第3話:真理の村!
私の名はエラーラ。私の興味を引くのは、常に、常識では説明のつかない「現象」だけだ。
今回、私が観測対象として選んだのは、古代の遺物「調和の宝具」。それは、「完璧に公正で、犯罪のない社会を創り出す」という伝説の宝具であり、人里離れた「真理の村」の屋敷に、厳重に保管されているという。
「フム…概念を物理法則として、特定領域に固定する、と。これほどの高位魔術、最高の実験対象じゃないか!」
私は、その宝具を解析するため、ただ一人、その村を訪れた。
数日間の旅の末、ようやくたどり着いた村の入り口には、簡素な門と、その脇に、磨き上げられた巨大な黒曜石の石碑がそびえ立っていた。古風だが、一切の装飾を排した、冷徹なまでの書体で、三つの絶対律が刻まれている。
第一律:偽りを口にしてはならない。
第二律:許可なく他者の所有物に触れてはならない。
第三律:自らの行動が引き起こす、あらゆる結果に対して、完全な責任を負わねばならない。
「面白い!」
私の口から、歓喜の声が漏れた。
「これは、村全体を覆う、巨大な概念魔術じゃないか。まるで、よくできたプログラムだ。ぜひとも、このソースコードを解析してみたいものだねぇ」
私は、これから始まる実験に胸を躍らせながら、村へと足を踏み入れた。
村は、噂通り、驚くほど平穏で、清潔だった。しかし、人々は互いに距離を取り、その表情は、まるで能面のようだった。私が道を尋ねようと声をかけても、「私は、貴女の目的地を知りません」と、事実だけを告げて、足早に去っていく。
やがて、宝具が眠るという、村で最も大きな屋敷にたどり着いた。しかし、その門は、堅く閉ざされ、二人の門番が、石像のように立っている。
「私は王立学院の研究員、エラーラだ。宝具の見学許可を申請したい」
「貴女に、この門をくぐる許可は与えられておりません」
門番は、感情なく、事実だけを告げる。第一律の忠実な体現者だ。
「では、誰に申請すればいいのかね?」
「その情報を提供することは、我々の職務ではありません。そして、貴女がここに留まることで我々の警備計画に遅延という『結果』が生じれば、その責任は、第三律に基づき、貴女にあります」
「フフフ、面白いじゃないか」
私は、試しに、その堅牢な門に手を触れようとした。
「おやめください。門は貴女の所有物ではない。第二律に違反します」
完璧な論理の牢獄。私は、ひとまず村で宿を取り、このルールの穴を探ることにした。
村での滞在中、私はこの三つのルールが生み出した、静かな狂気を目の当たりにした。
道端で子供が転んでも、誰も助け起こさない。「許可なく」子供の身体(親の所有物)に「触れる」ことができず、もし助け起こした際に、別の怪我をさせてしまった「結果」の「責任」を問われることを、全員が恐れているのだ。
私の存在そのものもまた、この停滞した村の「バグ」となっていく。
私が、純粋な好奇心から「その織物は、本当に貴方が織りたいものかね?」と職人に尋ねれば、職人は、第一律に従い「いいえ」と答え、自らの仕事に絶望してしまう。私は、彼を絶望させた「責任」を問われた。
私が、魔導観測器で、村の中央にある噴水を調べようとすれば、それは「許可なく」村の所有物に「触れた」ことになり、罰金の対象となった。
数日後、私の前には、村人たちから、私の「行動の結果」に対する、膨大な請求書のリストが突きつけられた。私は、ルールによって、身動き一つ取れない窮地に陥ってしまった。
「面白い…。実に、完璧なシステムだ。いかなる『人間の行動』も、この三つのルールのどれかに抵触するようにできている。だが…」
宿屋に閉じ込められた私は、石碑に刻まれていた三つのルールを、何度も、何度も反芻し、その論理構造を解析した。そして、ついに、ただ一つの穴を見つけ出した。
このルールが縛るのは、あくまで「人間の行動」とその「結果」だけだ。ならば、「人間の行動」を介さない、「自然法則」そのものを、利用すればどうなる?
私は、再び、屋敷の門前へと向かった。門へと続く坂道の脇には、造園用なのだろう、大きな石の円盤が、不安定な形でいくつか置かれていた。
「私は、この門を通りたい。許可を求める」
「許可は与えられていない」
いつもの問答。だが、今回は、ここからが違った。
私は、円盤をかろうじて支えている、小さな楔石の横に落ちていた、さらに小さな小石を指さした。
「私が、所有者のいない、ただの小石を拾うことは、誰の所有物にも触れず、何の結果も引き起こさない、無害な行動だ。そうだねぇ?」
門番は、第一律に従い、認めざるを得ない。
「…その通りだ」
私は、ゆっくりと、その小石を拾い上げた。その瞬間、支えを失った巨大な石の円盤が、ぐらりと傾き、重力に従って、門へと続く坂道を、凄まじい勢いで転がり始めた。
轟音と共に、石の円盤は、屋敷の堅牢な門に激突。巨大な門に、大きな穴が開き、衝撃で土煙が舞い上がった。
「なっ…!貴様、門を破壊したな!第三律違反だ!」
門番が、色めき立つ。だが、私は、不敵な笑みで言い放った。
「違うねぇ、門番君。門を破壊したのは、この円盤と、物理法則だ。私の『行動』は、ただ『小石を拾った』だけ。その結果は、私の手に小石がある、というところで完結している。そのせいで円盤が転がったのは、予測不能な『事故』であり、自然の法則の責任だろう?君は、私に、石が不安定に置かれていたことの責任まで問うのかね?」
その瞬間、門番の思考は、完全に停止した。
エラーラを罰するには、「重力に責任を問う」という、システムの拡大解釈が必要になる。エラーラを許せば、「行動の結果」の定義が崩壊し、第三律が無効化される。
どちらも、完璧なルールの上では、ありえない。絶対的な矛盾。
門番の脳が、ルールを強制する宝具の力と、目の前の矛盾の板挟みになり、ショートしたのだ。彼は、白目を剥いて、その場に崩れ落ちた。同時に、門を閉ざしていた魔力の結界が、音を立てて消え失せた。
私は、倒れた門番を乗り越え、破壊された門の穴をくぐり、ついに屋敷の中へと足を踏み入れた。
「結論。完璧に論理的なシステムは、そのシステムが想定していない、より上位の法則…すなわち、自然法則を持ち出すことで、その前提を崩壊させることができる。フム…実に美しいバグだったじゃないか。さて、心ゆくまで、このオモチャを分解させてもらうとしよう」
私は、屋敷の奥で妖しい光を放つ、目的の宝具を見据え、科学者の恍惚の笑みを浮かべるのだった。




