↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェリタスの最終定理1:魔導士エラーラ・ヴェリタスの日常【改修中】【2位】  作者: .
短編:消えた文豪【ミステリー】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/55

第2話:消えた文豪(2)

王都から南へ魔導列車で丸一日。エラーラが降り立った場所は、灼熱地獄と呼ぶにふさわしい、『アル=カラハド砂漠』の入り口だった。

小説にあった『肌を刺すように冷たい砂嵐』など、どこにも吹いていない。大気は茹だり、陽光は物理的な重さを持って肌を焼いた。


「フム。環境データ、小説の記述と著しく矛盾。だが、検証はこれからだ」


彼女は、小説に『英雄の故郷』として記されていた、砂漠の端の小さな村落へと向かった。

村は、日干しレンガの低い家々が寄り添う、貧しいが穏やかな場所だった。

エラーラは、唯一の日陰を提供している集会場で、村の長老らしき男に面会した。


「私は王都の論理解析士だ。シルヴァヌス・レクス氏の著書、『太陽を掴んだ男』について調査している」


エラーラがその本を見せると、長老は深いシワの刻まれた目で、それを奇妙なもののように眺めた。


「…シルヴァヌス? 知らない名だ。アル=カラハド…ああ、それは我らが古い言葉で『太陽を喰らう大蛇』を指す、砂嵐の呼び名だ。場所ではない」


「何だと? では、この本に書かれている、この村に伝わる『太陽を呑む者の民話』とは?」


「民話? フン。そんなものは無い。我らに伝わるのは、砂漠を敬い、静かに生きるという『理』だけだ。第一…」


長老は、本の装飾的な表紙を、節くれだった指で叩いた。


「我々は、文字を持たん」


エラーラの思考が、一瞬停止した。


「…文字を、持たない?」


「我らは『砂の民』。我らの歴史は、歌と記憶によってのみ受け継がれる。そもそも、この『本』というものに、我らの真実が書かれていることなど、あり得ない」


エラーラは立ち上がった。


「…フム。なるほど。データは揃った。感謝する」


決定的な証拠だった。

小説の舞台とされる場所は、名前の誤用。

小説の根幹とされる『民話』は、存在しない。

そして何より、その民話を記録したとされる『古代文字』自体が、この地には存在しなかった。

小説は、根も葉もない、完全な『嘘』。

エラーラは、この非合理な虚像を構築した男への、冷たい怒りにも似た好奇心を覚えながら、王都へと戻った。

彼女が王都のターミナルに降り立った時、街の空気は、彼女が出発した時とは一変していた。

熱狂が、冷めている。

いや、別の種類の、冷たい興奮に置き換わっていた。

街の全ての巨大スクリーンが、あのアナウンサーの切迫した顔を映していた。


『…衝撃の事実が判明しました! シルヴァヌス・レクス氏の経歴は、その全てが、完全な『捏造』であったことが発覚したのです!』


「何だと?」


エラーラの足が止まる。


(私の解析結果が、既にリークされた? いや、タイミングが早すぎる)


スクリーンは、エラーラの掴んだ証拠など、霞んでしまうほどの『真実』を叩きつけていた。


『シルヴァヌス・レクス氏は、貧民街の生まれではありません! 彼は、王都有数の金融財閥、『ノースウィンド・コンツェルン』の御曹司であることが判明しました!』


どよめく街の雑踏。


『さらに! 彼の小説の舞台となった『アル=カラハド砂漠』ですが、彼は生涯、砂漠どころか王都の南へ出たことすらなかったのです! 彼の故郷は、北の最も寒い辺境、『白の寒村』でした!』


エラーラは、スクリーンを凝視していた。


(貧民ではなく、富豪。灼熱の砂漠ではなく、雪の寒村。これは…)


『そして、極めつけは、彼の象徴であった『蒼珠名誉勲章』です! これもまた、完全な偽物でした!』


『十年前、彼は魔導車両による重大な死亡事故を起こしており、その事実を、財閥の力と金で揉み消していたのです!』


エラーラの脳が、高速で回転する。


(名誉ではなく、重犯罪。…これは、単なる『嘘』ではない。全てのデータが、真実と『あべこべ』だ。まるで、現実を反転させたかのような、完璧な『創作』)


そして、アナウンサーが、信じられない、という表情で、最後の決定打を読み上げた。


『さらに、我々の取材で、最も非現実的な事実が判明しました。シルヴァヌス・レクス氏は…文字の認識が、一切できなかったというのです』


『……すなわち、彼は、文盲でした』


雑踏が、完全に静まり返った。

エラーラの思考も、コンマ数秒、停止した。


(文盲…だと?)


あり得ない。

論理が、破綻している。

小説の内容が嘘であることは、エラーラも突き止めた。

だが、『文盲』の人間が、どうやって『作家』を名乗る?

どうやって、あの文章を書いた?

いや、それ以前に、王都を熱狂させた、あの『現象』の起点が、文字すら読めない人間だった?


「フハハ…! フハハハハ!」


恐怖でも、怒りでもない。

純粋な、最高の『謎』に直面した、科学者の歓喜だった。


(これは、単なる詐欺事件ではない。これは、論理の根幹を揺るがす『パラドックス』だ!)


(私の好奇心が、沸騰する!)


エラーラは、いてもたってもいられず、その場から駆け出していた。

スクリーンに映し出された、レクス氏の『本当の』邸宅、ノースウィンド財閥の別邸へと、全速力で向かった。

この目で、この非合理な存在の『実物』を解析しなければ、気が狂いそうだった。

邸宅は、王都の北、雪の寒村を、皮肉にも模した、静かな高級住宅街にあった。

だが、エラーラが辿り着いた時、そこは静まり返っていた。

あれほどのスキャンダルにもかかわらず、マスコミの一台もいない。

重い鉄の門には、鍵もかかっていなかった。


「…逃げた後か」


エラーラは、警戒しながら屋敷に足を踏み入れた。

埃っぽい。人が長い間、住んでいた形跡がない。

家具には、全て白い布がかけられている。


(メディアが報じた『邸宅』すら、嘘?)


エラーラは、二階の書斎と呼ばれるべき部屋のドアを開けた。

そこだけが、奇妙な生活感を残していた。

壁一面の本棚には、分厚い本が、それこそ『太陽を掴んだ男』と同じ装丁の本が、何百冊も並んでいた。

だが、その全てが、新品同然だった。開かれた形跡がない。

そして、部屋の中央、豪華なマホガニーのデスクの上に、一冊だけ、本が置かれていた。

あの、金の箔押しの、革表紙の本が。

エラーラは、デスクに近づいた。

だが、そこに作家はいなかった。

椅子は引かれたままだ。まるで、ついさっきまで誰かが座っていて、そして、ふっ、と消えてしまったかのように。

埃の上には、足跡一つ残っていない。


(…非合理だ)


エラーラは、デスクの上の本に手を伸ばした。


(何かがおかしい。この部屋の空気の密度が、異常だ。まるで、この部屋そのものが、現実から遊離している)


彼女は、本を開いた。

そのページは、白紙だった。

一枚めくっても、白紙。

次も、白紙。

最後のページまで、インクの染み一つない、完璧な『白紙の本』だった。

エラーラは、その本を持ったまま、呆然と立ち尽くした。

彼女の脳が、ついに結論を導き出した。


(…作家など、最初からいなかった……?)


シルヴァヌス・レクスという『存在』そのものが、この王都の集団的な『願望』が生み出した、怪異だったのだ。

『貧民から英雄へ』という、非合理で陳腐な物語を、人々が求めすぎた。

その『願望』が、この空っぽの屋敷に、『シルヴァヌス・レクス』という名の虚像を一時的に顕現させた。

そして、『文盲だった』という最後の『あべこべ』の真実が暴かれた瞬間、その存在矛盾に耐えきれなくなった『怪異』は、泡のように消滅した。

人々が熱狂した『本』は、元から白紙だった。

人々は、白紙のページに、自分たちの見たい『物語』を、勝手に映し出して読んでいたに過ぎない。

エラーラは、その空っぽの建屋を、ゆっくりと後にした。

冷たい秋の風が、彼女の白衣を揺らした。


彼女は、自分が何を追い求めていたのか、忘れていた。


詐欺の証拠か?

社会の病理か?

それとも、文盲の作家というパラドックスの解か?

その全てが、意味を失った。


全てが『無』だったのだから。


エラーラは、王都の雑踏の中に立ち止まる。

彼女の手には、一冊の、重い『白紙の本』が握られていた。

彼女は、その真っ白なページを、ただ、見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。