第9章:悪党のひげと、決意の金色の瞳
本章をお読みいただきありがとうございます!
第9章は、ついに訪れたオルレンヌでの決戦と、立ちはだかる悪徳宰相ヴェルドリック!
8年前と同じ屈辱の嘲笑を前に、堂々と「作者」であることを宣言する姫佳と、命がけで彼女の言葉を全肯定するリッカの絆にご注目ください!
オルレンヌの門は、固く閉ざされていた。
夜間に閉じられるような、居眠りする門番と緩んだ鍵だけのレベルではない。鉄の格子、城壁にずらりと並んだ兵士たち、そして上空には「黒いカラス」が刺繍された漆黒の旗がはためいている。
「あれはオルレンヌの旗ではありません」
アラリックは茂みの陰から首を突き出し、小声で呟いた。
「ヴェルドリック宰相の旗です」
姫佳とリッカはその隣で身を潜め、目を細めて城壁を見上げていた。
「どうやって中に入るの?」リッカが尋ねる。
アラリックは、ようやく思いついたと言わんばかりの得意げな笑みを浮かべた。
「方法はあります。……ですが、きっと気に入らないでしょうね」
果たして、気に入るわけがなかった。
王室厩舎の秘密通路は、干し草と馬の汗、そして名前を呼ぶのもはばかられるような匂いで満ちていた。狭く、暗く、天井はあまりにも低いため、リッカは剣を胸に抱きながら身を屈めて進まなければならなかった。後ろをついてくる姫佳は、肩に何かがポタリと落ちてくるのを必死に無視し続けていた。
「これ以上の屈辱がありますこと?」王女が小声で吐き捨てる。
「作戦です」先頭を行くアラリックが答えた。
「厩舎じゃないの」
「戦略的厩舎です。サンダー号が教えてくれました」
その後ろをいかにも誇らしげな足取りで歩くサンダー号が、ふんと鼻を鳴らした。
ここで語り手である私から、公式な声明を発表させていただきます。
この第9章から、物語のトーンは暗転します。第3幕の突入です。ジャンルのお約束というやつです。ヒーローが苦しみ、ヴィランがほくそ笑み、読者のみなさんが爪を噛み始める、そんな時期なのです。
私を恨まないでくださいね。私はただ、起きている出来事をそのまま語っているだけなのですから。
話を続けましょう。
通路の突き当たりには、使われていない食料庫へと繋がる落とし戸があった。そこから雑用係用の廊下へ。廊下から階段へと進み、最後に行き着いたのは、オルレンヌの玉座の間を見下ろせる内側のバルコニーだった。
そこから見下ろした光景に、三人は息を呑んだ。
王座に座っていたのは王ではなく、頭からつま先まで黒い衣装に身を包み、首から黄金の鎖を下げ、蛇のような笑みを浮かべた痩せ型の男だった。その口元には、悪役の絵描きが描いたかのように、細く、黒く、完璧にカールした嫌味なひげがたくわえられていた。
その傍らでは、椅子に鎖で繋がれたオルレンヌの国王――疲労の色を濃く浮かべた老王が、すでにすべてを諦め切ったような目をしていた。
「父上……」アラリックが声を詰まらせた。「囚われている……!」
「だが、あの部屋には人が溢れているぞ」リッカが小声で言った。
その通りだった。両側の通路には、条約調印のために集められた両国の貴族、顧問、宮廷人たちが緊張した面持ちで立ち並んでいた。その中には、扇子で顔半分を隠しながら立つオダリス男爵夫人の姿もあった。
「あの女……」姫佳はゆっくりと言った。「晩餐会で私の小説のことに言及したのと同じ女よ」
「男爵夫人? 一体なぜあんなところに?」
「分からないわ。けれど、あの上の方を意図的に見ようとしないその態度が、どうにも気に入らないわね」
下では、ヴェルドリック宰相が片手を上げた。ざわめきがピタリと止まる。
「オルレンヌおよびヴァレノワの貴族諸君」宰相は、部屋中を這い回る油のようにねっとりとした声で切り出した。「本日は、誰もが声を大にして言えずにいた真実を明らかにするために、お集まりいただいた。ヴァレノワ王国は我が国との条約締結を目論んでいる。だが、いったいどのような国なのだ? いかなる継承者がその代表として遣わされるというのか?」
一段と深い沈黙が訪れた。
「見せようではないか」ヴェルドリックはふところに手を突っこみ、一冊の赤い表紙の本を取り出した。「一つの例をもって、証明して見せよう」
姫佳は、足元の床が崩れ落ちるような感覚を覚えた。
それは他でもない、『深紅の騎士の情熱』の一冊だった。
「ヴァレノワの姫佳王女殿下は、さぞや厳格で有能な女性であると噂されている」宰相は続け、「だが、未来の女王がどのようなことに時間を費やしているのか――その証拠を私は手にしている」
彼は劇的なジェスチャーで本を開いた。
そして、読み上げた。あり得るかぎりもっとも気取り、もっとも馬鹿馬鹿しいトーンで、ため息を大げさに真似、劇的な間を取り、あらゆる形容詞をこれでもかと強調しながら。
――「ああ、我が勇敢な騎士よ、なぜ分からないのだ? 私の心はただ貴方のためだけに脈打っている、嵐の中の雷鳴のように!」
神経質な笑い声が部屋のあちこちから漏れた。そして別の笑い声が。さらに数人がそれに続いた。
バルコニーの上の姫佳は、大理石のように真っ青になっていた。記憶が強烈な衝撃となって彼女を殴りつける。椅子、晩餐会、嘲笑。8年前と全く同じ音。同じ屈辱。同じ視線が自分に突き刺さっている。
彼女は手すりにしがみついた。膝がガクガクと震えている。
「ここから離れましょう」リッカが緊迫した声で彼女の腕を掴んだ。「今すぐよ。見つかる前に」
「できないわ」
「姫佳」
「ここから逃げるわけにはいかないのよ!」姫佳の声が裏返った。「私が逃げれば条約はご破算になり、王は殺され、ヴェルドリックの勝ちになってしまう。……下に降りなければ!」
「あの部屋には50人の衛兵がいるんだぞ」
「なら、50人の衛兵を相手にしてやりますわ」
「そんなこと、許さない」
「許可を求めているわけではありません」
「私はお前の護衛だ。私の任務は――」
「あなたの任務、任務、任務って!」姫佳は黄金色に光る、怒りと涙に満ちた目でリッカをぎっと睨みつけた。「私を何から何まで守ろうとするの、もうウンザリよ! 自分自身からさえもね! 私はガラス細工なんかじゃないわ、リッカ!」
「お前がガラス細工だから守っているわけじゃない……! 俺が守るのは……!」
言葉が途切れた。
「から、何なの?」姫佳が囁いた。
リッカは歯をくいしばった。そして目を伏せる。
「俺は護衛だからだ」彼女はついに、硬く、冷え切った声で言った。「俺は護衛だ。それ以上でも以下でもない。それが俺の務めだ。もしお前を救うために崖から突き落とす必要があるなら、迷わずそうする。お前は代えがきかない人間だ、姫佳。俺なんかじゃない」
しん、と静まり返った。
姫佳は、まるで頬を打たれたかのように彼女を見つめた。
「もう一度言いなさい」非常にゆっくりとした口調で彼女が言った。
「そんな……」
「自分が代えがきく人間だなんて、もう一度言ってみなさいよ」
リッカは何も答えなかった。
「あのオークの木のところで何があったの」姫佳の声が震えていた。「あんな言葉をかけてくれたくせに。どうしてまた勝手に決めるの? 私の気持ちも聞かずに、どうして二人に関わる重大な決定をあなた一人の独断で決めるのよ?」
「姫佳、俺は……」
「もういいわ」姫佳は一歩下がり、怒りに任せて涙を拭った。「私に話しかけないで。今から下に降りるわ。ついてこないで」
彼女は背を向けた。背筋を伸ばし、黄金色の瞳をギラつかせながら、ざわめく大広間へと続く階段を下りていった。
リッカはバルコニーにひとり取り残され、伸ばした宙ぶらりんの手をどうすることもできず、自分の気持ちをどう表現すればいいのか分かっていなかった。
大広間の真ん中では、ヴェルドリック宰相が朗読を続けていた。
――「……そして、騎士は耳を赤く染め、貴婦人の前にひざまずいてこう言った――『たとえ世界を敵に回そうとも、私は貴方をお守りする剣となる』と……」
哄笑が幾重にも重なって広がっていく。
だがその時――。
透き通るような、力強く、そして穏やかな声が、その空気を切り裂いた。
「そこまでよ」
ヴェルドリックが顔を上げた。
大広間の正面扉から、姫佳・フォン・ヴァレノワがたったひとりで足を踏み入れた。背筋をピンと伸ばし、旅の埃と皺にまみれたドレスを纏い、髪にはわらくずをつけ、かつてないほど黄金色に燃え盛る瞳をたたえ、シャンデリアの光さえも揺るがすほどの圧倒的な存在感を放ちながら。
「そこまでです、宰相」彼女は鋼のような声で繰り返した。「朗読はもう十分ですわ」
ヴェルドリックは不敵に笑った。
「殿下。これはご丁寧なことで。ちょうど貴女方の話題を持ち出していたところでしたよ」
「聞いていましたわ」
「実に愛らしいご本だ。これをご自身でお書きになられたというのは、ほんとうかな?」
完全なる静寂が部屋を支配した。
姫佳は顎をくいと上げた。
「ええ、そうですわ」
どよめきが走る。
「そうですわ」彼女はさらに声を大きくして言い放った。『深紅の騎士の情熱』を書いたのは私。ミッドナイト・ローズとは私のことです。少しも恥じてなどおりません!」
ざわめきがうねりへと変わる。
「恥じることなどありませんわ」彼女は続ける。「恋愛小説を書くことの何が恥ずかしいというのですか。8年前、私はこれを隠すよう教えられました。ですが、今日からもう隠したりはしません」
ヴェルドリックの笑みがいっそう深まった。
「なんと称賛すべき勇気かな。だが残念ながら、王女殿下、一国の女王たる者が笑い者になることは許されない。夢想家に支配された王国など信用に値しないのだ。ゆえに、オルレンヌ評議会を代表して、この条約の破棄を宣言する。そして今回の侮辱に対する賠償として、ヴァレノワの鉱山地帯の引き渡しを要求する!」
悲鳴のようなどよめきが広がった。
「侮辱、ですって?」姫佳が聞き返す。
「不適格な継承者を送り込んできたことへのね」
「馬鹿げたことを!」
「政治とはそういうものだ」
その瞬間。
頭上のバルコニーから、感情をたっぷりと孕んだ、低く、かすれた、しかし力強い声が響き渡った。
――「愛することは恥ではない。恥とは、沈黙することだ」
すべての視線が天井へと向けられた。
そこにはリッカがいた。片手を欄干に置き、腰には剣を帯び、顔面を凄まじい決意に歪ませた彼女が立っていた。まるで自ら高い崖から飛び降りる直前のような顔をして。
「第9章の台詞だ」彼女の声は震えていながらも決して揺らいではいなかった。「第312ページ。この王国で書かれたなかで、もっとも素晴らしい一節だ」
ヴェルドリックが眉をひそめた。
「貴様、何者だ?」
「リッカ・ヴァンス。ヴァレノワ王国の近衛騎士だ。そして、あの本を112回読んだ」
群衆の中からクスクスと笑い声が漏れた。だが、それはもはや嘲笑の笑いではなかった。それは温かく、感動に満ちた、列から列へと伝染していくようなざわめきだった。オルレンヌの貴婦人のひとりがハンカチを目元にあてる。ある騎士は厳粛に頷いた。隅の方で、誰かが「私も読んだぞ」と呟くのが聞こえた。
そして奥の方から、誰かが大声で叫んだ。
――「ミッドナイト・ローズ万歳!」
さらに別の誰かがそれに続く。
――「万歳!」
それは赤のグンダールだった。彼は3人の山賊仲間と花束を抱えて、いつの間にか紛れ込んでいたのだ。
ヴェルドリックは激怒し、杖で床を激しく叩いた。
「衛兵共! あの女を捕らえろ! 枢密院の議場に武装した外国の兵士が乱入し、評議会を妨害するなど規約違反も甚だしい! 処刑しろ!」
10人の衛兵がバルコニーを包囲した。リッカは一歩も動かなかった。
「リッカ、ダメよ!」姫佳が血の気の引いた顔で振り返り、叫ぶ。「逃げて!」
「私は任務を果たしているだけだ」リッカは震える笑みを浮かべて言った。「私はお前の護衛だから」
「私の護衛なんかじゃない!」
「分かっているさ」リッカの瞳に涙があふれた。「分かっている、姫佳。さっきのことは……全部、許してくれ」
二人の衛兵が彼女の両腕をガッシリと掴んだ。リッカは一切抵抗しなかった。連行されていくその瞬間、彼女は最後の力を振り絞って頭を巡らせ、王女の瞳を探した。
「勝ってくれ」彼女はかすかに唇を動かした。「勝ってくれ、頼むから」
そして、彼女は扉の向こうへと消えていった。
大広間の中央で、ヴェルドリック宰相は満足げにそのひげを撫で下ろした。
「さあ、殿下」甘ったるい声で彼は言った。「鉱山の話を進めようか」
シャンデリアが宮廷人たちの頭上で激しく揺れるなか、姫佳は黄金色に燃え盛る目で彼をじっと睨みつけていた。
部屋の片隅。
オダリス男爵夫人がパタンと扇子を閉じ、唇を噛み締めた。そして一瞬だけ、彼女の視線がバルコニーの落とし戸に向けられ、暗がりのなかで動くひとつの影に向かって――ほんのわずかに、頷いてみせたのだった。
(第10章へ続く……)
ここまでお読みいただきありがとうございました!
8年前のトラウマを乗り越え、「私はミッドナイト・ローズだ!」と堂々と胸を張る姫佳、そして「あの本を112回読んだ!」と叫んで捕らわれていくリッカ……二人の覚悟に胸が熱くなりますね!
(※読書会の仲間たちやオダリス男爵夫人の動きにもご注目ください!)
捕らわれてしまったリッカを救い出し、悪徳宰相を倒すことはできるのか!?
そして約束の「第10章(最終回)」で、ふたりは無事に結ばれるのか!?
続きが気になる方は、ぜひブックマーク登録や**評価(★★★★★)**をしていただきますと大変励みになります!
ついに次回、堂々の完結です! お楽しみに!




