映画の『モロッコ』を観なくちゃいけないかなぁ
以前、NHKドラマの吉岡秀隆金田一の『八つ墓村』で、事件解決後に磯川警部が金田一に「亀の湯でゆっくりしたら」みたいなことを言っていたので、次の作品は『悪魔の手毬唄』かなと期待していたら、その年の内に『手毬唄』を民放で制作、放映した。長年金田一耕助を演じた古谷一行が磯川警部を演じたのが印象的な作品だった。NHKですぐには『悪魔の手毬唄』は制作しないだろうと考えていたら、『犬神家の一族』が先にドラマ化された。(池松壮亮の金田一耕助で『犬神家の一族』を三十分にまとめるというスゴイNHKBSドラマがあったから『犬神家』も当面制作しないと思ってたからそれはそれで驚いた)
そんなところで、NHKで『悪魔の手毬唄』の制作と放送のニュースが流れたから楽しみにしていた。我が家ではBS4Kの放送が観られるので、今年の三月に放送された『悪魔の手毬唄』を観た。わたしみたいに原作小説を読んだこともあって過去の映像作品を幾つか観たことがある人なら、今回はこんなふうに演出したんだ、映像にしたんだ、と比較しながら観られるが、初見の人には雰囲気や映像で流されて、解らないままの部分があったんじゃないかしらと感じた。いろいろと言ってみたくなったが、ラストの「ムッシュウ・ベシエール!」に全部持っていかれましたマル。
今回原作小説を読み返していないけど、確か横溝の『悪魔の手毬唄』には「恨みの『モロッコ』」という章があったし、市川崑の同名映画にも映画『モロッコ』のラストシーンを出していた。登場人物の一人、青池リカの殺された夫青池源治郎が映画の活動弁士をしていて、映画『モロッコ』からトーキーが主流になり始めて失業したと説明された。市川崑の映画でも今回のドラマでも同様だ。で、今回はそれ以上の意味を持たせた。
わたしは映画『モロッコ』を観ていない。内容は淀川長治の解説や塩野七生の映画エッセイでだいたいの内容を知っている。だからベシエールが何者か知らないが、ドラマの中で流れた『モロッコ』のラスト直前の場面で、主演のマレーネ・ディートリヒが別れを告げる人物なのであろうことは察せられた。多分、知らなくてもピンとくる人はピンとくる。
そう来たかあ、としみじみ余韻を楽しむ気分になった。白石加代子の五百子刀自も得体の知れない感じでよかった。現代では迷信・俗信と言われる言説は排除しており、手毬唄の三番の歌詞は別の意味合いを含ませた。
魅力的だが女にだらしない男に人生を賭けた女。女心を慮るゆえに報われない男。映画『モロッコ』を匂わせ、新しい映像作品は描かれた。
推理物としては探偵の推理場面が少ないとか、謎解きの説明は? とか、あるんだけど、まあいいか。それと人喰い沼と呼ばれる沼のロケーションがきれい過ぎるのが難。




