倆。
それをこの二人にはまだ披露していないから」
何を言っているんだこいつは。
聞いた誰もがそう思い怪訝な目を向ける中で。
余弦の手が、その指がわきわきと蠢いた。
そして哲人など居ないかのように精太たちの方を見て、じっとりと舌なめずり。
「最初はね、みんなそうやって怯えていたよ。
でもこれを一度味わえば、被害関係は泡みたいに消え失せる。
倫理観が強かろうが好きな娘がいようが、最後はみんな喜んで腰を振るわ。
その様を見れば貴方たちにも分かるでしょう。
私は最初から裁かれる立場に居ないって」
「…………」
「この世は宝玉と私とそれ以外で出来ているの。
愛を知らないそれ以外に教えてあげるわ、世界に愛が生まれる瞬間――」
ぱんっ。
余弦が言い終える前に、その頬を乾いた音が叩いた。
「黙りなさい」
「……え、白ちゃん、それ」
二発目の音が響く。
何時の間にか白沢の手に握られていたのは、巨大なハリセンだ。
そう、漫才の小道具に用いられる、あのハリセンである。
「黙りなさい」
「まって、なにそれ?
しかも痛――」
三発目。
強固な生躰変を貫通してはたくそれは、風を切る毎に余弦の頬を赤く染める。
製造目的も用途も不明な道具。
それが今、人の道を踏み外した外道への懲罰に用いられていた。
「黙りさない」
「あの」
四発目。
「黙れ」
「はい」
打撃音こそ軽快であったが、林檎のように膨れ上がった頬を見るに、その形状からは考えられない威力を有しているのだろう。
ともあれ沈黙を促す白沢の言葉を、余弦は痛みで理解した。
正座をしたまま床を見て、それ以上何も言わなくなる。
そんな余弦の頭上をぶんっと空振るハリセン。
ひぃ。情けない声の主が白沢の眼下で蹲った。
これでは獣の躾である。
ていうか俺、いらないのでは。
胸中に去来するそんな思いを、哲人は独り押し殺した。
「あんたが狂っているのは分かったから、事実関係の確認だけするわ。
富士大宮基地に来る前の一ヶ月間、あんたは余所で教官を務めていたわね?」
「あ、それを知っているって事は、私の愛人が名乗りを上げたのね!
頭の固い皺々ジジィ共は私の存在を無かった事にしたがっていたし。
どうりでバレるの早かったなぁって思ってたんだよ。
そっか、嫉妬されちゃったかぁ、モテる女はつら――」
再びハリセンが唸りを上げて、余弦はすぐに口を閉じた。
調教の成果が出ているのかいないのか、その肝に感心さえ覚える態度である。
「沢ちゃん。
もうこいつ、語るに落ちる以前の問題じゃない?
こっちが何も聞かなくても、全部喋ってくれそうだよ」
「言わないで奏ちゃん。同じ大人としてこっちまで恥ずかしくなる……」
「お、おとなとか、ひとですらない、けだものだ……」
雄二の呟きに、ぎょろりと余弦の目が動き、精太が悲鳴を噛み殺す。
哲人を挟んで姿が見えない筈の雄二であるが、まるでその目に捉えているかのように視線を固定して、あろう事か余弦は笑った。
笑うという行為は本来、と語り出しそうになる笑顔だった。
この期に及んでの獲物を狙う目に、なんなのこいつと哲人も呆れ果てる。
というか本当に透視で視か――辱めているのでは。
余弦の能力査定で透視技能は無いと聞いているが、経歴が意図して隠されていたと分かった現状では、その情報さえ疑わしいものだ。
「取り敢えずだな、涎を垂らした面でこっち見るの止めろ。
さっきから散々熱く語ってくれたショタを怖がらせるのがお前の趣味なのか」
「涎面!?
いやいやこの微笑みを見てよ、聖母の慈愛に溢れているでしょう?」
「お前の性欲しか伝わらんが」
慈愛に自愛を掛けて間違いを指摘する、なんて気力さえ湧かない。
哲人は白沢に向けて、目で続きを促した。
「……こちらの精神衛生的にも、細かい聞き取り調査は後日にしましょう。
とにかく過去のやらかしも含めておいたが過ぎたわね。
教化対象として懲罰部隊行きも覚悟しておきなさい」
「懲罰部隊って、殆ど月の裏側行かされてるんでしょ!?
冗談じゃない、そんな所――宝玉がいないでしょうがっ!!!」
「あんたは地球の上歩かない方がいいと思う」
そんな返しにも疲れが垣間見える、呆れ切ったのは奏も同じらしい。
気狂いに語る口はない。
最初からそんな態度で一言も発さない、碧の姿勢こそ正しかったのだろうか。
「はぁ、本当に誰だったかしら。
優良傑出の今一番勢いがある人材とかほざいてこいつを寄越したの……」
恐らくこの疫病神を押し付けられた時の事を思い出しているのだろう。
前科を隠した厄介者を放り込む、この基地はごみ箱扱いされたのだ。
頭を抱える白沢の姿は痛々しくて見ていられないものがある。
「思った以上に重く受け止められているみたいだけど勘弁してよぉ。
調子に乗って好き勝手に発言しちゃったけれど、一線は越えてないよぉ」
「あんたっ……さっき、腰がどうとか言ってた口でっ……」
「ちょっと大口叩いちゃっただけだってばぁ。
本当にやる事やって浮かれた宝玉が周りに口滑らせてみなさいな。
即淫行で捕まる事くらい私にも分かってるもん」
「……兄ちゃん、やる事って……?」
「アンタは一生知らなくていいから」
ぴしゃりと精太に言い放つ奏。
流石に一生は言い過ぎではと思うが、哲人はもう何も言わなかった。
先程のシャワールームの光景を思い返す。
程度の差はあろうとも、あれは十分犯罪行為なんだよなぁ。
「もう、こんな不祥事、二人のご家族になんて説明すれば……」
「ご家族!
白ちゃん、将来の義両親にはくれぐれも私の印象をアゲアゲでお願い!」
「――オメェーの所為でイメージダウンは確定してんだよぉぉぉぉ!!!」
遂にブチ切れた白沢はハリセンで阿呆相手に無限コンボを始めた。
会話が通じない人間、その実物を目の当たりにした少年少女たちはそれこそ得体の知れない宇宙人を見る目で、叩かれ続ける余弦を見た。
「口を開けばキ印全開で話はちっとも進まねぇしよぉ!
死ねっ、死ねっ、いっそこのまま死んでしまえ!」
「死なっ、死なないっ、二人を堕とすその日までぇ!」
懲りない犯罪予告に精太も涙目になって哲人に一層身を寄せる。
倫理の埒外の存在だとはっきり認識したのだろう、奏も思わず呟いた。
「まるで反省していない……!
犯罪者、ただの犯罪者なのに、なんでここまで堂々とできるの……!?」
それは余弦本人以外、きっとみんなが知りたかった。




