第二十一話 祭りの前に
十一月二日の、青海雄二の自宅でのこと。
雄二には家族が一人居る。
母の青海楓は少し身体が弱く、日中は自宅で内職をして過ごしていた。
それでもお金には困っていない。雄二がハガネマルの搭乗員になる前から。
父の遺族として受け取った莫大な弔慰金があるからだ。
「……雄二さん、お仕事は上手くっているのかしら」
「大丈夫だよ。母さんが心配することはないから」
こういうやり取りも何度目になるのか。雄二は胸の内でため息をつく。
母が内心で自分の近況を歓迎していないのは、この話を始める時に決まって纏う彼女の緊張した空気から理解していた。
そこには彼が産まれる前に亡くなった父が関わっていることも含めてである。
「精太くんだったかしら、お友達とも喧嘩せずに仲良くやれてる?」
「まぁ、それなりに」
「教官さんには、問題はない?」
母としては、自分に今の仕事を辞めて欲しくて、遠回しにその取っ掛かりを求めてくる。
それが業務であれ人間関係であれ、雄二が少しでもネガティブな発言を漏らせば、これ幸いにと仕事を辞めるように話を誘導しようとするのだ。
その際の応酬が面倒で、今の雄二は断言と曖昧な言葉を使い分けて、時に母から続く言葉を断ち切り、時に母の言葉を受け流してやり過ごすのが、この話のお決まりとなってしまっていた。
そして最近では、雄二と新たな人間関係を築きつつある人物、衛守哲人の話題もまた母の槍玉に上ることがある。
「ウォーキャリア乗りの軍人さんだと、子どもの相手も難しく感じたりするんじゃない? 元々教職の方ではないのだもの」
「いいや。頼れる人だよ、母さん。今日もこれから精太とその人に会いに行くんだ」
「雄二さん」
「――母さん。僕はこの仕事に不満があるわけじゃない」
少年は覚悟を決める。重い話を始める覚悟を。
楓が語りたいことは、結局一つだ。
強制こそされていないが、その結論に雄二の意見は汲み取られていない。
少年は母を嫌ってはいない。寧ろたった一人の家族である、彼女の悲しい顔を見るのは辛いし、悲しませるようなことをするのだって避けたい。
ずっと愛されて育てられた。愛してくれた家族を愛しているのも、なんらおかしくない話だ。
しかしもう十二歳である、保護者の言葉を絶対として自分の意見を曲げることに息苦しさを覚え始めたのも、彼が真っ当に成長している証左と言えた。
「戦いを生業にする人が、戦争から隔離されてきた僕たちと感性を違えるのも間違っていないと思う。でもそれは人を差別する理由にならない筈だよ。少なくとも僕は、それで人を非難する人間になりたくない」
「私も非難なんてしていないわ。でもね、その見えない違いが大事な時に牙を剥くの。あなたがしているのは命を預かる仕事よ。いざ命令と自分の望みの板挟みになった時、子どもだからと逃げられる自由はない。その責任を背負う自覚が本当にあるの?」
「誰よりも自由だけど、そこから逃げないやつなら知っている」
恋愛のことと、仕事のこと。この二つに対しては、自分の意思を無視して答えを出したくないと、雄二はそんな意地を抱いていた。
譲りたくない、これに関しては。
雄二がハガネマルに乗る時、目にはいつも精太の背中が映る。
自分よりも小柄な少年の前には、大きな怪物の姿がある。
その背中に守られているのだという自覚がある。
ゆえに確信している。今の場所からさえ逃げ出したら、自分は二度と、精太に面と向き合うことはできなくなるだろうと。
それを分かっていながら逃げ出すなんて行為には、相応の価値がなければ釣り合わない。それこそ好きな人のためとか、相応しい理由がなければ、その選択に自分で納得ができない。
納得できなければ心が軋む。自分が嫌いになってしまう。
「母さんが、僕に危ない目にあってほしくないのは分かるんだ」
「……そうよ。母さんのお願いを、聞いてはくれないの?」
「でも戦場での僕の居場所も、誰かに守られている場所なんだよ。その誰かは同い歳で、僕はいつもそいつに大きな口を叩いているんだ」
「…………」
「せめて――せめて、友達を置いて逃げたくないよ。僕は明日も、馬鹿なそいつに好き勝手言いたい、まだ一人にしたくないんだ」
彼女に、未唯に向き合う。
先日、そう決心した時に、雄二は自分の母との対決も決意した。
どちらも避けられない。
共に大事な人だからこそ、話し合わなければならない、その上で、譲れないものを譲らずに主張しなければならない。
「でも母さん、僕はずっとこのままでいいとも思っていないんだ。今の僕にできる役割はハガネマルありきだけど、将来的には別の、軍から離れる仕事も視野に入れている。母さん譲りの運動神経だからね、荒事に向いていない自覚はあるから」
「それはそうでしょう。戦争に納得できなかったから、父さんと母さんは結ばれたんだもの」
「だから母さん、もう少しの間見守ってほしい。もう無理だと思ったらちゃんと逃げ出すから。逃げない間は、僕が自分の選択を誇れているんだって、分かってほしいんだ」
雄二の言葉に、楓はそれ以上なにも言わなかった。
精太たちとの約束の時間が近付き、雄二も出掛ける準備に入る。
……その支度が終わり、家を出る間近になっても、母親は黙り続けていた。
「……親不孝者でごめん母さん。行ってきます」
いってらっしゃい。その言葉だけは辛うじて、雄二の耳に届けられた。
誰もいなくなった家で、楓は椅子に座りテーブルに突っ伏す。
「……最初で躓いていたのよね。ハガネマル――いいえ、軍と関わることを許可するんじゃなかった」
雄二に仕事を辞めて欲しい。いつものように、はぐらかされて終わる話だと思っていた。
しかし息子は真正面から相対してきて、その迫力に押し切られてしまった。
そうして気付く。論戦を行う覚悟を持っていないのは、自分の方だったと。
「岳人さん、あの子はあの日のあなただった。嫌になるくらい似てしまって、だから置いていかれそうで怖い。足枷になりたくないのに、自由にさせてあなたみたいに空の向こうにまで飛んでいかれたら、もう私には何も残らないわ」
十三年前を思い出す。
十五年戦争の七年目に、遂に口を開いた来訪者。
新種の敵性存在に沸く周囲。
交渉の可能性、戦争終結への希望を抱く世間。
様々な思惑と期待を背負って、妻を残して旅立った夫のことを。
「……そろそろ時間ね」
思い出に浸りながら一時間ほど経過して。
時計を見た楓は呟き、ほどなくして呼び鈴が鳴る。
立ち上がり玄関へと向かい、確認もせずに戸を開けた。
男性が二人、笑顔で立っていた。
「本日もお招き頂きありがとうございます」
初老の男が被っていた中折れ帽を取り、恭しく礼をする。
その姿勢、崩れない笑顔には年季が入っていると窺え、宗教勧誘の類を連想させる。
もう一人の男は笑ったまま、笑い続けていた。
声もなく喉を震わせているような、失礼ながら不気味さを感じてしまう顔だ。
何度見ても慣れない。以前に紹介された時は、初老の男の身辺警護を兼ねる男だと説明を受けたが。
「お待ちしておりました。どうぞお入り下さい」
「ありがとうございます。今日は先日以上に興味を引かれるお話をご用意させて頂きましたのでご期待下さい」
二人を家に上げる。
初老の男は朗らかに言った。
「青海岳人さんの尊い犠牲を共生派は忘れておりません。都合の悪い情報を統制し必要のない戦争を続ける勢力を退けるべく、彼の遺志を継いだ我々が立ち上がらなければいけない時は近付いております」
隣の男は笑顔を顔に貼り付けたまま、ぎょろぎょろと雄二の家を睨め回していた。
所変わって須崎碧の邸宅では、二人の女性が衣装部屋の前で言葉を交わしていた。
「もう涼しくはありますが、着物は動き辛いと思うので浴衣に肌襦袢で調整致しましょう。こちらから好きな柄をお選び下さい」
「……おめかしし過ぎと言いますか、気合が入っていると思われませんか」
「? そう思われることに問題が?」
「あくまで日常の一コマと、その域を出ない感じで平和に過ごしたいんですが」
碧の意見に、深見陸奥は大仰に首を横へ振る。
「いいえ、浴衣を着るべきです」
「断言しますね……」
「自然に殿方へ和服を見せられる機会はそうそうありません。チャンスをものにせずしてなにが須崎碧か。そんなへっぴり腰に育てた覚えはありませんよ」
「言うほど深見さんに育てられた記憶はないんですが」
「勝手ながら母の言葉を代弁しました」
「ばあや――深見先生に怒られますよ」
深見先生とは、深見陸奥の母親、深見武蔵のことを指す。
碧の修める武術に限らず、教養の一切を彼女に叩き込んだ人物である。
須崎正宗の幼馴染で、彼の秘書と須崎家の家令を兼任するスーパーウーマン。
碧にとっては母親代わりでもあり、誰よりも敬意を抱いている相手だった。
「いいですか、まず最初にお嬢様は自分が可愛いのだと自覚しなければなりません」
「ありがとうございます」
「ここで落とす気概を持ちましょう。いざとなれば機動メイドを動員して人払いを仕掛けます。媚びる所作など要りません、身を寄せて木陰に手を引けば抗える男など」
「どこから突っ込めばいいのか分からない!」
悲鳴を上げるように叫ぶ碧に、なにがいけないのかと陸奥は困惑を顔に浮かばせる。
困っているのはこっちだと、碧は頭を悩ませた。
いったいどの誤解から解けばいいのかと。
「……落とすつもりはありません。今回は見送るという意味ではなくて、落とすこと自体を考えていないからです。なのでそれ以降の作戦は一切不要です」
「ええ……?」
「こっちが言いたい」
最近の陸奥はこんな感じで、碧の思惑の外で好きに振る舞うことが多い。
もちろんこうしてプライベートで、二人きりになった時くらいにしか見せない態度だが、人間味に溢れた自由奔放さは昔を思い出させて懐かしくなる反面、そのノリの被害を被るのが必然的に自分だけになるのが困りものである。
内弁慶とは言わないが、深見先生に厳しく躾けられた反動がきているのかもしれない。
「でもお嬢様、あの方のことお好きですよね」
「ノーコメントで」
「お嬢様、あの方に欲情していますよね」
「なぜ言い直した、言え!」
「これは流石に冗談ですが、昨夜は思い悩むあまり良く眠れていなかったようなので」
言葉に詰まる。これは本当で、二日後のことを考えるあまり眠りに落ちるタイミングを見失ってしまったのだ。
「だって……衛守さんは知らないだろうけど、明日は私の誕生日だし」
十一月三日は碧の生まれた日である。
期せずしてその日にお誘いを受けた碧は、哲人の真意を測りかねたまま上の空で返事を繰り返し、気付けば約束をしたことになってしまった。
「いや知っている筈ですよ。学校での評判だって調べられているんです。それくらいのプロフィールなら把握していて当然かと」
「誕生日なんて大した情報でもないし、読み流してもう忘れていますよ……」
「彼がハガネマルの搭乗員たちと仲良くしたがっているのは明らかです。その良いイベントになりそうな日なら抑えているかと思いますが」
そう言われると碧も否定できない。
誕生日に異性とデートに行く。たったそれだけと思われるかもしれないが、碧にとっては初めての体験なこともあり、普段の落ち着きを失ってしまっていた。
「お嬢様、わたしは嬉しいですよ」
「……なにがですか。私の痴態がですか」
「わたしが知る限り、ここまで誕生日を楽しみにしているのを見るのは初めてです」
陸奥の言葉に、碧はなにも言えなくなる。
そこには笑い飛ばせない、碧のある事情が絡んでいるのだが、陸奥は敢えてそこに踏み込み、続けて碧に語り掛けた。
「本当のところは、誕生日だから特別な日、ではないのです。わたしには見えます、彼と過ごす明日こそが特別な日になると。そうしてお嬢様は初めて、誕生日に生まれたことを喜ぶようになるのでしょう」
「…………」
「十三年遅れてやってきた誕生日、というわけです」
飛躍し過ぎです、そう碧は諦めたように呟いた。
そうして迎える翌日、情緒が滅茶苦茶にされることを少女はまだ知らない。




