ニワトリ(憶測)の弟子
翌朝、いつもの時間にご主人様は起きて来られなかった。
おや?と思いながらご主人様の私室へ向かい、まだ寝ていらしたらどうしよう、と少し悩む。
しかし前世がニワトリ(憶測)のご主人様に限ってそんなことはない、と、思い切ってドアをノックした。
寝ていらしたならむしろ良い。
最悪なのは何かが起きていること。
そして何より、中で倒れておられたら大変だ。
私は、ご主人様のお体の無事を確認せねばならない。
ノックから数十秒。
反応がない。
出会ってから十六年、こんなことは一度もなかった。
「ご主人様、いらっしゃいますか」
なるべく、大きく。
ご主人様のお部屋全体に響き渡るくらいハキハキと声をかける。
けれど、それでもお返事はなく。
ざわり、と心が揺らいだ。
「ご主人様、いらっしゃいますか?」
二度目の問いかけは自分でも分かるくらい頼りなかった。
不安だと、声に出ていた。
それでもやめなかった。確かめるまで、ここを去るわけにはいかなかった。
ご主人様は私室に鍵をかけない。
いつでも来なさい、と、大昔に私に言ってくれて、それからずっと、鍵はかけないままでいてくれている。
だからドアノブに手を乗せると、私の躊躇なんて関係なく、あっさりと扉が開いた。
毎朝シーツを回収して、そしてセットする時はなんのためらいもなく入るのに、今回ばかりは心臓が飛び出そうなくらい緊張していた。
だってご主人様がいらっしゃる時に入るのは初めてなのだ。
どれだけ寂しくても、辛くても、私は決してご主人様がいる私室に入らなかったし、ご主人様も、私を呼ぶことはなかった。
キイ、と音がする。
ゆっくり扉が開く。
ゆっくり開くとこんな音がするのだと、こんな時になって初めて知った。
呼吸も忘れて、だんだんと見える範囲が広がるその光景を見守る。
そうして開き切った扉の先を見渡し、そして、ご主人様が居ないことを確認した。
真っ先に行ったのは室内の確認。
すっきりとしていて、壁一面の本棚以外は机と、椅子と、ベッドしかないお部屋。
背の高いご主人様が隠れるのはさすがに無理があると踏んで、「失礼します!」と大声を張り上げてから机に近づく。
何かないかと思ったのだ。
置手紙や、痕跡が。
でも、何もなかった。
シーツ交換のたびに拭きあげている机は、年代の重厚さこそあるものの、汚れ一つないままだ。
椅子も確認したけれど何もなかった。
念の為触れると想像以上に冷たくて、ぎょっとした。
何故かとても、とても怖かった。
一体何が。
ご主人様に、何が。
振り返りベッドも確認する。
しかし皺一つなく、昨日ここで寝ていないのだと分かった。
ご主人様は毎朝ほんの少しだけシーツを整えてから出て来てくれる。
そのことに大昔気が付いて、丸めながら回収するので気にしなくていいと伝えたけれど、照れた微笑みを見せただけで、その後もやんわり整えてくれている。
ご主人様は私にお世話をさせてくれるけれど、いつもどこか気恥ずかしそうで、それでもその気恥ずかしさを押して私がお世話することを許してくれている、とても優しくて温かいご主人様なのだ。
そんなご主人様が、私に何も言わず、居なくなる訳がない。
でもいつか、こんな日が来る気がしていた。
けれど、居なくなるのは私の方だと思っていた。
だから探さねばならない。
ここはご主人様のお家で、そしてご主人様のお弟子さん達の、私のきょうだい弟子達の、帰る場所でもあるのだから。
いつだったか、ご主人様が教えてくれた。
何かあった時はこの紐を引くように、と。
あの時は見上げる程に高い位置にあったその紐は、今や見下ろす位置にある。
迷いはなかった。
でも、緊張していた。
紐の先を握りしめ、深呼吸して、目を閉じて、思い切り引く。
何が起きるのかは知らないまま。
だってご主人様は、何が起きるのか教えてくれなかったのだ。




