手を引く人、手を握る人
懐かしい思い出から頭を覚ますと、目の先には更に一歩大人の階段を進みつつあるみらちゃん。
面倒を見ることだって凄い成長だ。 どれだけ理不尽なことを受け入れられるか―――それもまた、人として強くなるということなのだと思うから。
だけどあの時の彼女を見ていた私は、頼ることも、我儘を言うことも成長なんだよって教えることが出来なかった。
きっとあの頃のみらちゃんは中学生になって、自分がしっかりしなきゃいけないと思っていたんじゃないだろうか。
妹の前ではお姉ちゃんでいなきゃいけない。 泣き言なんて言っちゃいけない。 自分よりも先に、周りのことを考えなきゃいけない。
そんな風に、自分でも気付かないうちに背伸びをしていたんだろう。
それを伝えられるのは私じゃなかったのかもしれない。
誰かを支えることだけが優しさじゃないことも。 誰かに支えられることが弱さじゃないことも。
あの子自身が、自分で気付いていくものだった。
―――でも。
私は二人を見て小さく笑ってしまう。
今ならそんなことをしなくても、きっと大丈夫。
だってあの子はもう、自分で掴めるようになっていた。
誰かの手を引くことも、誰かの手を握ることも。
あの頃は妹たちのために差し出していたその手を、今は自分のためにも伸ばせるようになった。
それはきっと、あの日の私が見た成長よりも、ずっと大きな一歩なのだろう。
「よし!次あっち!」
「だから引っ張るなって!」
いつか私たちの向かった展示の方向へと、彼女たちはまた駆けていく。
昔は自分が誰かを連れて歩いていたのに。
今は誰かに付き合ってもらう側になったんだね。
彼と彼女を繋ぐその恋人の象徴を、今日だけは親として許すことにした。
※
「ふぅ〜……満足!」
水族館の出口を抜けた瞬間、長女は大きく伸びをした。
館内ではしゃぎ回っていたせいか、その表情には心地よい疲労感が浮かんでいる。
決して顔には出さないが、俺とは正反対で。
「元気だな」
「蓮っちが体力なさすぎるんですよ〜」
「誰かさんのせいで歩かされたからね」
「良いダイエットだ!」
「やかましいわ」
そんな軽口を叩きながら、俺たちは水族館前の広場を歩いていく。
休日の午後ということもあり、周囲には家族連れやカップルの姿が多かった。
楽しそうな笑い声があちこちから聞こえてくる。
「ねぇ」
「ん?」
「楽しかった?」
長女は少しだけ歩幅を緩めながら尋ねる。
まだ手を離してないから、俺も彼女に合わせて。
「ん〜まぁまぁかな」
「ほんとにぃ?」
「大マジ」
「ふーん……」
不満そうに頬を膨らませる長女。
けれど本気で怒っているわけではない。
むしろその反応を見ているだけで、俺には彼女が機嫌の良いことがだいたい伝わっていた。
「そういう君はどうなんだ?」
コツコツと軽快なリズムを鳴らし、さっきよりも軽やかなステップを刻む彼女に、俺もそう聞く。
「もちろん楽しかったよ」
迷いのない即答だった。
「そりゃ良かった」
「何その感想〜」
「事実だろ」
「もっとこうあるじゃん」
「例えば?」
「えっと……」
そこまで言ってから、長女は言葉に詰まる。
自分で振っておいて答えを考えていなかったらしい。
「まぁいいや」
「適当だな」
「適当じゃないし!」
そう言いながら彼女は少しだけ空を見上げた。
「そういえばさ」
「ん?」
「私、小さい頃にもここ来たことあるんだよね」
「またかよ」
「さりながサメ見て泣いたりして」
「え、あのあざとさ擦りまくってるやつが?」
「そうなの、やばいよね」
長女はくすりと笑う。
どこか懐かしそうな笑顔だった。
「その時は私がずっと手引いてたんだ」
「お姉ちゃんだから?」
「うん」
長女は小さく頷く。
「迷子にならないようにとか、転ばないようにとか」
「苦労してたんだな」
「ひっどお」
肩を軽くぶつけられる。
だがすぐに彼女はまた笑った。
「でも...今思うと必死だったかもね」
「そうなのか?」
「中学生だったし」
そう言って前を向く。
少しだけ吹いた風が、彼女の金髪を揺らした。
「今は?」
俺が何気なくそう聞く。
長女はきょとんとした顔をしたあと、繋がったままの手へ視線を落とした。
それから。
「今は..引いてもらってるかも?」
「自覚あったのか」
「失礼だなぁ」
口ではそう言うものの、怒った様子はない。
むしろ少しだけ楽しそうだった。
「でも...悪くないかもね」
小さい声がぽつりと零れる。
「たまには誰かに付き合ってもらうのも」
遠い空を見つめて誰かに言っているような気がしたから、俺は何も返さなかった。
▽
それからしばらくして、手だけ繋いでるだけの少し気まずい空間は不意に顔を上げた長女が破る。
「あ、蓮っち」
「どうした?」
「まだ行ってない場所があったよ」
そう言って彼女が指差した先。
夕陽を受けながらゆっくりと回転する巨大な観覧車が見えた。
水族館に隣接した施設のシンボル。
遠くからでも目立つ大きな円が空を回っている。
「最後に乗らない?」
「……マジか」
「大マジだよ」
長女はにやりと笑う。
その顔は断られることなど最初から考えていない顔だった。
「せっかく来たんだからさ」
そう言って彼女は一歩前へ出る。
「思い出の場所、欲しいでしょ?」
期待に満ちた視線が俺に向けられる。
観覧車なんて別に珍しくもないけど、男女二人きりで乗るとなると話は別だ。
まあでも今さらそんなこと言うのもおかしな話か。
「一回、だけだからな」
「流石に二回も乗らないって〜」
「あぁそこはちゃんとしてるんだ」
えへへ、と笑いながら彼女はまた俺の隣へ戻ってくる。
そして俺たちは、その巨大な観覧車へ向かって歩き出した。




