第3話RE:救援隊を惨殺した令嬢!
私は、ゆっくりと立ち上がった。
(お前たちの死を、無駄にはしない)
その言葉は、本心なのか。
あるいは、自分を動かすための呪文なのか。
私には、もう、分からなかった。
山頂付近。
そこは、ヌル・フィールドの震源地。
空気が澄み切り、魔力の気配が完全にゼロの世界だった。
私は、最後の力を振り絞り、信号が示す氷の洞窟へとたどり着いた。
「フム、これかね?」
洞窟の入り口には、先行隊のものらしき、凍りついたテントの残骸と、風化した装備が散乱していた。
そして、その奥。
何人もの凍死体が、折り重なっていた。
さらに奥へと進む。
その時、私の「眼」が、ありえないものを捉えた!
魔力がゼロの、この空間で、明らかに「魔力」によって維持されている、異常な空間の歪み!
洞窟の最奥!
そこには、この世の物とは思えない……白銀に輝く、滑らかなドーム型の「魔導テント」が、静かに鎮座していた……!
外の地獄とは無関係に、それは、暖かな空気を周囲に撒き散らしていた!
中に、彼女はいた。
令嬢、ミラ。
彼女は、ふかふかとした毛皮の寝袋にくるまり、湯気の立つスープを飲みながら、優雅に寛いでいた。
枕元には、「観測ロガー」が、無造作に転がっている。
「…あら?」
ミラが、スープのカップを置き、私を見上げた。
その瞳には、何の感情も浮かんでいない。
「どちら様ですの?人のテントを勝手に開けるなんて、無作法ですわ」
その瞬間、それまで静かだった山の天候が、再び牙を剥いた。
凄まじいブリザードが、洞窟の入り口から吹き込んでくる。
私は、テントの中へと一歩踏み出した。
「救助隊だ。吹雪が止むまで、中に入れたまえ」
「嫌ですわ」
ミラは即答した。
「汚いから。第一あなたは誰ですの?……ああ……見るからに、下賤の民の匂いがしますわね。私は伯爵の娘ですわ。ですから、私の自由を侵害する権利は、あなたにはありません」
「私は、君の父であるヴァルトハイム伯爵の依頼で来た救助隊だ。だから……」
「ああ……」
ミラは、心の底から面倒くさそうに頷いた。
「あの役立たずたちのお友達ですの?……まあ、よろしいでしょう。入りたければ、どうぞ。ただし」
彼女は、テントの入り口を指差した。
「そこの隅で、私に触れず、私と同じ空気を吸わないように、息を潜めていなさいな」
私は、その指示された「隅」に、崩れ落ちるように座り込んだ。
テントの中は、異常なほど快適だった。
外の地獄が、まるで嘘のように、暖かく、静かだった。
「まったく、父も心配性ですわ。この『魔道テント』さえあれば魔力も熱も食事も完璧なのに。わざわざ役立たずを寄越すなんて」
「まて!『魔道』だと!……妙だねえ。なぜ、ヌル・フィールドで機能するんだい?」
「あら、ご存じないの?」
ミラは、私を笑った。
「これは、ヌル・フィールドに発生している『魔力停止』という逆位相のエネルギーを更に反転させて動く、魔導規制局の試作品ですのよ!」
「なるほど。……それで?」
ミラは、私を、まるで召使いのように見下ろした。
「それでって……。あなた、命令されないと何もできない、本物の役立たずなのですね?では、私のためにお茶でも淹れてちょうだい。茶葉がなかったら、今から街へ行って買ってらっしゃいな」
「…………」
私は、動かなかった。
「無視ですの?……お父様に言いつけますわよ?」
ミラは、不快そうに眉をひそめた。
「外にいる役立たずたち。彼らは怖い獣が来るとか言って、私をこのテントに押し込んで、自分たちだけ逃げ出したのよ。本当に、本当に、役立たずばかり」
「…………」
「あなたも、どうせ、同じように仲間を見捨てて、自分さえ良ければと、仲間を見捨てて生き残ってきたのでしょう?」
ミラは、残酷なほど無邪気に、確信を持って言った。
「汚らわしい。卑怯者。そんな人間、いっそ、死んじゃえばいいのよ」
パァン!
乾いた音が、快適なテントの中に響き渡った。
私の鉄拳が、ミラの頬を打ち抜いていた。
「……え?」
少女は、何が起きたか分からず、その場に崩れ落ちた。
スープがこぼれ、高価な毛皮を汚す。
「フフフ……。君は今、『死ね』と言ったようだが……間違いないかね?……先行隊は、逃げたのではないよ。君をこのテントに避難させて、自分たちは『囮』になるために外に出て、君を守るために、あの洞窟の入り口で、必死で、獣の群れと戦い抜いて、そうして凍死したんだ。……わからないのかい?」
「はああああ?あのガイドたちは、自分でその仕事をしたくてしたのでしょう?自己責任ですわ!」
「フム?…………やかましいんだよッ!!!!」
私の声が、激昂で震える。
「君を助けるために私の来たあの3人の女たちも!あの女たちが、どれだけ必死に戦い、そして、どれだけ惨たらしく……獣に食われたか!」
私はミラの胸ぐらを掴み、無理やり引き起こした。
「君は何も知らないで!何も感じないで!高台に座り込んで……そうしてスープを飲んでいた!なんだ君は!なんなんだよ君は!」
「は、離して……!」
「『死ね』だと?ならばともに死のうじゃないか!消滅魔法を、今ここで喰らわせてしまうぞ!」
ミラは頬を押さえ、生まれて初めての痛みと恐怖……ではなく、なんと、激しい憎悪に顔を歪めた!
「よくも叩いたわね!この下賤の民!あのガイドたちが死んだ?当たり前ですわ!それが奴らの『仕事』でしょう!あの女たちが獣に食われた?それは奴らが『弱かった』からですわ!下賤の民は、自分たちの都合の悪いことを、すぐ、上流階級の責任と言う!あなた方には責任感というものがないのですか?何故、守ってもらって当然という態度しか取れないのですか?そんな破廉恥な生物は、死んで当然ですわ!むしろ、私を守る盾として食い殺されたのですから、光栄に思うべきですわ!恥を知りなさい!!!!」
「…………?」
私は言葉を失った。
会話が成立しない。
救いがない。
このサンプルは、修復不可能なレベルで、致命的に「壊れている」。
ミラは、憎悪の瞳で私を睨みつけた!
「あなたも同じ!私を助けに来たですって?何を……!?……いったいなんてことを言うのですか!あなたたちは、私たち『貴族』の金が欲しいだけの、ただの……汚い『悪人』じゃないの!出てけ!私の『聖域』から出ていけ!出ていけ!!!!…… そうして、獣に食われて死ねばいい!私は……あなた方のような卑劣で卑怯な蛮族が……のうのうと、この、美しい王都に生きていること自体が……悲しいッ!!!!」
ミラは、大粒の涙をその目に浮かべ、心の底から私を憐み、泣き出した!
私は、掴んでいた手を、ゆっくりと離した。
激昂は、急速に冷却していく。
残ったのは、ブリザードよりも冷たい……虚無だった。
「……なるほど?それならもういい!了解した!すまなかったね!………………!……」
吹雪は、丸一日続いた。
一言も、交わさなかった。
やがて、風が止む。
ミラは、何事もなかったかのように、手際よく『聖域テント』を畳み、小さなカプセルに収納した。
「行きますわよ、下賤の者。私を父の元へ送り届けなさい。それがあなたの『仕事』でしょう?」
「フム!そうだね!」
私は立ち上がった。
下山は、順調だった。
我々は、互いの憎悪とは無関係に、生存のためだけに、その知性を機能させた。
「さあさあ!そこは雪崩の危険地帯だ!左に避けたまえ!」
私が斜面を指差す。
「ええ。分かってますわ。私の計算でも、そこの傾斜角は危険ですもの」
迫り来る雪崩の危険地帯を避け、崩落する氷橋を回避し、そして生還した。
ヴァルトハイム伯爵が、娘のミラを抱きしめる。
「おお、ミラ!私の天使よ!無事だったか!」
「ええ。ですが、この下賤の者が……」
その時、町の住民たちが、もう一人の生還者である私を取り囲んだ。
「エラーラさん!あの3人は!?」
「あの屈強なブリギッタさんたちは、一体!?」
(…真実を、説明するか?あの女たちが、令嬢レティシアを巡って狂っていたと?そして、醜く殺し合い、雪崩に巻き込まれ、獣に食われたと?)
私は集まった人々を見回し、いつもの調子で、平坦に言った。
「フム……任務『は』完了した。3人は、最期まで立派に戦い抜いた」
嘘は言っていない。
私の言葉を聞き、人々は察した。
「そうか。あの3人はミラ様を庇って……」
「なんと立派な最期だ!」
「フロストガルドの英雄だ!」
私は、彼女たちの勝手な解釈を……訂正しなかった。
私は「英雄」たちの名誉を守った。
観測ロガーのデータは、ミラが退屈しのぎに上書きした、意味不明な愚痴と、彼女の写真で汚染されていたが、そんなことはもはや、どうでもよかった。
「フフフ……!この町のコーヒーは、味がしないね……」
私は、この救いのない町を、一刻も早く立ち去る準備を始めた。




