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第百五十九話「偶然の遭遇」



エリドゥの下町、夕暮れ時。ニーナは黒いフードを深く被り、人目を避けながら歩いていた。護衛も侍従も連れていない。女帝が単独で街を歩くなど前代未聞だが、彼女の中の暗い衝動が理性を上回っていた。目的地は、例の酒場。ガランがあの金髪の女と会っているという場所。


酒場「銀の錨」は、港に近い古い建物だった。薄汚れた看板が軋む音を立てている。ニーナは一瞬躊躇した後、扉を押し開けた。薄暗い店内、煙草の煙が立ち込める中、すぐに二人の姿を見つけた。


奥の席。ガランと、あの女。


女性は写真で見たよりも、実物の方が自分に似ていた。金髪、白い肌、整った顔立ち。だが、よく見ると違いもある。青い瞳、そして何より、若いニーナにはない妖艶さ。苦労を重ねた大人の女性特有の、危険な魅力を漂わせていた。


二人は親密そうに話している。時折、女性が微笑むと、ガランも表情を緩める。その光景を見て、ニーナの胸の奥で何かが音を立てて壊れた。嫉妬。純粋で、激しい、制御不能な感情が噴き上がる。


気がつけば、足が動いていた。真っ直ぐに二人のテーブルへ。ガランが顔を上げ、目を見開いた。


「ニーナ...陛下?」


慌てて立ち上がろうとするガランを、ニーナは手で制した。そして、金髪の女性を見据える。近くで見ると、ますます自分に似ている。だが、纏う雰囲気は全く違う。この女性には、何か底知れないものがある。


「お久しぶりね、ガラン」


ニーナは努めて冷静に言った。だが、声は微かに震えている。


「お、お前、なんでこんなところに!」


ガランは周囲を見渡した。


「まずいだろ、護衛もなしに」


「質問に答えなさい」


ニーナはガランを睨みつけた。嫉妬に狂った自分の顔が、どんな表情をしているか分からない。だが、もう止められなかった。


「その女は誰」


重い沈黙が流れた。ガランは答えに窮している。その様子が、ニーナの疑念を確信に変えた。やはり、ただの知人ではない。


「あら、自己紹介がまだでしたわね」


金髪の女性が口を開いた。声まで、どこか自分に似ている。だが、もっと落ち着いた、大人の声だ。


「ニイナと申します」


ニーナは息を呑んだ。ニイナ。自分の名前とほとんど同じ。偶然にしては出来すぎている。この女、わざとなのか。自分に対する当てつけなのか。


「ニイナ...ですって」


「ええ。素敵な名前でしょう?あなたとよく似ていて」


女性は微笑んだ。その笑みには、どこか愉快そうな色が混じっている。


ニーナの中で、何かがぷつりと切れた。この女、自分をからかっている。ガランを奪っただけでなく、今度は自分を愚弄している。


「いい度胸ね」


「あら、怖い顔。でも可愛いわ」


ニイナは楽しそうに言った。実際、心の中では大いに楽しんでいた。六百年生きて、こんなに面白い状況は久しぶりだ。若い頃の自分を見ているようで、懐かしくもある。


「ガラン様とは、お仕事の関係よ」


「仕事?」


「ええ。とても大切な、秘密のお仕事」


ニイナは意味深に微笑んだ。


「夜遅くまで、二人きりで」


ガランが咳払いをした。


「おい、変な誤解を」


「誤解?何が誤解なの」


ニーナはガランを睨んだ。


「二人きりで密会して、親密そうに話して」


「それは、その」


ガランは言葉に詰まった。本当のことは言えない。この女性が初代女帝で、予知夢の相談をしているなんて、信じてもらえるはずがない。


「ガラン様は、とても紳士的な方よ」


ニイナが口を挟んだ。


「私みたいな年増の相手でも、優しく接してくださるの」


年増。その言葉に、ニーナは眉をひそめた。見た目は二十代後半といったところ。自分より少し上という程度。だが、その割には妙に色気がある。経験豊富な大人の女という雰囲気。


「時には、朝まで一緒にいることもあるわ」


ニイナは無邪気な顔で爆弾発言を投下した。実際は予知夢の検証で夜通し話し合うこともあったが、あえて誤解を招く言い方をした。


ニーナの顔が真っ赤になった。怒りなのか、恥ずかしさなのか、自分でも分からない。


「ガラン!」


「違う、それは違う!」


ガランは必死に弁解しようとした。だが、ニイナはさらに油を注ぐ。


「あら、隠さなくてもいいのに。若い女帝様の前だからって」


「女帝...」


ニーナは凍りついた。この女、自分の正体を知っている。


「ご心配なく。私、ガラン様を独占するつもりはありませんから」


ニイナは立ち上がった。


「むしろ、応援していますわ。お二人の関係」


そう言って、ニーナの耳元で囁いた。


「でも、油断していると、取られちゃうかもしれませんよ」


ニーナは拳を震わせた。この女を殴りたい衝動に駆られる。だが、公共の場で女帝が暴力沙汰を起こすわけにはいかない。


「覚えておきなさい」


ニーナは低い声で言った。


「ガランは、私のものよ」


「あら、素敵。若いっていいわね」


ニイナは心から楽しそうに笑った。六百年前の自分も、こんな風に独占欲丸出しだった。懐かしい。そして、この子がガランをどれだけ愛しているかもよく分かった。


「じゃあ、私はこれで」


ニイナは店を出ていった。残されたニーナとガランは、気まずい沈黙の中にいた。


「説明しなさい」


「...まて、すごい勘違いしてる、何もかもお前の考えとは違うぞ」


「真実を話して」


ガランは苦悩の表情を浮かべた。どこまで話すべきか。いや、そもそも信じてもらえるのか。


「彼女は...協力者だ、さっきの彼女はお前をからかっただけだ」


「何の」


「お前を守るための」


ニーナは眉をひそめた。また、その話。


「どういう意味」


「今は、まだ言えない。だが、信じてくれ」


「信じろって、何を」


ニーナの声が震えた。怒りと悲しみが入り混じっている。


「あなたは私から離れて、別の女と会って、それで信じろって」


「ニーナ...」


「私は、あなたのために別れを選んだのよ」


涙が溢れそうになるのを必死で堪える。


「なのに、あなたは」


ガランは、ニーナの手を取ろうとした。だが、彼女はそれを振り払った。


「触らないで」


そう言って、ニーナは店を飛び出した。ガランは追いかけようとしたが、足が動かなかった。追いかけて、何を言えばいい。真実を話せない以上、彼女を傷つけることしかできない。


夜の街に消えていくニーナの後ろ姿を、ガランはただ見送ることしかできなかった。

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