TSクリーニング店『お気にのワンピ』②
一週間後、再び「山田花子」として店を訪れた僕は、予想外の出会いを果たすことになった。
「お待たせしました」店員さんが恭しく差し出したのは、丁寧に折り畳まれたワンピースだった。「こちらは特殊洗浄を施していますので、生地の風合いは保たれていますよ」
受け取った瞬間、ふわりと香る高級な香水のような香り。
自分の安物の洗剤とは違う香りに戸惑いを感じながらも、礼を言って店を出た。
◇
部屋に戻った私は、早速、ワンピースを試着した。クリーニング店の店主から贈られた"特別な仕上げ"という謎の言葉が頭をよぎる。
鏡に映る自分。最初は変わらないと思った。しかし—
「あれ……?」
胸元に微かな違和感。軽く触れてみると……「膨らんでる……!」
パニックになってワンピースを脱ぎ捨てた。そこには確かに存在しないはずの乳房があった。小さくはあったが確かな柔らかさが指先に残る。
「なに、これっ……そんなはず……」
慌てて全身を確認すると、肩幅が細くなり、腰回りが丸みを帯びていた。「女……まさか」
恐る恐るワンピースの裾をめくって強引に股間をまさぐる。
「あっ……あ、あ、あ、あった!」
股間を覆っていた布の奥に小さく縮み上がっていたけれど、ちゃんとあった。
「とりあえず……よかった、まだ、男だ」
震える手でスマホを取り出し、クリーニング店の番号にかける。コール音が三回鳴ったところで相手が応じた。
「もしもし……山田です。えっと、いったい何をしたのですか、クリーニング?」
沈黙の後、相手は静かに告げた。
「山田さん、あなたは徐々に女性になっていく。あのワンピースには魔法がかかっているんですよ」
電話越しに聞こえる店主の声は穏やかだった。
「あなたの愛情が服に宿っていたんです。その想いに服が応えた。そういうこともあるのですよ」
窓から差し込む夕陽が部屋を赤く染める中、僕は自分の体を見下ろした。胸の膨らみは明らかに作り物ではない。乳首の位置まで微かに変化していた。
「でも……なんでこんなことに……」声が震える。
「あなたがそのワンピースを本当に愛していたからでしょう」店主は言う。「あなたはこう想っていませんでしたか……この綺麗なワンピースが似合うような身体になりたいってね」
思わず僕は息をのんだ。「あっ、でも……」
「あなたのような方を私達は何人も見てきました」店主の声に慈しみが混じる。「ただの洗濯屋ではありません。心の拠り所を見つける人のための場所なのです、そう"選択"できる場所なのです」
電話を切り、再びワンピースを手に取る。滑らかな絹の感触に触れると心が落ち着いた。
◇
鏡に映る自分が少しずつ変わっていく様子を観察する。肩幅は狭くなり、ウエストはくびれ始めている。手足も細くなってきた気がする。「不思議なことが起きる……か」
「会社休むわけにもいかないし。今日の格好……変じゃないかな」
玄関前の鏡に映る自分に問いかけながら、肩を落とした通勤用ビジネススーツのジャケットを羽織り直す。ズボンの裾を調整しようとした時、ふと気付く。「ん?」
確かに昨日まではぴったりだったはずのジャケットが少し窮屈だ。いや、それ以上に……
「なんか……胸元が引っかかる?」
視線を落とすと、シャツのボタンが僅かに浮いている。まるで中から何かが押し上げているように。慌ててジャケットの襟を立てて隠す。「また、胸……大きくなったみたい。Bカップのブラがきつい。C、いや、Dカップくらいかも」
電車の中で吊り革を掴む左手。いつもなら腕が伸びるはずなのに、なぜか余裕がない。
「おかしいな……背も縮んだ?」
駅のホームで降りた時、誰かにぶつかった。反射的に謝ろうとして顔を上げると、目の前に立っていたのは—
「あ、君は……あの時の……」
前にクリーニング店で助けてくれた大学生だった。彼は僕を見るなり微笑み、
「こんにちは。似合ってますよ、その格好」
「え?ああ……ありがとうございます」
何が似合っているというのか分からないまま会釈する。
「あれ?」
(なんだ……?)
気付けば周囲の視線が妙に集まっている。いや、正確には、笑われていた。
「ねぇ見て、あのお姉さん……男装? ジャケット、ダブダブじゃん」
遠くからの囁き声に振り向くと、女子高生二人がこちらを見てくすくす笑っている。
咄嗟に髪を掻き上げると、耳に指が触れた感触。
「うわっ!」
耳が小さい。そして手の動きがあまりにも自然すぎる。
(いつから僕は髪を整える癖なんて……というか、こんなに髪、いつの間に伸びたんだ)
焦りながらコンビニに駆け込み、トイレに駆け込んだ。個室の鍵を掛けた瞬間、背筋を寒気が走る。
鏡に映るのは間違いなく僕なのに—いや、違う。
顎のラインが鋭角から緩やかな曲線に変わり、喉仏はほとんど消えていた。頬骨も丸みを帯び、目尻がほんのり垂れている。
「冗談だろ……女みたいな顔」
声を出して驚く。確かに低い声のつもりだが、どこか透明感があり響き方が違う。鏡の中の僕も同じことを思ったようで、眉をひそめた。
その時、「お客様?」とトイレ外から女性店員の声。
「大丈夫ですか?かなり長い時間閉まってますが……」
「あ、すみません!ちょっと具合が悪くて……」
反射的に口から出た言い訳。その声が高くて綺麗な女声で自分の耳がおかしいのかと思った。
◇
「ああ、今日は疲れたなあ。同僚たちのよそよそしさ、いったい何だったんだ」
帰宅してすぐにバスルームへ飛び込んだ。鏡に映る顔は確かに昨夜よりも女性らしくなっていた。眉毛が細く整えられ、鼻筋が繊細に変化している。そして首元を触れば、かつてあった太い血管の脈動が失われていた。
「どうして……こんなことに……」
冷たいタイルの壁に背中を預けながら呟くと、その声の調子でさえ昨日と違う。高く澄んでいるのに不自然ではない、すっかり女の声だった。
風呂上がり、寝室の姿見の前に立つ。パジャマ代わりのTシャツから突き出た鎖骨の形が以前と異なる。首周り全体がしなやかで丸みを帯びていた。そして最も怖かったのは胸元に大きなふたつの膨らみができていたことだ。
「これ……もう完全に女の胸だよな。太ったとかいうレベルじゃないな」
慌ててパジャマのボタンを一つ開ける。そこにあったのは確実に女性の乳房だった。指先で触れると柔らかな弾力が返ってくる。
◇
変化は日に日に加速していた。「……まただ」
朝の洗面所。鏡に映る自分が昨日よりも「完成」に近づいている。
前髪の分け目を何度も指先で弄りながら、自分の仕草に愕然とする。以前は決してしなかったような、小指を立てて髪を梳く動作。その爪は磨かれてもいないのに妙に艶やかだった。
「これ……いつの間に買ったんだ?」
洗面台の脇に置かれた桃色のハンドクリーム。蓋を開けると甘い香りが立ち昇る。記憶にない買い物品に戦慄しながらも、指先に塗り広げる動作は驚くほど自然だった。
「指……やっぱり細くなってるよなっ」
薬指の関節が滑らかに丸みを帯びている。昨日までゴツゴツとしていた骨格は、今や楽器奏者のように繊細な輪郭を見せていた。「美しい……♡ 指輪なんか着けたら似合いそう」
◇
会社の食堂で同期の友人と会うと、彼は眉をひそめた。
「お前……なんか女ぽくなってないか」
「気のせいだよ」と答えた僕の声が、もうすでに女の声だけれど。
「だからさぁ……お前が女装好きなのは知ってたけど、最近はナチュラルすぎるんだよ」
「なんだよ、ナチュラルって。チーズじゃねえぞ」
「じゃあ、はっきりと言ってやるよ。女にしか見えん……男装の麗人みたい。俺、けっこうタイプかも、一度くらいデートしてくれよ」
友人の言葉に思わず咳き込む。女装趣味を知られていたこと自体衝撃だが、それ以上に女装として扱われていない現実に頭が追いつかない。「ごめん、急用思い出した」
逃げるように僕は去った。




