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【5位】異世界探偵エラーラ・ヴェリタス  作者: り|20↑|札幌
エラーラ・ヴェリタス短編集
42/208

第38話:The Great Silence

主題歌:殺しが静かにやって来る サウンドトラック

https://youtu.be/5EdJabFFXt0

しんしんと雪が降り積もる、北方の辺境にある「白銀郷」。

その日、村の古い精霊祭壇では、エルフの女性リリアと、ライオンの獣人であるバルドの婚礼の儀が厳かに執り行われていた。窓の外は、全てを白く塗りつぶす激しい吹雪。しかし、堂内は聖なる灯火の温かい光と、参列者たちの祝福の囁きに満たされていた。


純白の儀式服に身を包んだリリアの、尖った耳が緊張に微かに震え、幸福に頬を染めている。屈強なたてがみを持つバルドは、少し照れくさそうに、しかし誇らしげに、彼女の隣に立っている。種族の違いを超えた二人の愛の成就を、誰もが静かに見守っていた。


村の長老が、古き精霊への祈りの言葉を述べ始めた、その時だった。

祭壇の重厚な扉が、突風と共に、内側へ激しく開かれた。

凍てつく風雪が、悲鳴のような音を立てて堂内へと吹き込み、聖なる灯火を激しく揺らす。参列者たちが、驚きと不快感に顔をしかめ、扉の方を振り返った。


そこに立っていたのは、小さな人影だった。

みすぼらしい、擦り切れた服。雪と泥にまみれ、痩せ細った身体。そして、エルフの繊細さをどことなく感じさせる、半獣人の少年。彼は、肩で荒い息をつき、今にも倒れそうなほど衰弱していたが、その大きな瞳だけは、祭壇に立つ花嫁…リリアを、一心に見つめていた。

少年は、ただ、よろめきながら、一歩、また一歩と、祭壇へと近づいていく。


少年は、リリアの目の前までたどり着くと、まるで最後の力を振り絞るかのように、彼女に向かって、小さな手を伸ばした。

しかし、その手がリリアの儀式服に触れることはなかった。

彼は、ふっと糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。

雪解け水で濡れた冷たい石畳の上に、小さな身体が、音もなく横たわる。そして、二度と動くことはなかった。


静寂。


そして、次の瞬間、参列者たちの悲鳴と混乱が、吹雪の音と共に、祭壇を満たした。

美しいはずの婚礼の儀は、突如として現れた、名も知らぬ少年の死によって、不吉な幕開けを迎えたのだった。


・・・・・・・・・・


私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。

その日、私の氷都リューネブルクでのフィールドワークは、実に非効率な邪魔者によって中断された。吹雪の中、私の仮設研究室のドアを、壊さんばかりに叩く者がいる。


「エラーラ博士!頼む、力を貸してくれ!」


現れたのは、鼻の頭を真っ赤にした、見るからに凡庸な都市警備隊の隊員だった。


「村で、奇妙な事件が起きたんだ!婚礼の儀の最中に、見知らぬ半獣人の子供が…死んだ!」


「フム…子供の死亡案件かねぇ。実にありふれた、非効率な事象だ。私は今、もっと興味深いデータの観測で忙しいのでね」


私が冷たく言い放つと、隊員は食い下がった。


「頼む!死因不明、身元不明なんだ!あんたなら、何か分かるかもしれない!」


「興味ないねぇ。私は今、このリューネブルクで起きている、実に美しいバグ…いや、3つの複雑怪奇な事件の解析で手一杯なんだよ」


そう、私は今、最高のパズルに夢中だったのだ。


・・・・・・・・・・


第一の事件:『沈黙の宝物庫』

「エラーラ博士、こちらです!これが問題の宝物庫でして…」


警備隊長が、重々しい鋼鉄の扉を開け、私を招き入れた。内部は、高価な毛皮や金銀財宝で満たされている。だが、中央にあるべき最高級の魔晶石コレクションだけが、台座ごと綺麗さっぱり消え失せている。壁も床も、魔術的な探知結界も、物理的な傷一つない。完璧な密室からの消失。実に美しいじゃないか。


「それで、君の見解は?」


私が尋ねると、隊長君は、自信なさげに答えた。


「は、はあ…おそらくは、高位の空間転移魔術かと…あるいは、壁抜け能力を持つ、特殊な魔物か…」


「フム…実に凡庸で、想像力の欠如した仮説だねぇ……」


私は鼻で笑うと、自作の多次元スペクトルレンズを取り出し、宝物庫の内部を舐めるように観測し始めた。床、壁、そして、空になった台座。


「…ほう?」


私の手が、台座の隅で止まった。肉眼ではほとんど見えない、極めて微細な、しかし特徴的なエーテル反応。そして、空気中に漂う、ほんの僅かな残留情念…恐怖、か。面白い。

私は、芝居がかった仕草でレンズを外し、隊長君に向き直った。


「事件は解決した!」


「な、本当ですか博士!?」


「ああ。この宝物庫に残された微量の獣のエーテル痕跡…これは、雪豹種の、それも極めて希少な変異種のものですな!」


私は、どこからか取り出した(ように見せかけた)銀色の毛を、ピンセットでつまんで見せる。


「そして、この空間に漂う、強い恐怖の残留思念…これは、雪豹種特有の威嚇フェロモンの分子構造と酷似している!つまり犯人は!」


私は、勿体ぶって指を突きつける。


「宝物庫に迷い込み、閉じ込められてパニックになった、空間転移能力を持つ銀色の雪豹だ!」


「な、なんだってー!?」


「ゆ、雪豹がワープを…!?聞いたことがないぞ!」


警官たちが、私の突拍子もないデタラメな結論に、実に素直な反応を示している。フフフ、可愛いじゃないか。


「というのは、私の立てた仮説の一つに過ぎんがねぇ。まあ、せいぜい頑張りたまえよ、諸君」


私は、呆然とする彼らを後に、ほくそ笑みながら現場を去った。


(…残留思念とエーテル痕跡のパターンは、完全に一致。だが、これは雪豹などではない。もっと別の…実に興味深い存在だ。「あの男」の…データに酷似している…)


・・・・・・・・・・


第二の事件:『凍り付いた演説』

次に私が呼び出されたのは、女性評議員の豪華な私室だった。彼女は、椅子に座ったまま、まるで凍結魔術でも食らったかのように、微動だにせずに固まっていた。生体反応はある。瞳だけが、恐怖に歪んで、壁に掛けられた一枚の肖像画を、狂ったように見つめていた。


「どうなってるんだ、博士!?」


刑事君が、私の袖を掴まんばかりに詰め寄ってくる。実に非効率な接触だ。


「呪いの類か!?それとも、未知の石化毒か!?」


「落ち着きたまえよ、刑事君。君のそのヒステリックな反応は、私の観測のノイズになる。実に非効率だ」


私は、彼の手を払いながら、部屋の中を観測する。侵入の痕跡はない。彼女の身体にも、外傷や魔術的な拘束の痕跡はない。やはり、問題は、あの肖像画か。描かれているのは、粗野な風貌の、目つきの悪い男。年代物のようだが、特筆すべき魔力は感じられない。


「ううむ…これは、呪いですなあ!間違いなく!」


私は、またしても芝居がかった口調で断言した。刑事たちが、ごくりと喉を鳴らす。


「彼女が見つめていたこの肖像画…描かれているのは、数百年前の闇魔術師!彼のイーヴィル・アイの呪いが、時を超えて彼女を襲ったのです!」


「そ、そんな馬鹿な!ただの古い絵だぞ!」


「信じられないかね?君のその固定観念こそが、真実への到達を阻害しているのだよ。では、私がこの呪いを解いてみせよう!」


私は、懐から取り出した安物の魔導水晶を肖像画にかざし、意味不明な古代語を高らかに唱えた。そして、指先から、あらかじめ仕込んでおいた微弱な精神干渉解除の魔術を、評議員の後頭部に、気づかれぬよう放つ。


「はっ!」


評議員は、短い悲鳴と共に、呪縛から解放されたかのように、激しく咳き込み、動き出した。


「お、おお!解けた!博士、すごい!」


「さすがです!」


刑事君たちが、実に単純な反応を示している。


「フン、当然だ。私の計算通りだよ。だが、根本的な解決ではない。闇魔術師の魂が、まだこの絵画に…ふふふ」


私は、意味深な言葉と不気味な笑いを残し、またしても彼らを混乱の渦に突き落として、現場を去った。


(…やはりだ。肖像画の男のエーテルパターン…宝物庫の痕跡と、完全に一致する。間違いない、あの男だ…これは、ますます面白くなってきたじゃないか!)


・・・・・・・・・・


第三の事件:『壊れた子守唄の魔導具』

三番目の現場は、街の片隅にある、古びた魔道具店だった。問題の品は、オルゴール型の古い魔道具。ゼンマイを巻いてもいないのに、毎晩同じ時刻になると、ひとりでに鳴り出すのだという。しかし、その音色は、本来記録されているはずの優しい子守唄とは似ても似つかぬ、途切れ途切れで、不気味で悲痛なメロディに変質していた。

店の老主人は、すっかり怯えきっている。実に、興味深い精神状態だねぇ。


「これは…これは、悲しい事件です…!」


私は、魔道具を慎重に調査した後、ハンカチで目頭を押さえるフリをした。


「この魔道具には、若くして亡くなった少女の、悲しい魂が宿っているのです!彼女は、子守唄を最後まで聞きたかった…その無念が、メロディを歪ませている!」


「そ、そんな…!かわいそうに…!」


老主人が、涙ぐんでいる。隊員たちも、神妙な顔つきだ。フフフ、実に、扱いやすいサンプルたちだよ。


「解決策は一つ!我々が、正しい子守唄を、心を込めて歌ってあげるのです!彼女の魂を、慰めてあげるのです!さあ、皆さんご一緒に!」


私は、実に馬鹿馬鹿しい提案をしたが、隊員も老主人も、真剣な顔で頷いた。

そして、始まった。三人の成人男性による、地獄のようなハーモニー。音程も、リズムも、感情移入の仕方も、全てが破綻している。


「フフフ…素晴らしい不協和音だ!」


私は、彼らの非効率な善意によって生み出された、この世の終わりのような音響データをBGMに、魔道具から発せられる歪んだエーテルパターンを、冷静に記録していた。


(…間違いない。このパターンも、やはり同じか…!これで、全てのデータが揃った!なんと美しい!)


全ての事件は、繋がった。

私は、隊員たちに「少女の魂は、皆さんのその…実に独創的な歌声に満足して、安らかに眠りについたでしょう」と、適当なことを告げると、次の行動に移るべく、足早に店を後にした。

さあ、ここからが、本番の実験だ。この実に興味深い現象の、根源を突き止めに行こうじゃないか。


・・・・・・・・・・


研究室に戻った私は、3つの事件から採取したデータを照合し、ついに結論に達した。宝物庫の魔力痕跡、肖像画の男、オルゴールの歪んだメロディ。その全てから検出された魔力パターンが、完全に一致したのだ。それは、数年前にリューネブルクで何者かに撲殺された、ある男のものだった。


「面白い!実に面白いじゃないか!これは、その男に強い『想い』を持つ者による、無意識下の魔術的干渉…ポルターガイストだ!」


私の心は、純粋な科学的興奮に満たされていた。

私は、さらに古い警備隊の記録を魔術的に解析し、その撲殺された男の個人データを探る。そして、信じられない記述を発見した。


『…男には、行方不明の半獣人の子供がいるとの情報あり…』


私の脳裏に、あの隊員が語っていた、婚礼の儀で死んだという半獣人の少年の姿が、鮮明に蘇った。


(…なるほど。点が、線で繋がったわけか?)


私の表情から、楽しげな色は消えた。これは、もう、ただの面白いパズルではない。

私は、さらに深く、男の過去を掘り下げた。警備隊の封印された記録、闇ギルドの情報網、あらゆる手段を使い、その人間の男…ガルヴァンの、おぞましい蛮行の数々を暴き出していく。


記録されていたのは、単なる襲撃事件ではなかった。何人もの女性…人間、エルフ、獣人、種族を問わず、彼の暴力と欲望の犠牲となっていた。記録に残っているだけでも十数件。記録に残らぬ被害者は、その数倍にものぼるだろう。彼は、ただ奪うだけでなく、相手の尊厳を踏みにじり、絶望させることに、歪んだ喜びを見出していたのだ。


そして、その記録の中に、「エルフの女性を襲撃、半獣人の子を身ごもらせた可能性」という一文を見つけた時。

私の顔から、完全に表情が消えた。


それまでの、知的好奇心に満ちた高揚感は、氷のような冷たい怒りへと変貌していた。


(…これが、人間の『悪意』の、深淵か…)


私は、ガルヴァンという存在を、「興味深いサンプル」から、「駆除すべきバグ」へと、再定義した。

私は、再びあの北国の村「白銀郷」へと魔導カーを走らせた。今度は、ただのデータ収集のためではない。そこには、私が解き明かさなければならない、「真実」と、そして、下さなければならない「断罪」がある。


村で聞き込みを重ね、婚礼の儀の参列者たちの記憶を、半ば強引に読み取る。そして、私は、全てのピースを繋ぎ合わせた。

婚礼の儀で死んだ少年アキラは、あのガルヴァンの息子だった。

花嫁のリリアは、かつてガルヴァンに襲われ、アキラを産んだ。彼女はその忌わしい過去を隠し、アキラを捨て、何も知らないバルドと結ばれようとしていた。

そして、ガルヴァンを撲殺したのは、リリアの現在の夫、バルドだった。彼は、リリアの過去を知り、彼女を守るために、男を殺害していたのだ。

アキラの死因も、判明した。彼は、母親に会いたい一心で、病身を押して、吹雪の中を歩き続け、婚礼の儀の場にたどり着いた。しかし、その目前で力尽きたのだ。彼の死は、誰かの直接的な悪意によるものではない。ただ、ガルヴァンという存在が生み出した、あまりにも悲しい偶然の連鎖だった。

私の胸に、熱い怒りが込み上げてくる。隠された罪、断ち切れない血の繋がり、そして、それに翻弄された、小さな命。


「…実に、非効率で、醜悪な、こと、だ……」


私は、自らの解析結果を、淡々と都市警備隊に提出した。それは、科学者としての、当然の義務。だが、私の中で何かが軋む音がした。

これが、本当に「正しい」ことなのか?私の知性は、そう問いかけていた。


報告は、悲劇の引き金となった。


バルドは、殺人容疑で即日処刑された。彼は、ただ、愛する人を守りたかっただけなのだと、最後まで叫んでいたという。


リリアは、子供を捨てた過去と、夫が殺人犯であったという事実を世間に暴露され、絶望のあまり、自らの命を絶った。


母に会いたい。ただそれだけだった少年のささやかな願いが、結果的に、関わった全ての人間を、破滅へと導いてしまった。

葬儀が行われた日、私は、一人、村はずれの共同墓地の前に立っていた。アキラ、リリア、そしてバルド。三人の新しい墓標が、吹雪の中に、寄り添うように並んでいる。

なぜ、私がここにいるのか、自分でもわからなかった。ただ、この結末を、見届けなければならないと感じていた。

激しい吹雪が、私の白衣を叩く。墓標に積もる雪を見つめるうち、私の完璧な思考回路に、これまで経験したことのない、強烈なノイズ…理解不能な感情の奔流が押し寄せる。それは、悲しみか、怒りか、後悔か、あるいは、その全てか。

論理も、計算も、データも、全てが意味をなさない、圧倒的な感情の嵐。

私は、こらえきれずに、その場に膝をつき、天を仰いだ。そして、子供のように、声を上げて泣き始めた。慟哭。私の科学では、決して解き明かすことのできない、人間の心の深淵に触れてしまったことへの、魂からの叫びだった。


吹き荒ぶ吹雪が、天才魔導学者の、初めて見せた涙を、白く、覆い隠していった。

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