きっと萌え袖のせい
東雲千尋編スタート!
お陰様で日間7位です!
大幅改稿で再投稿しました!すいません!
―――東雲千尋―――
「……よし」
食器を流しへ置いて、疲れが口からフッと漏れ出す。
四人分の夕飯の片付けもようやく終わった。
未来はリビングでテレビを眺めながらごろごろしているし、アイツはさっき部屋へ戻っていった。
紗理奈も姿を見なくなってから随分経つ。
「それにしても静かね」
数十分前までスマホを持ってきゃっきゃしていた居間の騒がしさはどこかへ消え、バラエティ番組の聞き馴染みのある声だけが家に響いている。
スマホを取り出して時間を確認すると九時五十六分。
どっちにしても紗理奈ももうすぐ寝る時間だし、睡眠不足は肌の敵だとよく言う。
ちなみに壁紙はペンギン。
「うぅ……寒」
自室に戻るため廊下へ出ると、冷たい風が肌を掠める。春先とはいえ、夜はまだ少し寒いみたい。
あまり好きではないのだけれど、寒さを凌ぐためにやむを得ないかな。
私は袖を引っ張って、手の甲まで包み込む。
「あら? 意外とあったかいのね……これ」
よくあざとさを意識しているだとかで紗理奈がやっているのを見るけれど、毎回勧められては断っていた。
あくまで暖かくなるためのものだって、紗理奈に見つかったら言い訳しなくちゃ。
そうやって風が入り込まないようにゆっくりトボトボ歩いていると、ちょうど紗理奈の部屋の障子の隙間から、まだ灯りが漏れていた。
「珍しいわね……」
普段から一番美容に気を遣っている紗理奈。
今日はいつも以上に疲れているはずなのに、まだ起きているのかしら……
「……」
依然として静かな部屋の向こう。
あのドジっ子のことだから、もしかしたら電気をつけたまま寝たとか?
私は障子の前まで歩いて、小さく指を掛けた。
「紗理奈」
返事はない。
少しだけ開けると、案の定眠っていた。
「まぁ」
紗理奈はベッドの真ん中で熊のぬいぐるみを抱えたまま、スースーと寝息を立てていた。
そういえば遊園地でアイツが取ってくれたって言ってたわね。
こんなに大事そうに抱えて。
「可愛いところもあるじゃない。写真でも撮っておこうかしら」
小さく笑って部屋へ入る。
掛け布団がいつの間にか腰まで落ちていたのを見て、静かに布団を持ち上げ、肩まで掛け直してやる。
紗理奈はそれでも起きず、規則正しい寝息だけが聞こえてくる。
「ほんとよく寝ること」
これだけは昔からずっと変わらない。
いっぱい遊んだ日は尚更。
運動会の日も遠足の日も、思い出話を始めると、いつの間にか紗理奈の意識は夢の向こう。
寝顔はいつも可愛い笑顔を見せてくれる。
「……変わらないわね」
そう呟くと、ぬいぐるみを抱く手に少しだけ力が入る。
さっきよりも柔らかくなった紗理奈の寝顔を見ると、きっと今日の思い出でも見てるのかな。
私は可愛らしい寝顔を崩さないようにゆっくり立ち上がると、机の上へ何気なく目が向く。
「あら」
そこには充電もせず置きっぱなしの紗理奈のスマホ。
しかも画面はまだついたまま。なんとなく視線が吸い寄せられる。
「……」
思わず私は微笑む。
そこに映っていた壁紙は、首元に小さな星のキーホルダーを付けた熊のぬいぐるみ。
いつもならピースとか写真に入り込むのに、今日はその二つしか写っていない。
「なるほどね」
お土産とかも私たちに買ってきてくれたけれど、私はこの壁紙だけで十分わかった気がする。
あの子にとって今日は、きっと本当に大事な一日になったんだ。
ふっと画面が暗くなる。
たった一度壁紙を覗いてしまっただけなのに、何となく全部見届けたような満足感が心の中に広がり、温かくなる。
私はスマホへ触れることもなく、小さく息を吐く。
「おやすみ」
聞こえるはずもない言葉を残して、私は障子を閉める。
スースーと聞こえていた寝息も、少しずつ遠ざかっていった。
「……」
私はまた廊下をゆっくりと歩き出す。
未来もそのうち自分の部屋へ戻るだろうし、アイツは紗理奈の楽しみようを見る限り、結構疲れが溜まっていそうね。
二日間でカフェ、水族館、遊園地。
直接見てはいないけれど、未来も紗理奈も良い性格をしているし、だいぶハードだったんじゃないかしら。
普通なら嫌な顔をしてもおかしくないんだけど、アイツは何か言うどころか、疲れた素振りさえ見せなかったのがちょっと気にかかる。
「よくわかんない人ね、ほんと」
最初の頃は、変態ドスケベむっつり紫髪と同居なんて考えられなくて、爺やのところへ何回か問い詰めに行こうともした。
必要以上に喋らないし、返ってきても短くストイックな答え。
紗理奈に「ちひろねぇとそっくりじゃん!」って言われたけど、溜まったもんじゃない。
――だけど。
私がアイツに対して一番動揺したのは、婿養子だと聞かされた時だった。
『君ならできるよ』
そんなお守りみたいな言葉を貰った時は、どうしようもなく嬉しかった。
そして、一生に一度しか見られないような奇跡を前に、私はあんな願い事までしてしまった。
でも、そんな出来事があったというのに、今の私とアイツの距離は極度の互恵関係でしかない。
アイツ自身のこと以上に、それが不思議でしかたなかった。
「……」
今日の紗理奈、昨日の未来を見ていると、動かなかった私の考えが少しだけ揺らいでしまう。
二人は、人を見る目は昔から確かだった。
お母さんに似たのか観察眼が鋭くて、小さなことでも少し離れた視点から見ているようなところがある。
嫌いな人とはちゃんと距離を置くし、苦手な人には笑顔すら作らない。
――――なのに。
そんな未来が、行く時も帰ってきた時もあんな顔をしていて。
紗理奈は紗理奈で、嬉しそうにアイツとひそひそ話をして。
二人とも、私には見せたことのないくらい楽しそうな笑顔を見せていた。
「……そうよね」
少しだけ肩の力を抜く。
アイツが優しい人だってことは、もう分かってきてる。
もちろん、それだけで好きになるほど私は単純じゃない。
未来ほど人を信じられる性格でも、紗理奈ほど飛び込んでいける勇気もない。
だから、もっとアイツのことを知るためには、私自身の目で見極めるしかないんだ。
「そういえば……」
複雑な思考を巡らせながら廊下を歩いていると、ふと頭の中で脳内カレンダーが一枚捲れる。
春休みが終わるまで、あと五日ほどしかないことを私に分かりやすく告げた。
「……早いわね」
ぽつりと漏らす。
楽しかったとか、そういう感情じゃないけど、時間だけは誰にでも平等に過ぎていくことを改めて実感する。
課題を最初の方に終わらせておいて助かった。
『ほら、逃げない千尋』
正反対の性格を持つもう一人の私が、頬杖をつきながら静かに問い掛けてくる。
「……」
デート。
その三文字を思い浮かべるだけで、気を張っていても自然と足取りが重くなってしまう。
……二人には、どこまでも負けてばかり。
『行くの?』
「当たり前よ。だけど……」
私はちょっと考える。
さっきも思ったけれど、あの二人の相手をすれば誰だって疲れる。
きっとアイツのことだから、『俺だけの都合で左右する訳にはいかないだろ』みたいなことを格好つけて言うんでしょうけど、疲れているところを見せられるだけじゃ、アイツのことは何も分からない。
「明日は休みよ」
『ふーん、理由は?』
「そんなのどうでもいいじゃない」
掃除でも理由にしておけば、あの人も変に勘繰らないでしょうし、こっちの事情だと思って責任を感じることもないはず。
一つ考えがまとまれば、次に私が考えることは決まっている。
私の答えに少しだけ口元を緩めたもう一人の私は、最後にこう尋ねてくる。
『ねぇ東雲千尋。あなたはこのデートに、何を望むの?』
その問いに、私は迷わなかった。
答えは最初から決まってたから。
「アイツを知る。ただそれだけよ」
本来の目的を果たすだけの簡単な話。
優しい、頼りがいがある。
そんなところじゃなくて、誰にも見られないようなところまで私は知ってみたい。
そのくらいのわがままは、許されてもいいと思う。
いや、アイツはきっと許してくれる。
だって、そのためのお見合いなんだから。
「明日の朝アイツに話す。それで十分でしょ」
そう決めると、脳内の私は何も言わず、不埒な笑みだけを浮かべて消えていった。
私は自室の障子へ手を掛ける。
夜風は相変わらず冷たかったけれど、不思議とさっきより寒くは感じなかった。
それは……
きっと萌え袖のせい




