第1話:狂いの街角(1)
秩序だのなんだのと、上等な看板だけはピカピカに磨き上げちゃあいるが、その実、裏路地をひょいと一本入れば、そこはもう魔獣の縄張りだ。
これが、俺たちの街、王都。
そして、その魔獣どもの中で最もタチが悪ぃのが、俺たち「王都警察」のバッジを付けた奴らってわけだ。
俺はカザマ。警察の端くれ。今日も今日とて、どこかの誰かの愛玩犬の「迷子探し」をしている。
笑わせてくれる。昨夜だって、スラムで半グレどもが派手な魔法を撃ち合って、カタギが三人ミンチになったってのによ。平和なもんだぜ。
「……たく、やってらんねぇ!」
革靴の裏にこびりついたガムをアスファルトに擦り付けながら、俺は紫煙を吐いた。お犬様が逃げ出したとされる貴族街は、空気が違う。ドブの臭いじゃなく、鼻につく香水と、隠しきれねぇ腐臭が混じり合ってる。この腐臭は、比喩じゃあねぇ。文字通りの意味だ。あの手の屋敷の住人は、決まって地下か屋根裏部屋で、捕らえたスラムの乞食を拷問してるんだ。
聞き込み、ったって、使用人どもは「さあ」とか「存じません」の一点張りだ。そら、当たりめえだ。どうせ奥様が飽きて、お犬様を闇市場のブローカーにでも売り飛ばしたんだろう。それか、例の「趣味」の犠牲になったか。
手配書の、リボンをつけたマルチーズだかポメラニアンだかのふざけたツラを眺めながら、俺はスラム方面へと足を向けた。どうせ流れるとしたら、そっちだ。
陽が傾きかけた頃、俺はスラムの外れ、古びた民家が並ぶ一角で、異様な光景に出くわした。
焚き火だ。
こんな白昼堂々、民家の軒先で火を焚くバカがいるってのかよ。いや、それ自体はスラムじゃあ珍しくもねぇが、問題は……その火で炙られているモンだ。
「……あ?」
見間違いじゃねぇ。
犬だ。
皮を剥がれ、串刺しにされた小型犬が、パチパチと脂をはぜらせながら、ゆっくりと回されている。その手際の良さが、妙に堂に入ってるのが、また胸クソ悪い。
そして、その火の前に胡坐をかき、涎を垂れ流しながら串を回している、汚ぇ男が一人。
伸び放題の髪は脂でギトつき、着ているヨレヨレのコートは、何のモンだか分からねぇ黒ずんだシミで覆われている。まるで、何日もゴミ溜めを漁っていた野獣だ。その目だけが、獲物を狙う肉食獣のそれみてぇに、ギラギラと輝いてやがる。
男は串から滴る脂を指で掬うと、それを美味そうに舐め、低い声で唸った。
「塩味は足らねえが、もうちょい、だな……。この皮の焦げ目と、肉汁は最高だ。焦るな。ここの『黄金比』が重要なんだ……ヒヒヒ」
俺はホルスターの魔導銃に無意識に手をかけた。こいつは、ヤバい。スラムの連中とも違う、全く別の、純粋な「狂気」の臭いがする。理屈が通じねぇタイプのヤツだ。
「…テメェ、何やってやがる」
俺が声をかけると、男はゆっくりと、そう、実にゆっくりと振り返った。
濁った目。しかし、その奥に宿る光は、俺を「獲物」か「障害物」としてしか認識していねぇ。
男はニチャア、と気色の悪ぃ笑みを浮かべた。
「あ?……見りゃわかんだろ?メシだ。最高の『晩餐』なんだぜ。」
「メシ……? テメェ、いま、自分が何してんのか分かってんのか!」
俺が手配書を突きつけようとした瞬間、男は懐から何かを取り出し、俺の目の前に適当に放り投げた。
カラン、と乾いた音を立てて転がったのは、見覚えのあるバッジ。
「……王都警察……!?」
「おうともさ。捜査一課のイヌカイだ。……ああ、なるほど。こいつかァ、例の『迷子』は」
イヌカイと名乗る男、野獣刑事は、手配書の写真と、火で炙られている「メシ」を面倒くさそうに見比べた。
「まあ、こいつだろうな。さっきそこの角でフラフラしてたからよ。確保した」
「確保……!? テメェの故郷じゃあ、それを『確保』っつうのか! テメェ、食ってるじゃねぇか!」
イヌカイは、心底面倒くさそうに頭を掻いた。フケが雪のように舞う。最悪だ。
「腹が減ってんだよ!それに、犬ッコロだろ?スラムで放っときゃ衰弱するか他のヤツに食われるかだ。どうせ死ぬってえタマなら、俺が美味しくいただくのが、それが、コイツにとっても有難い話じゃあねえのか?ああ、これぁ、優しさだよ。」
「や、優しさ……? テメェのどこにそんな優しさがあるってんだよ!」
「ここによ。」
イヌカイは、自分の脂ぎった腹を叩いた。
「いいか?『生命は、巡る』。デュアラ議員も言ってただろうが。だから、これが俺の優しさだだ。巡らせたんだよ。ああ、いい感じに焼けてるから、カザマ、とか言ったか? お前も一口どうだ? この辺の肉が一番美味いんだぜ、ヒヒヒ」
話が通じねぇ。
俺は無線を取り出し、カレル警部に応援を要請した。理由は「公務執行妨害の疑い」だ。
イヌカイは、俺が無線で捲し立てている間も、意に介さず肉の焼き加減をチェックしている。
無線を終えた俺に、犬飼は真顔で尋ねてきた。
「おい、テメェ、カザマ。お前、今、『塩』持ってるか? やっぱり塩なんだよ。野良犬の肉には塩と相場が決まってる。だが生憎切らしちまっててな」
俺は何も答えず、魔導銃の安全装置を外した。
・・・・・・・・・・
王都警察署の留置場は、いつにも増して騒々しかった。
まず、俺の目の前にある独房からだ。
「ヒヒヒヒ……! そうだ、もっとだ……もっと堪え入れろ……!」
鉄格子の向こう側で、さっき連行してきたイヌカイが、独房の備品である薄汚ねぇ毛布を、狂ったように丸めていた。
いや、丸めている、というよりは、何かを「練り込んでいる」といった方が近い。
「おいイヌカイ、テメェ、何やってやがる」
「あ?…おう、カザマか。見りゃわかんだろ。『寝床』作りだ」
犬飼はそう言うと、固く、固く練り上げた毛布の塊を、独房のコンクリートの床に叩きつけた。
ドスッ、と重い音が響く。
「……それが寝床だと?」
「おうともよ。ただの寝床じゃねぇ。俺の『縄張り』だ。……だが、何かが足りねぇ」
イヌカイは、何を思ったか、独房の隅にある、申し訳程度の便器に手を突っ込むと、そこから汲み上げた水を、毛布の塊に振りかけ始めた。
「そうだ、この『臭い』……。懐かしい『故郷』ヴィルゴール平原の臭いだ……。これで、俺の『城』は完成に近づいた……」
便所の水でビシャビシャになった毛布を、イヌカイは、恍惚とした表情で撫で回している。
だめだ。こいつはもう、「向こう側」に行っちまってる。
俺は、イヌカイから視線を外し、もう一つの騒音の原因へと向かった。
「ワン! ワン!」
「キャンキャン!」
犬だ。
犬の鳴き声が、鉄格子の向こうからひっきりなしに響いてくる。
「……これは、どうなってやがんだ?」
俺は留置場の看守に尋ねた。
犬の鳴き声は、一番奥の独房からだ。
「……カザマさん、見てくださいよ。ありゃ一体なんですか……」
看守が指差す先、一番奥の独房。
そこには、一人の女が座っていた。
褐色の肌。短い銀髪。そして、なぜか留置場で真っ白い白衣を羽織っている。豊満な胸が、汚れ一つない白衣を押し上げているのが、妙にアンバランスだ。
女は、無数の犬に埋もれていた。
「……?」
独房の中は、犬で溢れかえっていた。
ダックスフンド、柴犬、ドーベルマン、果てはどこから迷い込んだのか狼のようなデカいヤツから、頭が三つのケルベロスのガキまで。大きさも犬種もバラバラの犬どもが、その女に、申し訳なさそうにスリスリと体を寄せ、尻尾を振っている。
女は、迷惑そうな顔をしながらも、時折、犬の頭を無造作に撫でていた。
「……お前か!おい!あんた、また何かやらかしたのか!」
俺が声をかけると、女は、犬の群れから顔を上げた。
「んん? ああ、カザマ君じゃないか! いやぁ、参ったよ! 実に興味深い現象だ!」
女は、芝居がかった大仰な身振りで両手を広げた。その仕草は、まるで舞台役者だ。
「私がここに座って珈琲を飲もうとした瞬間だよ! まったく! どこからともなく、この獣たちがだね! 次から次へと現れて! 『空間転移』か!? いや、違うな、この魔力の残滓は『召喚』でもない! 『自発的』な集合だ! しかし……なぜだ!? 私は猫は嫌いだが、だからといって犬が好きなわけでもない! なのになぜ集まる!?」
ハスキーな声で早口にまくし立て、女は目をカッと見開いた。
この女、エラーラ・ヴェリタス。
表向きは王都の外れで、どこかの建屋に潜伏している不気味な知識オタクだ。
だが、裏の顔は、この国最強の魔法使い……だと言われている。
その知識と腕を買われ、時折、俺のボスであるカレル警部が、厄介な事件の捜査協力を依頼している。
「……あんたの話は知らねえよ!だが、それより……その犬コロ、なんか……増えてないか?」
俺がここに来た五分前より、明らかに独房内の犬の密度が上がっている。
まず、床が見えねぇ。
「増えている!? ああ、まさしくその通りだ、カザマ君! 観察眼があるじゃないか! 素晴らしい! そうなんだよ! この狭い空間で、質量保存を無視した『増殖』が起きているんだ!」
エラーラが叫んだ瞬間、彼女の足元の空間がボコッと歪み、新たに三匹の子犬が「出現」した。
「見たか?カザマ君!また増えたぞ! これは一体どういう『術式』だ!? この空間自体が、何かの『触媒』になっているのか!? くぅぅ! この私の魔法理論をもってしても、解明できんとは! 屈辱だ! だが……だが、実に! 興味深いッ!!」
エラーラは興奮のあまり、自分の銀髪をグシャグシャとかき混ぜた。
犬は、もう限界だ。犬が犬を押し潰し、鉄格子の隙間から鼻先や尻尾がはみ出している。
「……ヤバいぜ、エラーラさんよ!そのままだと、あんた、犬に押しつぶされるぞ!」
「それは困る! 私にはまだ解き明かさねばならん『真理』が山ほどあるんだ! ……よし!」
「……おい、あんた、何を……」
「『解』ッ!!」
エラーラが短く叫ぶと、魔法陣が眩い光を放った。
直後。
轟音と共に、王都警察署の、それも最強の結界が張られているはずの留置場の壁が、キレイにくり抜かれ、崩れ落ちた。
「なっ……!?」
「ふぅ。これで空気の通り道ができた。……む? なんだカザマ君。そんなに目を丸くして。ああ、壁のことかね? 問題ない。この『穴』は、私の術式で『空間ごと置換』しただけだぞ?」
エラーラは白衣についた埃をパンパンと払うと、崩れた壁の向こう側、署の廊下に、スタスタと歩き出した。
溢れた犬たちも、ぞろぞろと彼女の後を追う。
「……あんた、カレル警部に呼ばれて『待機』してたんじゃねぇのかよ……マジで逮捕られてたのか……」
「逮捕は終わりだ! それに…あれを見たまえ!」
エラーラが指差したのは、廊下の奥、休憩室に設置された年代物の魔導テレビだった。
『緊急ニュースです! ただ今、王都三番街の集合住宅にて、立てこもり事件が発生しました! 犯人は魔導銃を所持している模様で…』
画面には、緊迫した現場の様子が生中継で映し出されている。
エラーラが口を開いた。
「……立てこもり?」
休憩室には、先客がいた。
「……立てこもり?」
俺の、もう一人の同僚。
「ヒヒヒ…おい、カザマァ。見ろよ。あのビビり様。傑作だぜ……」
テレビの前で下品に笑っているのは、野獣刑事・イヌカイだった。
あいつ、例の「巣」はどうしたんだ。
「イヌカイ……テメェ、何笑ってんだァ?」
「カレル警部がよォ、『散歩』してこいとよ」
イヌカイが、エラーラを値踏みするようにジロジロと見る。
エラーラは、その視線を気にも留めず、真っ直ぐにテレビ画面を見つめていた。
「立てこもり……。ほぅ。実に興味深いサンプルだ。これは、現地で『観察』するしかないじゃないか!」
エラーラは、まるで遠足でも見つけた子供のように、目を輝かせた。
「おい、エラーラ、あんた……」
「行くぞ、カザマ君! イヌカイ君、だったかね? 案内したまえよ!」
エラーラは、俺の制止も聞かず、大股で休憩室を出ていく。
その後を、なぜか行儀よく一列に並んだ犬の群れが追いかけていく。
「……グヒ。面白ぇ姉ちゃんだ。気に入ったぜ」
イヌカイは、口の端にこびりついた「犬の脂」を舐め取ると、ゆっくりと立ち上がった。
こうして、俺と、犬を食う刑事と、犬を増やす魔法使いという、最悪の組み合わせの「現場臨場」が始まった。
現場に向かう魔導車の中で、すでに地獄は始まっていた。
「おい、姉ちゃん。その白衣、なかなかいい『血』ィ吸ってそうだな」
イヌカイが、エラーラの白衣の裾を掴み、その臭いを嗅ぎながら言った。
「む? これか? これは私の『普段着』だよ。確かに、様々な『サンプル』の飛沫が付着しているな。例えばこのシミ! これは『グリフォン』の胆汁だ! 強力な『再生薬』の触媒になる!」
「……ヒヒヒ。そいつは『シノギ』になるな。俺のダチが、昨日、『抗争』で腕が一本吹っ飛んでよ。そいつに使えるか?」
「腕が!?なんと興味深い! ぜひ、その『ダチ』とやらを私に『解剖』させたまえ! メスを入れたい!」
エラーラは、白衣のポケットから、ギラリと光るメスを取り出した。
「……解剖? ……グヒヒヒ! 気に入ったぜ、姉ちゃん! 『解剖す』ってわけか! いい響きだ! そうだよな、ヤっちまった『タマ』は、きっちり『バラ』して、証拠を消さねぇとな!」
イヌカイは、エラーラのメスを覗き込み、自分の懐から、錆びついた肉切り包丁を取り出した。
「姉ちゃん、こいつを見ろよ。こいつは俺の『相棒』だ。こいつで、何匹の『人間』を『楽』にしてやったか……。この刃こぼれ、いい『味』だしてるだろ?」
「素晴らしい! イヌカイ君! その包丁、ぜひ私に『解析』させてくれたまえ!」
「こいつで『シマ』を荒らすヤツらを、まとめて『掃除』してやるんだよ!」
魔導車の中で、メスと肉切り包丁を交換し、互いの『道具』を恍惚と眺め合う二人。
話は一ミリも噛み合っていない。だが、その目の奥に宿る『狂気』の光だけは、奇妙な『シンパシー』で結ばれているように見えた。
俺は、この魔導車から飛び降りたかった。




