第百七十六話「星海への宣言」
二年後、帝都大会議場。
議会制導入から二年が経過し、ナブ家は名実ともに帝国の顔となっていた。国際会議ではギルガメシュが帝国代表として発言し、他の三大家は影が薄くなっていた。イナンナは苦虫を噛み潰したような顔で日々を過ごし、エンキドゥも時代の流れに抗えないことを悟っていた。
そんな中、突如として前女帝ニーナが記者会見を開くという報せが流れた。新型飛空艇のお披露目という名目だったが、集まった人々は何か違う空気を感じ取っていた。
会場に現れたニーナは、純白の制服に身を包んでいた。それは軍服でも、女帝の正装でもない。まるで未来から来たような、見たことのないデザインだった。
「本日は、お集まりいただきありがとうございます」
ニーナの声が会場に響く。その瞳には、かつてない輝きが宿っていた。
「まず、我々の歴史を振り返らせてください」
巨大なスクリーンに映像が映し出された。
「千年前、この地は神に見捨てられた腐敗の大地でした」
荒廃した土地、うごめくアンデッドの群れ。古い記録映像が流れる。
「一人の巫女、聖女エリーゼが立ち上がり、人々を導きました。千年王ギシュガルとの戦い、失われた無数の命...」
会場は静まり返った。誰もが知る建国神話だが、ニーナの語り口には特別な力があった。
「そして六百年前、建国の父メルベル・ボムが千年王を討ち、その娘、初代女帝ニイナが浄化システムを確立しました」
スクリーンに、若き日のニイナの姿が映る。金髪碧眼の美しい女性。
「彼女は言いました。『空こそが我々の新天地だ』と」
映像が切り替わる。初期の飛空艇、そして次第に発展していく航空技術。
「六百年間、我々は空を制し、全大陸に版図を広げました」
大陸地図に無数の航路が描かれていく。まるで蜘蛛の巣のように、世界を覆い尽くす飛行ルート。
「しかし...」
ニーナの声のトーンが変わった。
「見てください。この飽和した空を」
映像は現在の空港の混雑、規制だらけの航路、事故のニュース。
「かつて自由と開拓の象徴だった空は、今や規則と閉塞感に満ちています」
会場がざわめき始めた。これは新型飛空艇の発表会ではない。もっと大きな何かだ。
「我々は議会制を受け入れ、新たな時代を築こうとしました」
ニーナはギルガメシュを一瞥した。
「しかし、それで十分でしょうか?」
緊張が走る。まさか議会制を否定するのか。国際社会を敵に回すつもりか。
「私の母、前女帝アジョラは...」
ニーナの声に感情が込められた。
「この飽和した世界に、新たな可能性を見出していました」
スクリーンが暗転した。そして、映し出されたのは。
月。
美しく輝く、夜空の月の鮮明な写真。
会場が騒然となった。
「なんだこれは」
「月の写真がどうした」
だが次の瞬間、全員が息を呑んだ。
月面の一部が拡大される。そこには、明らかに人工的な構造物が。さらに拡大すると、宇宙服を着た人影が歩いている。着陸した奇妙な形の船。
「これが...」
ニーナは一呼吸置いた。会場の注目を一身に集めてから、力強く宣言した。
「これが我々の新たな夢!無限の可能性への第一歩です!」
どよめきが爆発的に広がった。
「まさか」
「月に人が」
「不可能だ」
ニーナは両手を広げた。背後のスクリーンには、星々が輝く宇宙の映像が映し出される。
「皆さん、空を見上げてください。いえ、今この瞬間でなくとも、今夜、外に出て夜空を見上げてください」
彼女の声は次第に熱を帯びていく。
「あの星々を!あの無限に広がる宇宙を!」
映像が切り替わる。地球を宇宙から見た光景。青い惑星、そして国境線など見えない一つの世界。
「宇宙から見れば、帝国も、東の国も、全ての国境は意味を持ちません!」
会場が静まり返った。ニーナの言葉の重みが、徐々に浸透していく。
「千年前、我々の祖先は腐敗の大地から立ち上がりました」
ニーナの声が響く。
「六百年前、我々は空へ飛び立ちました」
一拍置いて。
「そして今日!」
彼女は拳を握りしめた。
「我々は新たな一歩を踏み出します!」
スクリーンに新たなロゴが映し出された。地球を中心に、星々が描かれたエンブレム。
「もはや、我々を縛る空はありません!」
ニーナの声が会場を震わせる。
「あの夜空に輝く星々は、もはや神話の住処ではない!手の届かない夢ではない!」
彼女は腕を天に向けて伸ばした。
「手を伸ばせば届く、新たな大地!新たな海!新たな空!」
会場の空気が変わり始めた。懐疑的だった者たちの目にも、興奮の色が宿り始める。
「我々の祖先が海を渡り、新大陸を発見したように!」
「我々の父祖が空を飛び、世界を一つにしたように!」
「今、我々は星の海へ漕ぎ出すのです!」
拍手が起こり始めた。最初は小さく、そして次第に大きく。
ニーナは最後の宣言のために、深く息を吸った。
「ここに私は宣言します!」
会場が静まる。
「腐敗の時代は千年前に終わりました!」
「空の時代は、今日終わります!」
そして、全身全霊を込めて叫んだ。
「これより、星の時代の幕開けです!」
ニーナは突き出した腕を、こぶしを握り締めて叫ぶ。その拳に人々は一斉に熱い視線を集めた。幼いころに誰もが夜空に向かって突き出した手のひら、そのしぐさをほうふつとさせてぐっとこぶしを握り締める。
「そう! あの空に浮かぶ星々は、今や我々のものだ!」
爆発的な拍手と歓声が会場を包んだ。
「星海連盟の発足を、ここに宣言します!」
立ち上がる者、涙を流す者、興奮のあまり叫ぶ者。会場は熱狂の渦と化した。
ギルガメシュは呆然としていた。議会?五大家?そんなものが霞んで見える。ニーナは地上の権力を超越しようとしている。顔が青ざめ、気が遠くなりそうだった。二年かけて築いた議会での優位も、この瞬間に無意味化された。
イナンナも、エンキドゥも、エレシュキガルも、苦笑いを浮かべるしかなかった。女帝の座を降りたと思ったら、さらに高い場所へ登ってしまった。もはや手の届かない存在になろうとしている。
「私は星海連盟会長!」
ニーナが高らかに宣言した。
「この星の船頭!水先案内人!」
スクリーンに新たな映像が映し出された。巨大な宇宙船が、轟音と共に大地を離れ、空へと上昇していく。炎を噴きながら、青い空を突き抜け、やがて小さな点となって消えていく。
「私が!皆さんを新たな時代に連れていきます!」
そして次の映像。月面に立つニーナ。宇宙服に身を包み、地球を背景に旗を立てている。カメラに向かってピースサインを送る彼女の姿は、まるで子供のように無邪気で、そして誇らしげだった。
会場の興奮は最高潮に達した。




