TSクリーニング店『お気にのワンピ』①
僕には、誰にも言えない秘密があった。
それは――休日のひとときに、こっそり女装を楽しんでいること。
先週ネットで買ったワンピースは、とても気に入っていた。
淡いラベンダー色で、腰のリボンが上品。袖口には小さなフリルまでついている。
鏡に映る自分の姿を見たとき、思わず「かわいい」と口走ってしまったほどだ。
だけど、そのワンピースには、昨日つけてしまったコーヒーのシミがある。
このまま放置しては台無しだ。
クリーニングに出そう――そう決めたものの、問題があった。
(……これ、男の姿で持って行けるか?)
頭の中でシミュレーションしてみるけれど、とても恥ずかしくって……ムリムリ。
(男の姿で持っていくのは絶対無理だ……)
想像しただけで冷や汗が流れる。
近所のクリーニング店はおしゃべり好きそうなおばちゃんがいるし、
「若い男がこんなワンピース着てるなんて」と噂になるかもしれない。
「うーん……」と腕組みをして悩むこと数分。ふと思い出した。
そうだ!女装……
明日はちょうど休みだった。
鏡を見ながら髪型を確認する。
長い黒髪のウィッグがあれば……変身度合いが大きい。
仮に女装だとバレても、僕だとはわからないかも。
クローゼットを開け、奥から引っ張り出す。
そして化粧道具一式も。
「よしっ……かわいい♡」
一時間後、そこには可愛らしい少女がいた。
薄化粧に控えめなアクセサリー。
白いブラウスに淡いグレーのカーディガンというコーディネート。
手には洗ってもらう服を入れる紙袋。
(これなら自然に見えるはず……)
ウィッグを整え、バッグにワンピースを入れると――もう後戻りはできなかった。
(よしっ……女の子として、クリーニングに出すんだ……!)
ドアを閉める音が、なぜか心臓にまで響いた。
◇
マンションを出ると春の陽気が心地よい。
いつもの風景なのに、全く違った世界に感じる。
信号待ちでチラリと見ると、向かいの美容院から出てきた若い女性二人組が微笑ましくこちらを見ていた。
(バレた様子はない。可愛いかどうか値踏みされたかも。あぁ……これが女子の目線なのか)
胸の奥がキュンと鳴る。そしてクリーニング店へ向かった。
クリーニング店への道中は普段とは違った景色に見えた。
いつもと同じ通勤路なのに、まるで別世界のように新鮮に感じる。
「あのー、すみません」
ドキドキしながらクリーニング店の扉を開けると、中年の女性店員が明るく迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!初めての方ですか?」
「えっと……」声を少し高くして答える。「はい、初めてです」
店員さんは優しく微笑み、「今日は何をお持ちになりました?」
(どうしよう……)ワンピースの入った紙袋を持ち上げる手が少し震えた。
「これは……自分で洗ったら染みになってしまって……」
「あら大変!どれどれ」
紙袋から取り出された僕のワンピースを目の前で広げられようとしている。
女装用品を人目にさらすのは初めてだった。
店員さんが袋から取り出した瞬間、私の顔が赤くなるのが自分でも分かった。
店員さんは慣れた手つきでワンピースを広げた。
「これは……コーヒーですよね?早めにお持ちいただけて良かったです。時間が経つと取れにくくなりますので」
彼女の指先が優雅に布地を撫でる。「この生地は繊細ですが、私たち専門家にお任せください」
レジカウンターに戻った店員さんはタグを取り出した。
「お名前とご住所をお願いできますか?」
まずい。本名を書いたら身バレするし偽名だと怪しまれる……どうする?
「あっ……」
迷っていると、店員さんが気づいてくれた。
「仮名でも結構ですよ。引き取りの際は、この控えの紙をお持ちくださいね。
失くされると本人確認がややこしくなりますから」
救われた気持ちで『山田花子』と書き込む私に、彼女は小さく頷いた。
金融機関の用紙の見本のような名前だけれど、親しみやすいのだろう。
「ありがとうございます。仕上がりまで約3日ほどかかりますがよろしいですか?」
「はい!」思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押える。
思わず喉が詰まったが、後ろから入ってきた次のお客さんがこちらをちらりと見るのを感じ、
慌てて女性らしい声を作って答える。
「は、はい……お願いします」
「承知しました~」
店員はタグをつけながら、さらに言った。
「こちら、とてもお似合いになりそうですね」
「……っ」
(な、なにその追い打ち!? 着てるところ見られたら即アウトだろ!)
ドキドキしすぎて、伝票を書く手が小刻みに震える。
◇
「お客様、お綺麗だし、ほんとによく似合うと思いますよ!」
店員さんが続ける言葉に、背筋が凍りつく。
「シミが取れたら、デートに着ていくのにぴったりですね!」
(デ、デート!?)
素敵な男性にエスコートされる女装姿の自分を思い浮かべ赤面する。
頭が真っ白になりながらも、「あっ」と咄嗟に返す。
「実は……」と言いかけたところで店員さんの表情が変わった。
「あらごめんなさい!詮索しすぎちゃいましたか?」
伝票を受け取りながら深呼吸をする私に、レジ横のメモ帳を指さした。
「もし急ぎでしたら連絡先をご記入いただいて……」
(まずい!携帯番号なんて書けない!)
「あのっ」声が裏返る。「代わりに……ここで待ってもいいですか?」
店内の時計が午後2時を指していることに今更気づいた私は、逃げ場のないこの場所で時間をどう過ごす。
そして、店内のほかの客の様子に気づく。
クリーニング店には、女性店員のほか、
客が二人――年配の奥様と、近所に住んでいそうな男子大学生が座っていた。
「わっ……」
全員の視線が、一瞬こちらに向かう。
(やばい……見られた!)
一瞬の静寂の中、誰もがこちらを見ている。
年配の奥様は扇子で口元を隠しながら、意味ありげな微笑みを浮かべている。
大学生はスマホから目を離さず、でも明らかに私の方を見ている。
「あっ……すみません」思わず謝ってしまう私に、店員さんが不思議そうな顔をする。
「何かありましたか?」
「い、いえ……何でもないです」言葉が詰まる。「じゃあこれで失礼します!」
お金を払うのも忘れて駆け出そうとした私の腕を、年配の奥様が優雅に掴んだ。
「お待ちなさい」その声は予想以上に落ち着いていた。「あなた……ちょっと変わった雰囲気のお嬢さんね」
背中に冷たい汗が流れる。
( なんだか、おせっかいな感じがする。まさか……男だってバレた? )
頭の中で必死に言い訳を考える間もなく、大学生が突然立ち上がった
「ねぇ君、何かあった?」
振り返ると、さっきの男子大学生が不思議そうな顔で私を見ていた。
「え?」思わず声が裏返る。「何も……ありませんよ?」
「いやだってさ」彼は親切な口調で続けた。
「入ってきた時すごく緊張してたみたいだし……今も震えてるし」
背筋が凍る思いで両手を見る。確かに小刻みに震えていた。
「ただちょっと……」言い訳を探す間もなく、「人見知りなんです」と笑顔を作る。
「初対面の人と話すのが苦手で」
大学生は納得したように頷いた。
「ああ!僕もそうなんだよね〜。最初は誰でも緊張するよ」
年配の奥様も口を挟む。
「でも最近の子にしては珍しいわね。堂々としてるものが多いのに。てっきり盗品でも持ってきたのかと疑っちゃったわ。ごめんなさいね」
なんとか、犯罪者と誤解されずに済みそうだけれど、
この出会いが、ワンピースのクリーニングだけじゃなく、僕の性別までクリーニングしてしまうことになるなんて、
まだ、この時は知るはずもなかった。
つづく




