第36話:詐欺師!
私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。
その日、私の研究室の静寂は、またしても、王都警備隊のカレル警部と名乗る、実に非効率な男によって破られた。彼は、疲労と焦燥を顔に滲ませ、私のデスクに一枚の写真を叩きつけた。
「博士、頼む!これを見てくれ!王都を揺るがす大詐欺事件なんだ!」
「人間の金銭トラブルなど、宇宙の塵にも劣る些事だ。私の貴重な研究時間を、君たちの非効率なゴシップで浪費させるのはやめてもらえんか」
私が、心底うんざりして追い返そうとすると、警部は食い下がった。
「ただの贋作じゃない!古代王家の秘宝だって触れ込みで、男爵が全財産をはたいて買った魔導具なんだが…専門家も舌を巻くほどの、完璧な偽物だったんだ!だが、売買に関わった連中には、物的証拠が一切ない!」
贋作、ねぇ。私は、渋々写真に目を落とす。そこに写っていたのは、複雑な幾何学模様が刻まれた、古びた魔導コンパス。だが、その瞬間、私の手が止まった。
(この魔力パターンの再現度…!私の最新理論を応用しなければ、ここまでの精度は出せないはず…)
「面白い!実に面白いじゃないか!この贋作、私が直々に観測してやろう」
私は、この贋作の「真贋鑑定」に関わったという、新進気鋭の鑑定家ヴィクトルの元を訪れた。彼は、私の突然の来訪を、慇懃無礼な笑みで歓迎した。
「これはこれは、エラーラ博士。このような場末の鑑定室に、ご高名な貴女が何の御用ですかな?」
その瞳の奥には、明らかな侮蔑と、自らの知性への絶対的な自信が宿っている。なるほど、実に分かりやすいサンプルだ。
私は、単刀直入に切り出した。
「ヴィクトル君。君が鑑定したという、魔導コンパス。実に興味深いデータを示している。私の仮説では、あの贋作は、私の未発表理論を悪用して作られたものだ。心当たりは?」
ヴィクトルの眉が、ぴくりと動いたが、表情は崩さない。
「おやおや、博士。それは濡れ衣というものです。あのコンパスは、私が鑑定した時点で、完璧な『本物』でしたよ。ええ、間違いなく」
物的証拠はない。ならば、彼の傲慢さと顕示欲を利用するまでだ。私は、わざと、少し残念そうな顔を作ってみせた。
「ふむ…君ほどの鑑定家が、見抜けなかったとはねぇ。まあ、仕方ない。実に巧妙な贋作ではあったからな」
私は、コンパスの写真をつまらなそうに眺めながら、続ける。
「なるほど、この魔力安定化の術式…おそらくは、第三王朝期の亜流技法を応用したものだろうねぇ。実に凡庸だ。だが、巧妙に偽装されている」
ヴィクトルの口元が、侮蔑を隠しきれずに歪んだ。
私は、とどめを刺すことにした。自信満々に、しかし、わざと的外れな結論を断言する。
「しかし、所詮は贋作。詰めが甘い。この贋作の最大の欠陥は、古代魔力の再現度が98%止まりなことだ。完璧には程遠い。実に、惜しい仕事だねぇ」
その瞬間、ヴィクトルの、完璧に計算されたポーカーフェイスが、粉々に砕け散った。彼は、我慢できなかったのだ。自らの「完璧な芸術」が、この無理解な女に、不当に貶められることが。
彼は、堰を切ったように、嘲笑と共に、自らの知識をひけらかし始めた。
「博士、貴女ほどの大学者でも、その程度の鑑定眼でしたか。実に、残念ですな!」
「98%?とんでもない!この贋作の魔力再現度は、限りなく100%に近い、99.997%ですぞ!それを可能にしたのは、古代魔術に、貴女も知らないであろう、最新の『概念触媒理論』を応用したからです!いやはや、この私でなければ、到底成し得なかった、まさに芸術的な犯行…あっ!」
ヴィクトルは、自らの失言に気づき、顔面蒼白になった。「概念触媒理論」は、私がまさに今研究中で、世界でまだ私しか知らないはずの、最新の理論。それを知っていて、かつ、贋作に応用できる人物は、この世に一人しかいない。
私は、彼の自慢という名の自白を、冷静に記録しながら、宣告した。
「君のその饒舌な自慢が、何より雄弁な『自白』となったわけだ。君の性格の悪さが、君の完璧な犯罪を台無しにした。実に、美しいバグだねぇ」
ヴィクトルは、その場で崩れ落ち、駆けつけたカレル警部に、抵抗なく逮捕された。物的証拠は最後まで出なかったが、彼の完璧な自白が、何よりの証拠となった。
警部が、私の常軌を逸した尋問術に、呆然としながらも感謝を述べようとする。
だが、私は、事件が解決したことなどどうでもよさそうに、研究日誌に書き込んでいた。
「結論。被検体の過剰な自己顕示欲は、外部からの適切な刺激によって、容易に情報漏洩を引き起こす。人間の『性格』という非論理的要素が、いかにシステム全体の脆弱性に繋がりうるか。実に興味深いデータだった」
私は、次の興味深い「現象」を求め、感謝を述べようとする警部たちには一瞥もくれず、静かにその場を立ち去るのだった。




