第二十六話 祭りを回って
商店街を東に歩いて行くと、左手に大きな赤い鳥居が見えた。
鳥居周辺の敷地は、普段なら観光バスの駐車場として機能し、まばらに車が停まっているくらいだが、祭りの間は大きく様変わりする。
屋台や出し物がずらりと立ち並び、これが北の桜門前まで続くのだ。
「これは私見だが、祭りの入り口は軽い食べ物が多いんだよなぁ」
衛守哲人はするりと腕を解くと先行し、わたあめを買うと有無を言わさず須崎碧の手に握らせる。
遠慮の駆け引きを不要と示す強引なやり口は、今日の哲人と碧の立ち位置を理解して貰うためである。
誕生日の子どもは、大人に歓待されるのが仕事なのだから。
「りんご飴とか食べるのに時間がかかるからな、持って帰って家で食べるのも……」
周囲の屋台を見回して碧に振り返ると、わたあめがなかった。
わたあめは、もうなかった。
「ん?」
「どうしました?」
少女の顔を上回る大きさの綿菓子は忽然と消えて、残るのは綿菓子棒だけ。
落とすようなものかなと思いつつも地面を見るが、やはり見当たらない。
……これも縁日の定番、チョコバナナを購入する。
綿菓子棒と交換する形で碧に手渡すと、暫くじっと見守る。
「えっと、そんなに見られると食べ辛いです」
「ああ悪い」
一瞬視線を外して、すぐに戻す。
なくなっていた。
「…………」
「……あ!」
哲人に凝視されて、碧は何かに気付いたのか慌てて口元に手をやる。
「チョコでも付いてました?」
「いや、綺麗なもんだけど」
そういう意味ではないと知りつつも、面と向かって言われたからか碧は照れくさそうに顔を背けた。
哲人は、赤城精太から聞いた話を思い出す。
曰く、碧は菓子の類が好きであるとのこと。
自宅でそういう物を食べないのか、黄桜奏は市販の駄菓子をよく買い与えており、碧は目を輝かせながらいつもそれを平らげていると。
この情報を得た時は、良いことを聞いたと思い今日に望んだのだが。
「すみません、チョコバナナもう一本下さい」
「あいよっ」
会計を済ませると再び碧に持っていく。
そして今度は、彼女に偽ざる本心を告げた。
「食べてるところ見せて」
「嫌です」
「みーせーてー」
「いーやーでーすー!」
哲人の目から逃れるようにその場でくるりと一周、イリュージョン、チョコバナナは背中に隠れた一瞬で影も形も失っていた。
「どうなってんの!?」
「あ、甘い物は別腹で……」
「胃袋よりも食べ方だよ、トリック使って担ごうとしてない?」
「トリックってなんですか……とにかく恥ずかしいから見せません」
恥ずかしいから見せない、という意気だけで可能な芸当ではない。
知的好奇心から食い下がる哲人を、碧は一も二もなく突っぱねた。
「……分かった、今回は引き下がろう。碧が主役の誕生日だもんな」
「誕生日じゃなくても嫌ですけど」
「面白がってぱくぱく食べさせたけど、食べ物はまだ入りそうか?」
「おかしな衛守さん、まだお祭りは始まったばかりですよ?」
豪気な発言に哲人は両手を上げた。今日はもう敵う気がしない。
その後も少女は縁日の甘味を悉く頂き、その度に哲人を驚嘆させながら、二人は左右を屋台で挟まれた道を奥へ進む。
金魚掬いで勝負をすればお互いに譲らず、半泣きの店主に釣果をそのまま返し。
射的は碧の圧勝で、全弾キャラメルの箱を狙い落としてほくほく顔。
せがまれて玩具の指輪を見繕えば、選ぶ哲人の悩む様子を隣でじっと注視する。
大の男が眉をひそめる姿のなにが面白いのか、碧は視線を逸らさなかった。
とはいえこれだけのめり込んでくれるのなら、誘った甲斐もあったというものだ。
「遊ぶ出し物って案外高いんだ。知りませんでした」
「成果で景品が出るのはな。生躰変で遊ぶ側の攻略能力も高くなっちまったし」
「採算を考えないといけないのは経営側の悩みの種ですね」
「……こういう祭りは初めてなのか?」
ペリドットに似た緑色に光る、二束三文のイミテーションの指輪。
それを嵌めた指を眺めて口の端を緩ませていた少女は、その質問に頷いた。
「戦時中は勿論、戦後の五年間、私は小学校に一度も通っていません。自宅からの通信教育で修了しています。特に珍しい話ではないですけどね」
「中学校での半年間は楽しく過ごせているか?」
「すぐ友だちになってくれたカナちゃんのおかげで。ただそれ以前も寂しい思いをしていた訳ではないんですよ」
思い出しながら話す少女に、確かに陰りは窺えない。
虚飾に隠さず哲人に自分の過去を曝け出す。
「深見陸奥さんとその母に当たる深見武蔵先生には、物心が付いた頃からお世話になって。私が多少戦えるのも先生の指導があったからこそです」
哲人は考える。以前にその深見陸奥を指して碧の師匠なのかと尋ねたことがあったが、正解は母親の方だったのか。
自分にできて彼女にできない事はない。碧の言葉からして、『深見さん』は姉弟子の立場なのではとも推測ができた。
「それは碧に助けられた俺にとっても間接的な命の恩人だな」
「そうなりますね。凄い人なんですよ」
大事な人達なのだろう。
他人を誇らしげに語る姿からは、そんな気持ちが溢れ出ている。
哲人にとって重要なのは、能力の高さではなく碧の心に占める存在感だ。
無下にしていい人物ではないと、少女の言動から察する。
「碧にとっての、戦う理由か?」
「……どうなんでしょうか。守るまでもないくらい強い方々ですが」
口を濁すのは、相手を尊敬するからこそ、庇護する立場を名乗り辛いのだろう。
チームハガネ号が結成されたのは約半年前、彼女たちが今の学校に入学した前後になる。その頃の碧が重きを置く人物は、生活環境から限られている筈だ。
「でも、戦う理由……はい、守りたいんじゃなくて、国を守護する一員に選ばれたのだから、少しでも立派なところを見せたい、そんな感情はあったと思います。重役の娘だけあって見栄っ張りなんですよね、私」
「ふむ」
溜息一つ、哲人は手刀を形作ると、その手を碧の頭上に置く。
チョップをした姿勢で、少し脱線するぞと前置きをしてから。
「再三言うが、俺はお前らが誇らしい。そんな申し訳無さそうな顔をするな、言わせて貰うなら、そう自省できるだけ俺よりも高潔なもんだよ
「でも公共を守る一人として、立派な仕事に見合わない自覚はあります。仮に世界を守る勇者が居るなら、命を預ける人々は相応の清廉さを求めるでしょう」
「心は白紙の自由帳だよ、念波動でその不可侵性が危ぶまれてもな」
それは強力な念話やテレパシー、極めて強力な念奏者には、相手が隠したいと念波動で壁を張る事柄さえも読み取れる人がいると、碧も話を聞いている。
当然その行為は世間の認識としても禁忌であり、緊急事態等の悪意のない理由がない限り、プライベートの侵害と認識されて明るみに出れば処罰される。
治安当局では、これが可能な人間は全て抑えられ、行動も逐一マークされているとか。なにが懸念すべきプライベートの侵害なのか分からなくなる話である。
「俺だって胸の内は不平不満だらけさ、全部見られたら軽蔑も必至だよ」
「全部見られたらなんて、私も一緒ですよ、だけど」
「でもな、もし目の前にお前らの心を覗き見ながら唾吐く輩がいたなら指導する」
「…………」
「たったそれだけでうちの勇者たちの全てを知った気になって、難癖をつけてきたことを後悔させてやる。拳が唸るぜ」
手の形を解いて、手のひらで頭を上から抑え込むように乱暴に撫でる。
それはお前らでも有無を言わさない。そんな意思表示のように碧に伝わった。
「頭の中では、口汚い悪口や、誰かを見下したりする卑怯者でもですか?」
「誰だって少しは思うだろ、悪いことや、思春期なら恥ずかしいことでも」
「……衛守さんの念波動でパンチをしたら、先ず自分の腕を心配するべきですよ」
「言ったなこのぉ」
その物言いに笑った哲人の、頭の上に置いたそれを碧の両手で包み込む。
大きな体に相応しい男の固い手を、少女はしっかりと握って。
「そんなどこかの誰かより、私に触れていてください、衛守教官」
だから勝手なことを言う哲人に倣い、碧も好きにした。
ここで教官と呼ぶのは意地が悪いだろうか。
しかし碧は哲人とは違う。
縛り付けたい。彼の言う白紙の心まで、自分の元に。
それが叶うなら、この思春期の暴走した感情さえ喜んで明かそう。
結果が、男はただ役職に徹して教え子に寄り添うだけなのだとしても。
どうか自分の傍に。
距離を置かれるのは辛い。父との関係を思い出すから。
「……碧」
「ふわぁ?」
おかしな声が漏れた。
いきなり顔を寄せられて、耳元で名前を囁かれたのだ。
唇を当てられるのかという意表と、耳にかかる気息が合わさり心緒が乱される。
燃え上がる頭で事態の把握に努める――その答えを得る時間もなく。
「誰かに敵意を向けられた。念波動の強いやつだ」
冷や水を浴びせられるとは、まさにこのことだ。
哀しいかな、先生の教育が行き届いた少女は、切り替えも早い。
乙女の心持ちは、一介の戦士に近いそれへと一瞬で変ずる。
敢えて周囲に意識を向けず、哲人の耳に口を寄せ返して小さく聞く。
「向きは?」
「西だな。東鳥居まで行こう、追ってくれば特定できる」
頷くのと同時に、哲人は屈んで碧の下駄に手を寄せた。
わざとらしい声で言う。
「鼻緒擦れしたのか、抱えるぞ」
話の流れに合わせて碧も下に屈むと、太ももと腰の部位に腕を回される。
そのままあっさりと持ち上がった。
碧も腕を哲人の首に回して、背筋を伸ばしながらも身体の側面を哲人に寄せる。
近くなった顔の間で、囁くように情報を交換した。
「基地に六十番で連絡と、背後を超知覚で見張って欲しい」
「任せてください」
首に回した手で通信デバイスを弄り、隠語を富士大宮基地に伝える。
同時に体重を預ける姿勢になると、改めて哲人の体幹の強さが分かった。
人一人分の荷物である筈なのに、不自然に揺れるといった不安定さを感じない。
元から二人で一人であるかのように、碧の重心も哲人の手の内にあった。
生躰変の身体能力向上だけでは補えない技術の賜物を、碧はその身で理解する。
自らもたれ掛かりたくなる居心地は、男が歩きだしても変わらなかった。
(……衛守さんの言う、敵意を向ける人はいない)
とはいえ捜索は怠れない。心の目で油断なく周りを警戒する。
念波動の強弱で要注意人物も選定するが、どれも碧からすれば五十歩百歩で――
「……怪しい人がいました」
「そうか。前方に目を引く奴はいなかったよ」
「念波動を感じない人が一人、五十メートル程後ろに。姿は人に紛れて見えません」
「そりゃ怪しいな、とびきりだ」
東鳥居が近い。
このまま神田川を跨ぐ神幸橋を抜ければ車道、人は少なくなる。
仕掛けては来ない。
敵意を向けてきた存在は、人混みを利用して行動する積極性はないらしい。
それは朗報であるが、衆人環視を盾と見るのは楽観が過ぎる。
哲人は続く車道に沿って北東の方角を見る。
「少し遠いが、城山公園で罠を張るか」
城山公園は、車道を進んだ緩やかな坂の向こうにある。
改めて『城山公園にて』との追加連絡を送った。
文字通りのお祭り気分はここまでだ。
少女からすれば残念、とも一概には言えなかった。
事実現在進行系で、碧は凄い体験をしているのだから。まさか抱えられるとは。
さて。車道に出れば屋台はもうない。祭りの往復路を行く人が散在するのみだ。
「あの敵意は向こうなりの誘いかと思ったんだが、その後が消極的だな」
「誘導にしてもこちらの判断に任せきりですね。今日はあくまでも監視が目的で、衛守さんの察知は相手にも不本意だったのでしょうか?」
「単に向こうのヘマなら可愛くもあるが、否定材料が二つ。俺より優れた念奏者の碧が感知していないことから、故意に俺に向けた可能性が高いことと」
「念波動を持たない人間が、あからさまに不自然です」
「一旦気付けば目が離せない存在だ、こっちへのアピールに思うよなぁ」
車道を暫く歩いたが、その念奏者でない人物は祭りの敷地から離れなかった。
哲人の肩越しに、碧の目視による視認には至らず、自然と距離が開く。
とはいえこれで遠回しなコンタクトが終わるとも、二人には思えなかった。
存在感の強い無念奏者が、気を引く囮という線もあるのだから。
「城山公園で再接触を気長に待つか。基地から人も寄越すだろうし」
「もしなにもなければ、休日に派遣させた上に無駄足を踏ませてしまいますね」
「来るのは元から休日出勤中の公務員だろうさ、もしかしたら碧を心配した司令が直々に駆けつけるかもよ」
そんな話をしながら、坂を中頃まで登った所で。
哲人の足が止まる。公園方面から下って来た一人に、異様な気配を感じて。
碧ほどではない、しかし強力な念奏者だ。
妙齢の女性。自信の満ちた目で、二人を見つめながら近付いて来る。
現れた時点から、こちらへの強い興味を隠していなかった。
これは仕掛けてくる。そう踏んで哲人は碧をその場に下ろす。
男は一歩前へ。臨戦態勢の手前で、少女をその背中に隠した。
推測通りに女は二人の前で止まると、人懐っこい笑顔で第一声を放つ。
「こんにちはお兄さん、可愛い恋人ね!」
「…………」
「私の名前は黒墨余弦、これから富士大宮基地でお世話になるウォーキャリアのパイロットよ、階級は曹長、よろしく!」
「…………?」
「あれ、人違い? ハガネマルの須崎碧少尉と、世間を賑わせた衛守哲人曹長で間違いないわよね?」
二人は二言三言で理解した。
眼前の人物は、敵意の正体とは無関係であると。
その途端に、特に碧が顕著に、緊張から解放されて力が抜ける。
黒墨余弦と名乗った彼女は、毒気を抜かれて反応しない二人を怪訝そうに眺めていたが、なにか得心がいったのか、両手を胸の前でぱんと叩いた。
「もしかして逢引の邪魔をされて怒ってる!?」
「あ、逢引ぃ!?」
そう叫んだのは哲人たちではなく、彼らの背後に居た男だった。
その声に真っ先に振り向いたのは衛守哲人である。
中背中肉のとりわけ特徴のない、しかし哲人と同じく鍛えられた四肢の覗く男。
彼を認めると、顔を見ていよいよ間違いないと、哲人は声を震わせて言った。
「あ、あもう、天羽治郎かよ!」
破顔する哲人に碧も驚く。
彼女からすれば唐突に現れた謎の人物二号なのだが、この反応は哲人の知り合いであることは明白だ。
蚊帳の外に置かれてしまったが、感極まった様子の哲人を前にしては、碧も下手に口を出し辛い。
二人はどういう関係なのだろう。というか余弦は放って置いて良いのだろうか。初対面が多い。敵意を放った存在はどこにいった?
考える要素が混雑して纏まらない。纏まっても進展する気がしない。
遂には少女も押し黙り、事の成り行きを見守ることにした。
とにかく今は、哲人の関心を一手に引き受ける、この天羽治郎という男だろう。
「嘘だろ、お前……今日まで連絡の一つも寄越さないで……!」
わなわなと、今にも治郎に飛びつきそうに見える哲人。
その顔には、新型超機獣を倒した直後にさえ匹敵する感情が浮かんでいた。
対する治郎は、一度深呼吸をすると、自身の通信デバイスを触って告げる。
「もしもし警察ですか。その、未成年の少女を連れ回している大人が……」




