第百六十話「対峙」
夜の街路を駆けるニーナの後を、ガランが追った。港に近い路地は薄暗く、石畳に二人の足音だけが響く。ニーナは振り返らない。だが、追ってくる気配は感じている。
「ニーナ、待ってくれ」
返事はない。ガランは歩幅を広げ、ようやく彼女に追いついた。腕を掴もうとして、鋭く睨まれ、手を引いた。
「話を聞いてくれ」
「何を話すつもり。また嘘を重ねるの」
ニーナの声は冷たかった。だが、その奥に傷ついた感情が滲んでいる。
「嘘じゃない。あの女性は...仕事仲間なんだ」
「仕事仲間。便利な言葉ね」
ニーナは皮肉な笑みを浮かべた。
「夜中に密会する協力者。朝まで一緒にいる仕事仲間」
「それは違う。彼女の言い方が」
「じゃあ、何が本当なの」
ニーナは立ち止まり、ガランと向き合った。街灯の光が、彼女の瞳に宿る怒りと悲しみを照らし出す。
「なぜナブ家に協力している。なぜ移民政策を推進している。なぜあの女と会っている。全部説明して」
ガランは息を吸った。どこから話せばいい。何を信じてもらえるだろう。
「俺には...予知の力がある」
言葉が出た瞬間、ニーナの表情が変わった。怒りが、侮辱されたという憤りに変わる。
「…馬鹿にしてるの」
「本当だ」
「予知。まるで占い師みたいな戯言を」
ニーナの声が震えた。
「適当な妄想を言って、私を誤魔化せると思ってるの」
「違う、本当に」
「もういい」
ニーナは踵を返そうとした。だが、ガランの次の言葉が彼女を止めた。
「だから言いたくなかったんだよ!」
ガランの声に、苛立ちと悔しさが滲んだ。
「どうせ信じない。誰も信じやしない。俺を嘘つき扱いするのは構わない。だが」
彼は拳を握りしめた。
「俺があちこちで喧嘩を収めて回ってるのは知ってるだろ!全部お前のためだ!じゃなかったら、こんな面倒なことするか!」
ニーナは驚いて振り返った。ガランがこんなに感情を露わにするのは珍しい。
「私のため?」
「ああ。お前が塩になって死ぬ夢を、何度も何度も見てきた」
ガランの声が掠れた。
「エリドゥが真っ白な塩の墓場になって、お前が逃げ遅れて、俺の目の前で砕け散る。その悪夢を防ぐために、この一年必死で働いてきたんだ!」
ニーナは言葉を失った。ガランの目には、真剣な光が宿っている。嘘をついているようには見えない。だが、予知なんて。
「証拠は」
「明後日の午後、港で東の国の若者と帝国の商人が揉める。刃物沙汰になりかける」
ガランは断言した。
「場所は第三埠頭の倉庫前。原因は代金の支払いを巡るトラブル」
「そんなの、適当に」
「じゃあ確かめてみろ。俺が嘘つきかどうか」
二人の間に、緊張した沈黙が流れた。風が吹いて、ニーナの髪を揺らす。
「仮に...仮にそれが本当だとして」
ニーナは慎重に言葉を選んだ。
「あの女性は何者なの」
ガランは躊躇した。ここまで話したなら、もう少し真実を。
「彼女も、同じ力を持っている。俺よりずっと強い」
「同じ力...」
「二人で協力して、最悪の未来を回避しようとしている」
ニーナは混乱していた。予知能力。あの妖艶な女性。ガランの必死な行動。全てがバラバラで、でも何か繋がっているような。
「…なぜ私に言わなかったの」
「信じてもらえないと思った」
ガランは苦笑した。
「現に今も、半信半疑だろう」
ニーナは否定できなかった。確かに、にわかには信じがたい話だ。
「でも、あの女性と親密そうに」
「仕事の話だけだ。予知の内容を照合して、対策を練って」
「本当に?」
「ああ」
ガランはニーナの目を真っ直ぐ見つめた。
「俺にとって大切なのは、お前だけだ」
ニーナの心が揺れた。信じたい。でも、まだ疑念は消えない。
「じゃあ、なぜ一年間も」
「今更それを言うのかよ、立場の差ってもんがあるだろうが、わかってることを何度もいうなよ…」
ガランの声に、痛みが滲んだ。
「女帝の立場、保守派の圧力、全部分かってる。だから離れた。でも」
彼は一歩近づいた。
「俺はやることを変えたわけじゃねえ、お前がやばいなら助ける、たとえお前に鬱陶しいって思われてもな」
ニーナの目に涙が浮かんだ。怒り、疑念、そして今も消えない愛情が、複雑に絡み合って胸を締め付ける。
「信じていいの」
「俺が裏切ったことが今までにあったかよ」
ガランは手を伸ばした。今度は、ニーナも振り払わなかった。温かい手のひらが、彼女の手を包む。
「明後日、第三埠頭に来てみろ。俺の言ったことが本当か、確かめられる」
ニーナは小さく頷いた。まだ完全には信じられない。でも、ガランの真剣な眼差しに、嘘は感じられなかった。
「あの女性とはもうあってほしくないわ」
「いやおまえそれは…」
「なんでよ…」
「彼女の協力がなければ、お前を守れないからだよ! くそっ」
彼はニーナの手を強く握った。
「俺にはお前だけなんだぜ!」
ニーナは複雑な表情でガランを見つめた。まだ謎は多い。あの女性の正体も、予知の真偽も、確かめなければならないことばかりだ。でも、今は。
「分かった。明後日、確かめる」
「ああ」
「でも、もし嘘だったら」
ニーナの瞳に、女帝の威厳が宿った。
「容赦しないから」
「絶対に俺を見直すぜ」
二人は、しばらく手を繋いだまま立っていた。夜風が冷たいが、手のひらの温もりが、一年間の空白を少しだけ埋めてくれる気がした。
遠くで、東の国タウンから太鼓の音が聞こえてきた。




