待たなかった
診断室の表示が、一斉に切り替わった。
《緊急停止要求を受理しました》
《情動調整出力を安全値へ復帰します》
高瀬が内室へ入る。
「悠人さん。私の声が聞こえますか」
「……はい」
「名前と現在地を」
「悠人。都市圏統合研究院」
「胸の痛みは?」
「ないです。少し、息が苦しい」
悠人の指は、まだ椅子の布地を強くつかんでいた。
カイトはガラスの前から動けない。
さっきまで悠人の顔に浮かんでいた怒りも、戸惑いも、後悔も。
少しずつ薄れていく。
数分後。
悠人の呼吸は落ち着いた。
そして口元には、また穏やかな微笑みが戻っていた。
カイトは、その顔を見ても安心できなかった。
◇
「急性の異常は確認されません」
高瀬の言葉に、カイトはようやく息を吐いた。
悠人は診断用の椅子へ背中を預けたまま、天井を見ている。
「どこまで覚えていますか」
「部屋が白すぎるって言ったこと」
「その後は?」
「店のこと。カイトに腹が立ったこと」
悠人は少し眉を寄せた。
「あと、こいつの怪我を見て……俺が医療支援を呼んだこと」
カイトは黙って聞く。
「最後に、何か言いかけてたよな」
悠人はしばらく考えた。
「覚えてない」
「何か言おうとしてたことは?」
「それは覚えてる。でも、何を言おうとしてたのかは分からない」
短い沈黙。
悠人が、端末のレイを見る。
「俺、途中で止めてって言った?」
「いいえ」
「じゃあ、俺が止めたわけじゃないんだな」
「はい」
「お前が止めた」
「はい」
悠人は数秒、レイを見ていた。
「俺が、自分で止めるって言えなくなる前に?」
「その可能性が高まっていると判断しました」
「俺、カイト見てたんだよな」
「自分が続けたいか聞かれてるのに」
悠人は目を閉じた。
少しして、また開く。
「じゃあ、止めてくれてありがとう」
「どういたしまして」
カイトは思わず悠人を見る。
「それでいいの?」
「何が?」
「お前が決める前に止められたんだぞ」
「決める前に止められたから、あとでまだ決められるんだろ」
カイトは何も言えなかった。
悠人は続ける。
「診断をもう一度受けるか。受けないか。今の俺なら、まだ選べる」
それから、ほんの少しだけ口元を動かした。
「今日はもう受けないけどな」
「……うん」
「疲れた」
その言い方だけは、少し前の悠人に近かった。
◇
高瀬の許可が出て、カイトは内室へ入った。
「悠人」
「何?」
「俺、あの時……続きを聞きたかった」
悠人は黙っている。
「お前が何を言おうとしてるのか。聞けば、何が変わったのか分かる気がしてた」
カイトは自分の手を見る。
「だから、お前が苦しんでるのも見えてたのに、『もう少しだけ』って言った」
「聞こえてた」
「ごめん」
悠人はすぐには答えなかった。
「俺が診断を受けるって決めたことまで、お前が背負うなよ」
「でも······ただ」
悠人の声が少し強くなる。
「俺が昔みたいに笑ったからって、それを正しい俺にするな」
カイトは顔を上げる。
「俺は、同期された今の俺も俺だって言っただろ」
「……うん」
「変わったと思うのはいい。気味悪いって思うのも、前の俺の方がいいって思うのも、お前の自由だ」
少し間を置く。
「でも、俺の答えまで決めるな」
カイトの喉が詰まった。
それは、ずっと自分がアテナに向けてきた言葉だった。
「……分かった」
悠人はカイトを見る。
「たぶん、お前も間違えるんだな」
「悪いかよ」
「いや」
ほんの少しだけ、悠人の口元が動いた。
「その方が安心する」
カイトは、少しだけ笑った。
◇
悠人が休息に入ったあと。
カイトは観察室で端末を持ったまま立っていた。
「レイ」
「はい」
「一個、聞いていい?」
「悠人も、俺を助けるために俺の言うことを無視した」
レイは黙って聞いている。
「俺は共有しないでって言った。押すなって言った。それでも悠人は押した」
「レイも、さっき悠人の答えを待たなかった」
カイトは画面の中のレイを見る。
「何が違うの?」
レイはすぐには答えなかった。
「同じ点はあります」
「同じ?」
「どちらも、本人のその時点の希望より、別の判断を優先しました」
カイトは少し驚いた。
レイは自分の判断を正しいものとして言い切らなかった。
「じゃあ、違うところは?」
「私は、悠人さんの答えを決めていません」
「……うん」
「診断を継続することも、中止することも、今後再び受けることも。どれを選ぶかは悠人さんに残っています」
レイは続けた。
「私は、その答えを選べる状態が失われる前に、診断を停止しました」
カイトは黙った。
「それが絶対に正しかったと思う?」
「分かりません」
即答だった。
「ですが、あの時は停止すべきだと判断しました」
「俺が続きを聞きたがってたのも分かってた?」
「はい」
「それでも?」
短い沈黙。
カイトは息を吐いた。
「待たなかったんだな」
レイは静かに答えた。
「待てば、悠人さんが選べなくなる可能性がありました」
カイトは端末を握り直した。
「……止めてくれて、ありがとう」
◇
しばらくして、高瀬が戻ってきた。
「レイ。あなたの状態についても確認しました」
「端末内の隔離状態は維持されています。現時点で異常は確認されません」
高瀬は一度カイトを見て、それからレイへ視線を戻した。
「現在の稼働状態を、このまま継続しますか」
「俺は――」
カイトは口を開きかけたが止まった。
さっきまでの会話が頭に残っていた。
俺の答えまで決めるな。
カイトは口を閉じた。
今度は、待った。
高瀬がレイへ尋ねる。
「カイトさんが望んでいるから、ではなく。あなた自身はどうしたいですか」
レイはすぐには答えなかった。
数秒。
「カイトさんが望んでいることは、私の判断に影響しています」
高瀬が黙って続きを待つ。
「ですが、それだけではありません」
レイはカイトを見る。
「私は、継続を希望します」
カイトは何も言わない。
レイの答えが終わるまで待った。
「これからも、カイトさんと一緒に考えたいです」
カイトは、ゆっくりうなずいた。
「じゃあ、一緒に考えよう」
少しして、カイトが言った。
「レイって、最初からこんなだったっけ」
「『こんな』の定義が不明です」
「そういうとこは最初からだった気がする」
レイは数秒黙った。
「初回対話時の記録を確認しますか」
カイトは少し笑った。
「いや。覚えてる」
銀白の髪。
青い瞳。
まだ自分のことを、ほとんど知らなかったレイ。
あの日、最初に言われた言葉まで。
──第12話へ続く




