第3話RE:核心から遠ざかる探偵!
深夜、王都国際飛行場。
「……信じられんな、全く。この私がこんな夜更けに、あまつさえ貴様のせいで、中央王都から離れねばならんとは」
エラーラは、先の爆発と雨で薄汚れた白衣のまま、苛立たしげに吐き捨てた。
「文句を言うな。お前が協力すると宣言したんだろうが」
隣を歩くカレル警部が、数日分の疲労が染み込んだ声で応じた。
「……それで?経費は?」
エラーラは、ぴたりと足を止め、カレルに向かって無造作に手を差し出した。
「魔導特許で荒稼ぎしている富豪が、先払いを要求するのか?事後でいいだろう?」
カレルは、盛大な舌打ちと共に内ポケットを探り、使い古された革袋を取り出した。
「……ああ、わーったよ。出張費だ。無駄遣いするなよ」
ジャラリ、と重い音を立てて袋がエラーラの手のひらに落ちる。
エラーラは、袋の中身を改めることもせず、無感動に白衣のポケットに突っ込んだ。
「私の知性を稼働させるための対価としては、塵芥にも等しいが……まあいい。これで、貴様が私の珈琲豆を強奪しようとした件は、ひとまず保留としてやろう」
「……参考資料の押収だ」
「言葉遊びはよせ。私のラボを破壊し、貴重な研究時間を奪い、挙句の果てには私をこの場に立たせている。その『借り』は、この程度の金貨で返せるとは思うなよ」
「……ああ、わかってるよ」
カレルは顔をしかめた。
エラーラは、発着場の巨大なガラス窓の向こうに目をやった。
闇の中に、巨大な船影が浮かんでいる。
それは、ずんぐりとした船体に、不格好な魔力推進器がいくつも取り付けられた、つまり……旧式の貨客両用船。いわゆる「鈍行便」だ。
「……本気で私にこれに乗れと?」
エラーラの声に、隠しきれない嫌悪が滲んだ。
カレルは、搭乗開始を告げるくぐもったベルの音を聞き、エラーラの背中を軽く押した。
「行け。とっとと謎を解いて、とっとと帰ってこい。お前のいない王都はせいせいするが……ちと、静かすぎる」
「……ふん」
エラーラは、カレルを一瞥すると、踵を返した。
「せいぜい、私が戻るまでに、ハムスターの脳波を解析できる程度の知性を身につけておくことだな」
彼女は、タラップへと歩き出した。
カレルは、その小さな背中が闇に消えるまで、疲れた顔で、ただ、黙って見送っていた。
魔導飛行船の内部は、エラーラの予想を寸分違わず裏切らない、劣悪な環境だった。
エラーラは、他の乗客、くたびれた行商人や、出稼ぎの労働者たちから最も離れた隅の席を確保し、深く、目を閉じていた。
彼女は、自らの意識を外界から遮断し、思考の海へと潜っていく。
(経済特区「アルカディア・ネオ」。王国の新たな経済の中心地として、ここ数年で急速に発展した都市。旧来の魔導技術と、異国から流入した新たな技術が混在する、歪な街)
(そこで起きた、魔力痕跡なき大量殺人)
(そして、自白したエルフの少女)
パズルのピースは揃っている。
だが、そのどれもが、既存の論理の枠に収まらない。
(……【非論理的】だ)
その言葉は、彼女の思考を、別の場所へと引きずり込んだ。
遠い、過去の記憶。
王都・ソフィア大学に在籍していた頃。
彼女には、親友がいた。
唯一無二の、心を許した存在。
同じ研究室に所属していた、聡明で、太陽のように笑う女性だった。
エラーラが「論理」と「数式」で世界を構築しようとするのに対し、彼女は「感情」と「直感」で世界を捉え、そのどちらもが真実だと語る、稀有な人間だった。
エラーラは、彼女に惹かれた。
自らに欠けている、【非論理的】な輝きに。
それは、エラーラが人生で初めて経験した「恋愛感情」……という名のバグだったのかもしれない。
ある雨の日。
二人は、王都郊外の遺跡を調査するため、駅で待ち合わせをしていた。
彼女は、遅れた。
魔導通信に連絡が入る。
『ごめんなさい、エラーラ!また、道端で珍しい魔力苔を見つけちゃって……!列車、一本乗り遅れるわ……』
「……貴様のその好奇心は、いつか身を滅ぼすぞ」
それが、悲劇の始まりだった。
彼女が乗った、魔導列車。
それは、郊外の渓谷にかかる鉄橋で、脱線。
そして、彼女だけが、生き残った。
エラーラとの待ち合わせに遅れ、次の列車に乗った、彼女「一人」だけが。
街は、奇跡の生還者として、最初は彼女を持て囃した。
だが、生存者が彼女「一人」だと知れると、その視線は一変した。
「なぜ、お前だけが」
「魔法が使えないなんて嘘だ。お前は、エルフではないか」
「つまり、お前が、あの列車を脱線させたんだ」
憶測は、悪意となり、悪意は、狂気となった。
彼女は、何も言わなかった。
ただ、笑顔を失い、ソフィア大学に来なくなり、そうして、自室に引きこもった。
エラーラは、彼女の無実を証明しようと奔走した。
あらゆるデータを集め、論理的な反証を試みた。
だが、無駄だった。
人々が求めていたのは、「真実」ではなかった。
彼らが求めていたのは、その【非論理的】な悪意をぶつけるための「魔女」だった。
エラーラが、彼女の無実を証明する決定的な証拠を見つけ出した日。
彼女は、自室で冷たくなっていた。
傍らには、一枚のメモが残されていた。
『エラーラ、ごめんね。私は、あなたのようには強くなかった』
……【非論理的】だ。
あまりにも、【非論理的】で、愚かで……そして、救いようのない結末。
エラーラは、その日を境に、変わった。
感情を、自らの思考から可能な限り排除した。
信じられるのは、データと、そこから導き出される揺るぎない論理だけ。
感情も、常識も、もう、信じるに値しない。
自らの知性だけが、この世界を渡り歩く、唯一の武器なのだ……と。
船体が大きく傾き、硬いベンチがエラーラの身体を打ち付けた。
彼女は、ゆっくりと目を開けた。
明け方。
経済特区「アルカディア・ネオ」は、その姿を朝靄の中から現した。
王都の石造りの街並みとは対照的に、そこは、ガラスと鋼鉄、そして純白の魔導コンクリートで構築された、無機質な摩天楼だった。
空を走る高架式の魔導軌道。
整然と区画整理された街並み。
だが、その清潔すぎる風景は、どこか人間の体温を感じさせず、作り物めいた冷たさを放っていた。
飛行船を降りたエラーラは、眠気と疲労で重い身体を引きずりながら、特区警察署へと向かった。
「王都警察からの紹介で来た、エラーラ・ヴェリタスだ。担当者を」
受付で身分証を提示すると、奥から出てきたのは、いかにも事なかれ主義といった風情の中年の男だった。
「あなたが、カレル警部が言っていた『専門家』様ですか。ふむ」
署長は、エラーラの薄汚れた白衣と、疲労困憊の顔を、値踏みするようにジロジロと見た。
「早速だが、その『犯人』……と、疑われている少女に会わせてもらおう」
エラーラは、本題を切り出した。
「面会ですか」
署長は、わざとらしく咳払いをした。
「構いませんがね。ですが、忠告しておきますが、エラーラさん。奴は『魔女』ですよ。大量殺人を『自分がやった』と認めたんだ」
「貴様はその『犯行』の瞬間を見たのかね?」
署長は、声を潜め、さも重大な秘密を打ち明けるかのように続けた。
「エラーラさん!奴はエルフですよ?まず、犯人と見て間違いはない!」
その言葉を聞いた瞬間、エラーラの瞳から、温度が消えた。
エラーラは一歩、署長に詰め寄った。
大柄な署長が思わず後ずさる。
「貴様は、魔法使いかね?」
「え? いや、私はしがない警察官で……」
「そうだろう。ならば、黙って案内しろ。素人が断言をするな。時間の無駄だ」
地下の面会室。
鉄格子の向こう側。
小さな椅子に、一人の少女が座っていた。
尖った耳。
エルフ族特有の、人間離れした美貌。
だが、その顔には一切の感情が浮かんでいなかった。
ただ、ただ……虚空を見つめている。
その華奢な身体は、まるで、精巧な人形のようだった。
「……」
エラーラは鉄格子越しに、その少女を「観測」した。
(外見、十六歳前後。エルフ族。身体的特徴、著しい衰弱は見られない。だが……)
エラーラは、自らの魔力回路を最大まで研ぎ澄ませた。
(……ない?)
エラーラの背筋に、冷たいものが走った。
(魔力が、ない!?)
ゼロだ!
完全に、空っぽだった!
エルフは、その種族特性として、強大な魔力をその身に宿す。
だが!
目の前の少女は、「空」だった!
そう。生まれながらに魔力回路そのものが、存在しなかった……という障害を持っていたのだ!
「……君が、やったのかね」
エラーラは、静かに問いかけた。
少女は、答えなかった。
ただ、エラーラを見つめ返すだけだ。
「あの広場で、三十四人を殺したのは、君か……と聞いている」
エラーラは、言葉を重ねた。
少女の唇が、わずかに動いた。
「……わたくしが、やりました」
「どうやって?」
「……」
「使った魔法は?術式は?触媒は?君の体格なら、シュピーゲル社のマギア・ロッドを用いたか、あるいは……」
「…………」
少女は、再び口を閉ざし、虚空へと視線を戻してしまった。
エラーラは、舌打ちをした。
「……署長。私は、現場を見てくる」
エラーラは、それだけ告げると、面会室を後にした。
中央広場は、事件から三日が経過した今も、その凄惨な記憶を生々しく留めていた。
立ち入り禁止の魔導結界が張られ、その内側は、まるで、この世の終わりのような光景が広がっていた。
破壊されたベンチ。
ひしゃげた街灯。
そして、そこかしこに残された、犠牲者たちの「痕跡」。
エラーラは、白衣の袖で口元を覆いながら、その地獄の中心へと足を踏み入れた。
(魔力痕跡、ゼロ)
(残留魔素、ゼロ)
(空間の歪み、ゼロ)
ゼロ!
カレルの報告通りだった……。
これだけの規模の破壊と殺戮が行われたにもかかわらず、魔法が使われた形跡が、文字通り、何一つない。
エラーラは当初、魔力を対象の体内で暴走させる「魔導爆破」の可能性を想定していた。
それならば、空間そのものに、微細な「魔力の焦げ付き」が残るはずだった。
それすらも、ない……。
「……あり得ん」
エラーラは、呟いた。
「あり得んよ……。これは、私の知らない『新型魔法』による犯行だ!」
手掛かりゼロ!
完全な手詰まり!
エラーラ・ヴェリタスは、初めて「理解不能」という壁にぶち当たったことを自覚し、猛烈な焦燥感に襲われていた!
どれほどの時間が経っただろうか。
エラーラは、死臭の染み付いた白衣のまま、広場近くの喫茶店のテラス席に座り、ぼんやりと冷め切ったコーヒーを眺めていた。
頭脳が、オーバーヒートを起こしていた!
情報が少なすぎる!
矛盾が多すぎる!
(あの少女は、嘘をついている!?だが、何のために?誰かを庇っているのか?あるいは……)
思考が、同じ場所をぐるぐると回り続ける!
その時だった。
「聞いた?アリシア様のこと」
「信じられないわよね。あのアリシア様が、まさか、人殺しだなんて」
鈴を転がすような少女たちの声が、エラーラの耳に入った。
見ると、すぐ後ろの席に、三人組の女子高生が座っていた。その制服には、特徴的な百合の紋章が刺繍されている。
(……聖アフェランドラ女学院。この経済特区で最も学費が高く、エルフの特権階級の令嬢だけが通うことを許される、全寮制の女学校)
「でも、警察はそう言ってるんでしょう?ニュースも、みんな……」
「嘘!あの方が、なさるはずがないわ!だって、あんなに優しくて、美しくて……私たちの、みんなの憧れだったのに!」
エラーラの背筋が、凍りついた。
(アリシア……?……ああ、あの少女の名前か)
「あんなに素敵な詩をお書きになる方が、どうして……」
「かわいそうに……」
エラーラは、ゆっくりと、しかし、一切の殺気を消して、後ろの席を振り返った。
「いや失礼。少し、耳に入ってしまってね」
エラーラは、できるだけ穏やかな声色で話しかけた。
「君たちもしかして、『アリシア』……という少女を知っているのかね?」
「……え、ええ。知ってますけど……あなたは?」
「私は、たまたま王都から来た、ただの学者だ。今回の事件の、調査に来ていてね」
「アリシア様は、私たちの先輩です!」
一人の少女が、半ば泣きそうに言った。
「あの方は、犯人じゃありません!絶対に!」
「ほう?なぜ、そう言い切れる?」
「だって……!」
少女たちは、顔を見合わせ、少しためらった。
「……アリシア様には、あの方がいたんです」
「あの方?」
「……セラフィナ様、です」
別の少女が、小さな声で言った。
その名前に、わずかな嫉妬と、それ以上の畏敬の念が混じっているのを、エラーラは聞き逃さなかった。
「アリシア様は、セラフィナ様のことだけを、それはもう、狂おしいほどに愛していらっしゃったから……」
「私たち、みんなアリシア様のことが大好きだったけど、セラフィナ様にだけは敵わないって、わかってました」
「そうよね……アリシア様が、セラフィナ様を見つめる目、覚えてる? まるで、女神様でも見るみたいだった……」
「んん?……そのセラフィナは、今、どこに?」
エラーラは、核心に迫る質問を、さりげなく差し込んだ。
少女たちの顔が、一斉に曇った!
テラス席を、気まずい沈黙が包む!
やがて、一人の少女が、涙を堪えながら、口を開いた。
「……セラフィナ様『が』、亡くなったんです……」
「な……?」
エラーラの頭脳に、閃光が走った。
「アリシアが、セラフィナを、『殺してしまった』可能性は?」
別の少女が、首を横に振った。
「ありえません!だってそれじゃあ……恋人が恋人を、殺したみたいじゃないですか……」
その言葉は、喫茶店の喧騒の中に、重い鉛のように沈んでいった。
エラーラは、冷め切ったコーヒーカップを、強く握りしめた。
怨恨だ!
間違いない!
これは、何者かによる怨恨だ!
真犯人が、セラフィナを殺し、アリシアに濡れ衣を着せたのだ!




