第二十三話 七年前 その二
「強すぎるぅ!」
「……よわすぎる」
「さっきからストレートとかフラッシュとかポンポン出すけど、実際のポーカーってそんなに役揃うことないから! ブタなんて一度も出ないじゃん、おかしいって!」
「フルハウス」
「……フォーカードです」
「ほわぁぁぁ!」
長雨太助はハイカードを空中に放り投げてブルーシートに突っ伏した。
駄々っ子のような仕草に、血塗れの服を脱いで予備のパイロットスーツに着替えた獅童紫はくすりと笑い、その様子を獅童瑠璃が黙って見守る。
長雨の惨めな敗北の姿に、姉もようやく気が紛れてきたらしい。
「くそっ、負け過ぎて逆に面白くなってきたじゃないか、次やろう!」
「違うゲームでもいいですよ?」
「……俺はトランプでできるゲームだと大富豪が一番好きなんだが、三人でやるとカードがばらけなくて革命の嵐になるんだよ……今更ブラックジャックとかに逃げたくねぇ、これで勝ちたい!」
男はカードを切りながら意気込みを語る。
ムキになるその様は、もうどちらが子供かも分からない――その最中に。
妖精の囁き、長雨の脳内に幼女の声が刺さった。念話である。
(このままゲームを続けながら、わたしの話を聞いて)
(えっお化けの声? 漏らしそう)
幼女、瑠璃は吹き出した。
人形を思わせる無表情からのこれには、似た顔をした姉も流石に面食らう。
紫は気遣って手持ちのバッグからハンカチを取り出すが、それを要らないと片手で制する。妹は姉に無用の心配をさせたことを含めて、長雨に非難の視線を向けた。
更に心の声でも追撃する。
(訴えられたいんですか、貴方は)
(ごめんなさい。でもそうか、プライベート回線の念波通信に入れるのならただの念話なんて余裕だよな)
念波通信とは、名の通り念波動を用いた情報伝達手段なのだが、瑠璃が現在行っている独力での超能力現象としての念話とは明確に区別される。
本来念話が行えない人物でも、念波動を通信デバイス等の機器に通すことで、旧来の電波による無線通信さながらに連絡を取り合えるのが念波通信であり、これは人類が皆念奏者という前提がある以上、利用できる人間を選ばない。
その上で、プライバシーを守る為に秘匿性を持たせる機能がある。
通信用念波の暗号化だが、軍用ウォーキャリア間のプライベート回線ではこれがより堅牢である。
悪意ある人間による傍受を防ぐ為だ。
だからこそ少女たちの割り込みの異常性が浮き彫りになる。
暗号を突破したのではない、最初から無かったように言葉を聞き、押し付けた。
現実を塗り潰す念波動の使い手。強力な念奏者が神とさえ喩えられる一因である。
(あの割り込みはわたしが念波動を制御できなかった事故でしたけど)
(ところで今の失言でお姉ちゃんの反応なかったし、これは瑠璃ちゃんとの内密な話だと思っていいのか?)
(……それを確かめる為だとしても、言葉は選ぶべきです)
長雨の頭に直接響くのは、確かに目の前の幼女の声、なのだが。
現実の瑠璃の口から出る辿々しく舌足らずな言葉とは違い、脳に直接語り掛けてくる彼女の声は流暢で、お互いの念話で用いた単語を考慮してみると、五歳児に理解ができるか怪しいものもちらほらとある。
そう、捜索対象についての資料に記載されていたが、獅童瑠璃は五歳なのだ。
そんな幼女らしからぬ口振りに、さてはと長雨は得心が行った顔をする。
(ここまで猫を被っていたな。あ、俺の言葉の意味がわからなかったら言ってくれ。砕いて言い直すから)
(大丈夫ですよ。念話修行の一環でお母さんと難しい話もしますので)
(獅童家やばぁ……道具も使わずに独力で念話するだけでも凄いのに)
思わず出たのは、畏怖と称賛の混ざった所感だった。
瑠璃の固く結ばれた口元が、少しばかり得意げに綻ぶ。
ふふんと声さえ聞こえてきそうで、長雨は慌てて気を逸らす。これが読み取られたらまた怒られそうだと。
そんな長雨に気付かず、瑠璃は意気揚々と自身の念話の解説まで始めた。
(ちなみに正確にはこれ、念話で言葉を伝えているのはわたしだけで、長雨さんの言葉は借力と念視の合わせ技で表層思考に浮かぶ言葉を読み取っています)
(ちゃくりき……言われてみれば、俺は機器もなしに念話なんてできないしな)
(借力とは思念による物体干渉です。長雨さんの方が知らない言葉多そうですね)
(しょうがないだろ、小学校中退だし)
カードを交換する最中に、幼女は再び吹き出した。
今度は姉からのハンカチを受け取る。長雨に向けた目は驚愕に震えていた。
(最終学歴なしだよ。これは誰が悪いでもなく自己責任だから笑い飛ばしていいぜ)
(笑わないですけど……戦時下ですし、色々と察します)
(うぅむ、五歳児とは信じられない気遣いだ……それで俺になにを話したいんだ?)
今度はブタを堂々と披露しながら、長雨は瑠璃に問い掛ける。
(姉ちゃんに聞かれるのは憚られる内容なんだろ。言いなよ、聞くぞ)
(……さっきの貴方への暴言を謝罪させて下さい。命の恩人に遅いと詰るか、口にするべき言葉じゃなかった)
神妙な謝罪、これが幼児の発言というアンバランスさに、長雨は困惑のまま唸る。
もっと素直に、心のままに我儘でいて良いだろうに。
極限状態にあった五歳児に気配りを求めるほど、長雨は自分本意な人間になりたいとは思わない。
(気にすんなよ。前述の通り俺は馬鹿だが、あの時の瑠璃ちゃんが誰のために怒っていたのかくらいは分かるつもりだよ)
(その姉の為にも、わたしを悪くないと言わず、謝罪を受けて欲しいんです。お姉ちゃんはわたしの為に辛い選択を強いられた。わたしは貴方を詰った時、その重さから逃げたくて。こうなった理由を、貴方に擦り付けたかった)
それが今更でも許せないと、瑠璃は長雨に伝えた。
自己分析を経て、彼女は自分を正すことを決めたのだ。
そんな幼女の罪の告白を、長雨はもう否定できない。罪の意識の否定は心の衝動の否定、ひいては獅童瑠璃という少女の否定に繋がってしまう。
子どもの頃に抱いていた潔癖さには、長雨も覚えがあった。彼女は自分を省みて、美しくあろうとしている。自己嫌悪を払拭する為に、姉を愛する自分まで否定しない為に。
こうなればもうなにも言えない。この期に及んで子どもらしくあれなど、己の理想の押し付けだ。
理想は自分の中でだけ輝けば良い。その眩しさで他人を無理に照らすのは暴力だ。
(あらためて、ごめんなさい長雨さん。助けてくれてありがとうございました)
(ああ、確かに聞きました。俺もあらためて、君を助けられて良かったです)
瑠璃の願い通り、彼女の謝罪を受け入れる。
間違いを認める勇気に尊敬さえ抱きながら。思わず敬語にもなろうものだ。
その気高さを忘れない限り、この先彼女が何度間違えようとも、立派に立ち直る姿が会ったばかりの長雨にも想像できた。男の思考は幼女に語る。
(強さとは躓かないことではなく、心が信じる正しさから逃げないことだと思う。君は確かに強い。きっと家族に限らず、大事なものを大切にし続けられる人なんだろうな)
――間違えて、失ったものから目を逸らして逃げた自分とは違って。
そう続きそうになった心の声に、長雨は慌てて口を噤んだ。
その言葉は果たして瑠璃に届いてしまったのか。恐る恐る窺った彼女は、しかし俯き耳を赤くして照れているようだった。
勇気を出したことを肯定されてはにかむ姿は、年相応で微笑ましい。
そして良かった、聞かれなかった。安堵しつつも再認する。瑠璃に比べて懺悔さえままならない自分の弱さを。
(……貴方は、心を読まれて気持ち悪くないんですか?)
そうやって己を隠す長雨とは裏腹に。
気を許してきたのか、瑠璃はどんどん饒舌に、自分をさらけ出していく。
今日の出来事は、実際に彼女を一旦は極限状態にまで追い込んだ。
その危機を助けてくれた人物だと認めたことで、自覚もなしに普段からは考えられない勢いで、瑠璃は一方的に長雨との心の距離を詰める。
ここまでの瑠璃の念話には長雨を値踏みする目的もあり、男は信頼を勝ち得たのだ。
母は不在で姉は不安定、この状況での彼女の次の手は、その信頼を相互に、より強固にすることである。
(わたしの念話は現在体験している通り、わたしの意識的な制御下で行われている。なにを出力してなにを読み取るのか――情報の取り捨ても自由自在に)
五歳児らしからぬ頭脳と能力に、瑠璃は自覚がある。
それを念話でここまで披露したのだ。
これまでの経験談からも、不気味な幼女だと思われるのは避けられないだろう。
しかし正体は不透明の怪物であっても、心は公正であろうとする一人の人間なのだと知って欲しかった。
(そうだな。この念話だって、ポーカーと並行処理している現状がもう信じられない)
瑠璃に遊びながら念話をしろと言われた時、そんな器用な真似ができるのかと長雨が感じた不安は、蓋を開ければ杞憂に過ぎなかった。
長雨が自認するよりも器用だった、訳ではない。
瑠璃がこの念話を、利用者に掛かる負担まで完全にコントロールしていたからである。
長雨の思考処理にまるで負荷を与えず、言いたい言葉を読み取り、優しくはっきりと言葉を聞かせる。
瑠璃の持ち掛けた念話は、長雨の知る従来の念話と根本的に違う。
その裏にあるのは気遣える余裕と、それを可能とする念波動の高度な操作技術だ。
(きっともっと凄いことができるんだろうな、君の力は)
(はい。もう気付いているのでしょうが、わたしはその気になれば貴方の隠す全てを暴けるしょう)
だからこうして、自分の念話の凄まじさを、その不公平さを自ら明かす。
誇張はない。表層思考の上っ面だけで念話をしているのは、制御権を握る瑠璃がそうしているからに過ぎず、彼女が望めば読まれる心はそんな浅瀬に留まらない。
(もう一度聞きます。わたしに心を読まれても、貴方は大丈夫なんですか?)
こんな質問を、彼女はこれまで家族以外にしたことはない。
しかも返答をある程度予測し、求める言葉へと誘導するように、幼さに絡めた縋るような仕草を意図的に加えてである。
長雨の気遣いを信じているからこそ、きっと自分を否定せずに受け入れてくれるだろうとの答えありきで――
(大丈夫じゃないな、困るわ)
くらえ! とばかりにストレートの役を見せる。
ようやく訪れた反撃の機会に、長雨は期待を込めた目で二人の札明かしを待つ。
(…………)
(……?)
(話が――話が終わったんですけど!!!)
(んぎゃあ! 頭が潰れるぅ!)
姉の手前、怒りの顔は見せなかった。
代わりにとびきりの大声量ならぬ超念話を目の前の男に叩きつける。
脳の情報処理能力を超える負荷に目の前が真っ白になりのたうち回る長雨を、フラッシュの役でさらりと制した紫が慌てて駆け寄り抱き起こした。
(め、目が文字で埋まった、チカチカする……)
(違うでしょう、そこはこう、大丈夫だよって優しく受け止めるところでしょう!)
(でもここまで正直に話してきたし……嘘は通じないかなぁって)
(少しは取り繕ってくださいよ。全部台無しじゃないですか……)
危険な力を持つが哀れな幼女を受け入れる、懐の深い大人の構図を用意したのに。
相手は乗らず土壇場で役割を放り捨てて、残ったのは本気で危ない幼女ともがき倒れたおっさんである。
……それを支える紫は、慰めるような仕草で長雨の頭をぽんぽんと優しく叩いていた。
(とはいえな、俺も人には言えないようなことをいっぱい抱えているんだよ。安請け合いして五歳児に覗かれたら、精神的なダメージを負わせちまうよ)
(この場だけでも保護者的な存在になってくれるという形式的なやり取りを求めていたんです、許可もなく他人の心を暴く前振りじゃありませんよ)
(ああ、そういうことか)
納得した長雨は、紫に大丈夫と告げて手を止めて貰うと立ち上がった。
そのまま瑠璃の前まで来ると、屈んで彼女に手を伸ばす。
備える語彙は大人以上、人を試したり、形だけでも誓約を求めた幼女。
仮面を脱げばなんてことはない、姉と自分の身を案ずるその辺の子どもだ。
「戦時下だろ、隣人同士の助け合いとか当たり前なんだよ」
子どもを守らない社会に意味はない。それは長雨が常々思う持論である。
「特別な関係なんて要らない。信じてくれるなら、この手を掴め」
差し出された瑠璃は、不安を隠せなかった。
自分を晒して、特別な関係を結ぼうとした男は、それを拒否した上で握手を求めてきた。
その手を取るには、赤の他人を信じなくてはならない。
どうしてこんな、難しいことを。
打算の関係を嫌ったのか、子どもにそんな解決手段を覚えてほしくなかったのか。
難しいから、特別な人になってほしかったのに。
家族とか、友人とか、好意を抱いた人が相手なら、信じるのは簡単だ。
裏切られても受け止められるから、悲しくても納得できるから。
どうでもいい相手の心変わりで、なんの意味もなく終わりたくないから。
信じる為に関係を結ぶのが、そんなにいけないことなのか。
自己欺瞞を求めて、信頼関係を利用することを、この大人は許してくれない。
こんな勇気のいることを、五歳の子どもに求めるなんて。
「いじわる」
――瑠璃は長雨の手を取った。
引っ張られて立ち上がり、その勢いのままに一歩を踏み出す。
こうも近くで並んで見ると、やはり大きな男だった。
幼女との身長差は歴然で、その光景は手を繋ぐ親子である。
「ありがとうよ。信頼には応えるぜ」
「……うそついたら、のろってやるから」
長雨は大いに笑って空を見た。
少し遅れて、その腕の通信デバイスに仲間から連絡が入る。
「来たぜ」
「もう俺からも見えてるよ。連絡遅過ぎだろ」
「そっちは盛り上がってたみたいだからな、このロリコンめ」
甲斐は喉を鳴らして通信を切る。
紫も立ち上がり、姉妹揃って長雨の視線を追うように頭上を見上げた。
「さてと、正念場だな」




