第二十五話 ませる少女とデミウルゴス
十一月三日。旧西富士宮駅跡地。
衛守哲人はタクシーを降りてこちらに歩いて来る須崎碧の姿を見つけた。
通信デバイスを触る手を止めて彼女を出迎える。
「おっ、浴衣。もしかして午前中は奏と祭りを回ってたのか?」
「いえ、カナちゃんとは家で遊んで、その後に着替えてきたんです」
碧がその場でくるりと回ると、似合ってるねぇと軽く一言。
飾り気のない反応は、如何にも教官らしいと思う反面。
昨日深見陸奥と悩み選んだ服装だ、加えて感想を欲しい気持ちが湧いてくる。
「……もうひと声」
「ん。こんくらいなら言われ慣れて響かないか。社交辞令のつもりはないんだが」
「言ってくれたら、私は喜びます」
「俺はもう喜んでいるけどな。こんな子を連れて祭りに行くとか、二十年若返りたい気分だぜ」
繋ぐように差し出された手を、碧は取らなかった。
これは親愛の形だ。すれ違う人が見ても、子連れにしか映らないだろう。
哲人の目に邪な感情はない。子どもに向ける保護者の眼差しだ。
これから彼が何を語ろうとも、そこに恋情の匂いは乗らない。
その目で見守る少女の姿は、決して異性と認識されない。
だからこそ言葉だけでもと、碧は上目に哲人を待つ。
「……柄の花、水色なのが個人的に好きだな。空を見ている気分になる」
「ふふ、無理させてますか?」
「誕生日を祝う気ではいたんだが、こういうプレゼントも必要だとは思っていなかった。女子の相手は難しいな」
哲人は自分の誕生日を知っていた。
深見さんの言った通りだった。そのまま彼女に言われたことを思い出す。
今日は、特別な日になると。
それは大袈裟だと頭を振りつつも、小さな期待が芽吹くのを暗黙に認める。
「ごめんなさい、お祭りの前から困らせちゃいました」
「俺の用意の問題さ。それに相手が碧なら悩む時間もそう悪い気分じゃない」
哲人からすると、それが及第点に達する回答だったのかは分からなかった。
碧は哲人の下がった左前腕と腰の間に、自分の右腕を通して絡める。
腕を組んで祭りを回る。少女の意気込みが見せた一歩目である。
頭を大きな肩に寄せると、左に伸びたサイドテールが首に沿って浴衣の上にしなだれる。
須崎重工の後継者にあるまじきことだが、その艷やかに波打つ髪の流れは、隣の男にもたれ掛かりたい彼女の心境を形にするものだった。
「今日はこれでいきましょう」
敢えて、相手の許可を取る言い方はしなかった。
誕生日なのだ、多少の我儘なら押し通せる、そう踏んでの強行である。
対する哲人は、甚だ不思議な碧の打つ手にたじろぐばかり。
これは社会生命に終焉を齎すやもしれぬと、二十九年の人生が警鐘を鳴らす。
十三歳と二十九歳がこんなに体を寄せ合うのはどうなのか。
冷や汗に塗れつつも、少女が誕生日に取った行動であると、その事実を噛み締めて。
「……俺も覚悟を決めた、行こう!」
まるで戦場に赴く兵士の顔で、これがプライベートであることを忘れたような哲人の横顔に、死地に向かう悲壮な決意はあれど、照れや含羞の相は見当たらない。
恋人の間柄ではないのだから当然だ。
それでも――それでも納得のいかない胸の内の慕情が、碧の頬を膨らませる。
「私を祝う気、ありますか?」
拗ねた物言いに、哲人の目が碧に行く。
するとなにを見たのか、男の顔から強張りが消えた。
入れ替わり戻ってきた表情は、子の奔放に付き添う親の面差し。
碧は己を省みる。
ああ、私の未熟な不承顔を見て、保護者と児童の隔たりを意識してしまったのか。
これ以上は詰められない。残念だが、この辺りで良しとしなければ。
仕方なしと諦めて、続く哲人の言葉に耳を傾ける。
「勿論。今日はなんなりと」
「では行きましょう。ここまで来て逃がしませんよ」
「逃げないよ。碧、誕生日おめでとう」
生まれを、祝福される喜び。
父、深見親子、友人からの言葉とは、心の違うところに刺さる。
何故だろう。碧と哲人の関係のように不安定で、だからこそ得難く、間違い一つで失われる縁ゆえの、浮足立ちながらも空に舞いそうな感覚に少女は慄く。
家族愛や友情ほど強靭ではない。
吹けば飛ぶような小さな恋。
他人と他人の間で育まれる、コワレモノの脆さと朝日の玲瓏を両立するものが、こんな感慨を呼んだのだろうか。
これが深見さんの語った誕生日。
周囲の慈しみで与えられた祝福ではない。
生まれてきて良かったと、自らの人生を祝福したくなる瞬間――
哲人の言葉に、無言で返した碧の笑顔は、それは美しいものだった。
涼やかな秋風の通る商店街を、祭りの行きか帰りか、多くの人が歩いていた。
二人は東の浅間大社に歩みを進める。
腕を組む大男と少女、もっと目立つものかと哲人は身構えていたが、こうも人が居ては多少の個性も埋もれてしまう。
或いはすれ違う人にも、本当の親子に見えているのかもしれない。
和装もよく見かける。こんなに似合う碧の浴衣も、彼女だけの特権ではなかった。
「でも衛守さんも、初めから和服で合わせてくれているとは思いませんでした」
「子供の頃の甚平以来だな。碧に釣り合っているか?」
「大丈夫ですよ。パイロットスーツの光学迷彩はバリエーションも凄いですね」
「気付いてなかったか。これは今日のために買ったやつだよ」
その言葉になにか思うところでもあったのか。
急に碧は止まり、視線が隣の哲人に向く。
当然、連れ立って歩いていた哲人の足も止まった。
「教官引き受けてから金の使い途ができて買い物が楽しくなってきてな。碧も一本下駄とか欲しかったら今日とは別口で買ってやるぞ?」
「…………」
「碧さん?」
碧は無言で腕を解くと、手のひらを哲人の腕に這わせる。
パイロットスーツを挟まない、素肌同志での接触。
真剣な眼差しは眼光鋭く、篤学者もかくやと、視覚触覚を駆使して哲人の四肢を観察する。
「ふふん、着物が気になるか? 着流しにしているが御召縮緬の良い値がするやつでな、宗玄に頭を下げて紹介して貰った店が」
「衛守さん」
「はい」
「黙って」
「はい」
良い服を買ったとちょっとした自慢をする筈が、口に出る前に圧殺された。
碧は袖口に指を侵入させると、前腕の内側を舐めるように滑らせる。
くすぐったさに『ん゛』とくぐもった声が聞こえたが、少女は無視。
そのまま肘を抜けて上腕、脇まで押し込まれそうになり、流石に哲人も自由な右腕でこれを止めた。
「なんで」
「駄目」
「どうして」
「駄目ったら駄目」
なんでもどうしても哲人が言いたい台詞である。
仮に珍しい男の筋肉を前に興味が暴走したのだとしても、人の行き交う天下の往来で数多の視線に晒されながらする行為ではない。
まったく何が琴線に触れたのか、とにかく哲人は碧にそれ以上のスキンシップを許さなかった。
「だって――あれ、私はなにを」
幸い、意味不明な一連の行動を辞めさせておいたら少女は自分を取り戻した。
歳の差に性差も重なれば、両者の隔たりはそれは大きなものであるが、言葉を介さない怪物と化すのは反則である。これっきりにして欲しい。
しかし、筋肉の魔力とは恐ろしい。年端も行かぬ少女をこうも惑わすのか。
碧の暴走の原因を分析した結果、哲人は自身でも唯一真っ当に誇れる、日常的な筋トレの成果なのではと決め打ちした。
後日、『機能美を伴う筋肉の育て方』なる愛用の情報サイトの存在を彼女にも教えるのだが、今度は逆に碧が哲人の行動に首を傾げる有様であった。
「正気に戻ったのなら仕切り直しといこうか。パイロットスーツ以外が珍しかったのなら今度また着てくるよ」
「はい……」
碧本人もどうしてあんな真似をしたのか分からず混乱が抜け切らなかったが、哲人が腕で輪を作ると、すぐにそこへ自分の腕を通して歩みを再開する。
誕生日だからと、羽目を外した所為だろうか。
今更ながら恥ずかしくなり、哲人の方を見れなくなる。
我儘は言いたいが、変な印象を持たれたくはない。乙女心以前の問題である。
「なぁ碧」
「は、はい」
「ここらの商店街、俺が子どもの頃はほぼ閉まっていたんだ。十五年戦争で浅間大社一帯の防護スクリーンの恩恵を受けて、街並みが残って……戦後にまた人が集まって」
哲人の昔語りは、須崎重工も一枚噛んでいる話である。
須崎重工本社はここよりも北東にあるのだが、ウォーキャリア製造には富士の裾野の地層に多く眠る物が必要不可欠だからである。
その名を『デミウルゴス』と言う。
珪素を主成分とした複数の金属との多成分系高分子体。
基本の見た目は石英と殆ど変わらないが、念波の増幅媒体となる性質を持つ。
それは富士の樹海の魔性を成す一因でもあり、この地域もその恩恵を多分に受けている。
「知っています。先ずはデパートが台頭して、それも大型ショッピングモールで消えて、だけど戦争で人は地上に住めなくなって」
「須崎重工の出資で戦前から地下シェルターがあったのもあるけど、デミウルゴスの影響で天然の防護スクリーンが街を最低限守ってくれたからな。悲しいかな、その実績のお陰で防御力を評価されて、戦前よりも人が増えた」
人を襲う傀機獣が跋扈する地上は、とても生活できる場所では無かったものの、戦後に地下から這い出た人々がここに残る街を見た時、その心は自然とここへ引き寄せられたのだろう。
それだけ、デミウルゴスの眠らない土地は、本当に悲惨なものだった。
傀機獣の都市攻撃は徹底的で、人の生きた痕跡を残さなかった。
だからここでなら――今度こそ壊れないものを築いていけると、人に思わせたのだ。
勿論それは、ここに限った話ではない。
ヤマト級の配置はつまり、全国のデミウルゴス鉱脈――未来に残せる新都市を守る様に置かれているのだ。
「亜空開孔起線が近くにあるのにな」
「今も地下シェルターに居る人は総人口の二割を切ったと聞きます。その人達が地上に出てきた時も、きっと既に人の集まっている場所に行くでしょうね」
「だろうな。だからこそ、それを守るヤマト級の仕事は偉大で――」
商店街を歩く人の群れを見ながら、感慨深げに哲人は言う。
「お前たちは俺の誇りだよ。関われて良かったと思っている」
「衛守さん」
「こんな日くらいはしゃいだっていいだろう。悪ノリ結構、それくらいじゃ俺はこの縁を切ってやらないからな」
「……本当ですか?」
「ああ。ただしエロっぽいのは許されざるよ」
「うう」
「碧は無防備なんだよ。もっと自分が危ないことをしていると自覚しなくちゃ駄目」
哲人は碧の距離の近さを、危機感の無さからくる無警戒だと考えている。
碧としては、自分を変態のように思われてイメージを損なわれたくない為に、そこを強く否定できない。
正直、哲人の勘違いは不都合を誤魔化せる渡りに船なのだが……。
嘘で塗り固めてしまえば自らの誠実さを失うし、なにより本物が手に入らない。
碧の本心には、彼の言うところのエロっぽいことに、偽らざる興味があるのだ。
この辺りで良しとしなければ。
そう考えていた少し前の自分を思い返せば、今の自分が不甲斐ない。
それでも、ああ、私が大人だったなら。
十三歳になったばかりの少女は、早くもそんなことを考えずにはいられななかった。




