第十二話 七日目 その二
「――観測されている次元裂傷値の上昇量が大幅に増加、このままでは二十分以内に従来の規定値を超えると予想されます。現地到着後、通信管理部の人間がフェイスプット経由で情報交換を担当しますが、ミシマミゾクヒの戦闘で確認された通信異常等により、これが妨害される恐れがあることをご理解下さい」
「了解しました」
「もしかして緊張なさっていますか?」
「ええ、最近は交通整理ばかりだったので」
ウォーキャリアのコクピットで、軽口を叩きつつ哲人は気息をを整える。
最後に現実の戦場に立ってから、どれだけの時間が経っただろう。
緊張していない、と言えば嘘になる。
この点では精太たちの方が肝が据わっている。頼りなげな姿で若いパイロットたちの不安を煽る訳にはいかないと、哲人は目をつむりシートに背中を預ける。
人機間念・波動接合はまだだが、心持ちは既に一体であるように。これから運命を共にする愛機との思い出を振り返りながら。
そこでふと思い出したのは、先週にした約束のことだった。
「ところで通信士さんにお聞きしますが、貴方の名前は遠野リナさんですか?」
「? はい、そうですが」
「今度の飲み会、うちの整備班をよろしくお願いしますね」
「ふふっ、大山さんからそちらの話は良く伺っていますよ。祝勝会を兼ねて景気良くいきましょう!」
有り難い励ましを頂いて、一旦通信が切られる。
今の発言から見える遠野リナの人となり、こういう女性はよく知らない男に奢らせない気がする。
奢れないという事は、相手の出費も考えた場所選びが大事になるということで、宗玄たちに任せ切りにするのは少し不安である。
……とはいえ何でも引き受けていると本人達が経験を経て成長できない。失敗も覚悟でやらせてみよう。これは決して合コンにこれ以上関わるのが面倒なだけではない。
そんなことを考えていたら、その整備班から通信が入った。声の主は田村一徹、合コンと関係のない人物であったが。
「聞こえるか、哲人」
「ああ、大丈夫だぜ一徹。どうした」
「ナイツライズにも亜空間転移ゲートの使用許可が下りた。このままハガネマルの使用する開孔口まで降ろすから楽にしていろ」
「なんだ、久し振りにベイパーコーンでも作ってやろうと思ってたのに」
出撃後、戦場まで飛ぶ過程をイメトレしていた哲人は、少し残念そうだった。
一徹はその様子に呆れながら返す。
「あれは推進時に媒質の抗力が念奏者の制御下に無い証拠、つまり念波動の弱さを示す現象でもあるんだぞ。防護スクリーンが無ければ道中直下への衝撃波被害も考えなくちゃならない、百害あって一利なしだ」
「百害……まぁ時代遅れのウォーキャリアが一機で超機獣の所に飛んでいったら自殺を疑われるわな、場所も富士の樹海なだけに」
「……あそこも随分と広がったな、昔は青木ヶ原、富士山麓の一部を指していたのに」
「十五年戦争で焼き払われた所を片っ端から呑み込んで、今や富士の山をぐるりと囲う勢いだからな。憶えているか、敵性存在が地球環境保全を目的にしているってトンデモ説、その怪現象が由来だったんだぜ」
「ふん、解明された今となっては失笑ものだな」
「解明と言っていいのかね。未だ謎な念波動に説明押し付けただけな気もするけど」
出撃前の無駄話であるが、普段の一徹ならこのタイミングで話を振ってくることはしない。察しているのだ、この先に鬼が出るか蛇が出るか、それに臨む哲人の心情を。
「チームハガネ号、気に入ったか」
「それなりに話したのは二人だけどな、教官業務が楽しめるやつらだよ」
「命を懸けるのは良いが、捨てにいくのは止めておけよ」
「勿体ないことはしねぇよ、相応のリターンがなければ割に合わんからな」
嘘はつかなかった。
哲人の言葉は、友人に誠実であろうとした、精一杯の真実である。
目的を為すために命を投げ出す瞬間はあるだろう。闘争は優しいおままごとではない。
死に近付くことで生を拾う機会を頻繁に目にするのが戦場だ。逃げることで死に、死ににいくことで免れる、問題と解答がくるくると引っ繰り返る世界では、結局自分のやりたいことを見失わなかった人間だけが、どんな結末に至ろうとも納得を得られる。
最後まで自分に、大切なものに、嘘はつかなかったと。
「そう心配すんなって、いつもよりちょっと遠出するだけさね」
「……正操縦士の少年、お前が強いと信じているぞ」
「真偽はともかく光栄な話だ」
「それがあっさりやられたら挫ける。今日も生き残れよ、誰かのために」
通信が終わる。
俺好みの台詞を残しやがって。哲人は理解者の言葉を反芻して笑う。
思い浮かべる赤城精太の可愛らしい笑顔は、確かに曇らせるには惜しい逸材だ。
まったく分かり易い、良く翻訳された宝物である。命を大事にしろ、自分のために生きてこその人生、そんなありがたくも振り翳された真理より、よっぽど愚か者の心に迫る。
――富士の樹海、亜空開孔起線前。
「うぅ……搭乗初日以来だけど、亜空間転移やっぱり嫌い」
富士大宮基地からの亜空間転移酔いに奏は呻く。
次元を跨ぐこの移動手段を、彼女は心底苦手としていた。
「僕は普段の砲丸投げみたいな力技よりよっぽどスマートだと思うけどね」
「でもあっちの方が派手で格好良いよな、ヒーロー見参! みたいな感じ出てて」
「カナちゃん気をしっかり、敵の来る場所は目の前だよ」
他の三人は普段通りのコンディションで、ハガネマルを亜空開孔起線の目の前に置く。
敵の到来までもう少し。
その背後でぴしりと音が鳴り、空間が歪み――ウォーキャリアが出現した。衛守哲人のナイツライズである。
「五年ぶりだな亜空間転移……お前らの方は大丈夫か」
どちらの組も、人機間念・波動接合は済ませたようだ。
現れた哲人のフェイスプットに、精太が余裕だと顔で答える。
「ふふん、この移動なら教官の交通整理も要らないからな。感謝しろよ!」
「ん、精太が申請したのか、これ」
「いいえ、白沢司令の指示です。こちらはカナちゃんが少し調子を悪くしていますが……」
「大丈夫、後を引くほど酷くはないから、もう平気」
「……しかし教官、やはりウォーキャリアは、その、小さいですね」
おそるおそるな雄二の言葉に、その通りだと哲人は首肯した。
そして二機の戦力差は見た目以上に大きい。実際、ハガネマルのデコピン一発でも大破するのは間違いない。
これ以上の口八丁で信頼は得られないだろう。最早実戦で力を証明するのみだ。
「それでも役に立ってみせるさ。懐かしい戦場の匂いに、老兵の魂は燃えているぜ」
「ここじゃ木の匂いしかしないぞ」
「精太には分からないだろうけど、本当に怖い所よここ。あの一際大きな木、この前の戦いで超機獣ごとへし折ったやつだもん」
「ハガネマルとあまり変わらないから、五十メートル以上はあるんじゃないか」
ここは怖い。そんな奏の正直な感想も無理はない。
――以前に念波動の効果を、現実を上書く超常現象と話した。
念奏者の意に則り世界を変える力なのだと。
富士の樹海の増殖、再生という怪現象の説明は、つまりこれである。
富士の樹海に対する生きた人間の共通認識と、ここで死んだ人間のこびりついた死念とが、この単なる大きな森を、文字通り未踏の魔界へと変えた。
死人を招く魅力を持ち、一度踏み入れば容易には抜け出せず、文明の利器を狂わせる魔力が渦巻く。
そんな眉唾物未満の俗説が、念波動の出現により、その影響を一身に受けることになったのだ。
そうして産まれた不壊の地――否、不滅の地。
死と生の境界が曖昧なここは、倒れた樹木が翌朝には起き上がり、息絶えた動物の遺体が夜中に足跡を残して消えるという。
富士の樹海は今や、この国の住民が抱く認識を反映した人工の異界である。
「ミシマミゾクヒの戦闘映像とか周りは荒れ地だったけど、あれが普通なんだっけ」
「他所は十五年戦争で燃え尽きた荒れ地や、荒廃した廃都市部に亜空開孔起線を置いているね。私達の所くらいだよ、こんな森で戦っているのは」
「普段の滅茶苦茶な砲弾式出撃も、元を辿ればこの樹海が負った損傷を回復させる経過を観察するために始めた、なんて話もあるくらいだからね」
「もっともらしく言っといて、結局噂じゃないの」
富士の樹海について話を盛り上げる四人を、少し離れて見る。
弾にされて吹っ飛ばされて森に着地して戦うという、今までのプロセスを辿らなかったからだろうか。
着弾時の衝撃で薙ぎ倒された木々の中心ではなく、鬱蒼と生い茂る森の中に現れたことで、普段とは違う視点からこの不思議な森を語りたくなったのだろう。
その行動の背景には、言葉にできない不安から逃れる目的もあったのかもしれない。
「――こんちにちは……通じ、ますか?」
突然、新たなフェイスプットが開かれた。
目元が隠れた大柄な女性が映っている。これがリナの言っていた戦闘中の情報交換を担当する通信士だろうか。
「通じています。ハガネマルとナイツライズ、共に問題ありません」
「ああ良かった……現在、通信障害により樹海の内外で通常の通信手段が機能していません。以降、発令所との通信は通信管理部の四法印茉莉花が経由して行います」
茉莉花。大山裕子も話題にしていた、月の涙以前から能力を確認されていた超能力者である。
おそらく通信障害はミシマミゾクヒが陥ったものと同じだと考えられる。
裕子、リナと共に有事に発令所で仕事をする通信士。その中で茉莉花は今回のようなイレギュラーへの対抗策なのだろう。
念波通信妨害も貫く本物の超能力を用いた通信、もしフェイスプットがなかったら、頭の中に彼女の声が直接響いていたのかもしれない。
哲人としては、ミシマミゾクヒの件から発令所との通信は難しいものと考えていたので、茉莉花の有能さは嬉しい誤算だった。
「了解しました。皆もそれで大丈夫だな」
「大丈夫、よく聞こえるよ茉ねぇ」
「はい。それでは亜空開孔起線が開かれるのをお待ち下さい」
後は次元裂傷値とのにらめっこか。
ゴングが鳴るのは近い。哲人は左腰の二本の鞘と、右肩後ろの一本の鞘に意識を向ける。
既に刃の無い柄をそれぞれに嵌め込んであるそれは、鞘の中で哲人の球鋼を今か今かと待ち望む思念の積層が渦を巻き、まるで嵐の様相をその内に孕んでいる。
それも総ては、哲人の求める刀を創るために。
太刀を産むは意鞘。
小太刀を産むは気鞘。
大太刀を産むは地鞘。
三本重ねて意気地の鞘。哲人とは五年越しの邂逅だ。
拡張専用武装。十五年戦争も終わりを迎えて、再び命を預ける事になるとは。
「……そろそろ規定値を超えますね」
雄二は語り、亜空開孔起線を注視する。
いや、全員が見ていた。穴は、値を超えても、開かれない――
「だよねぇ……だよねぇ」
奏が嫌そうに繰り返す。
当たり前だ、強敵を前に燃え上がる精神など。一介の中学生女子が持ち合わせているものではない。
「…………」
碧は何も喋らない。
二つの瞳に色はなく、ただ感情を廃して観察に努めている。
何も起きない黒い亀裂を、じぃっと視線を逸らさずに。
そして。
「来るぞ」
精太の呟きに示し合わせたのか、亀裂の内側から十本の指が、この世界へとめり込むように現れた。
自身が歓迎されない事を理解しているのだろう。
次元を裂く暴力を指に乗せて、黒い穴を広げて、怪物は強引に富士の樹海の土を踏む。




