呪いの手紙はいかがですか!
その日の朝、ヴェリタス探偵事務所の扉の下から、一枚の羊皮紙が滑り込まれていた。
差出人不明。
実に不気味な筆跡で、凡庸な詩が綴られている。
『影は影を呼び、二つの枝に分かれる…』
文末には、ご丁寧にルールまで記されていた。
『この手紙を受け取った者は、24時間以内に、全く同じ文面の手紙を、新たに二人へ、差出人を書かずに送らなければならない』
「自己増殖する情報ミーム。つまり、スパムメール……呪いの手紙か。実に単純な拡散システムじゃないか」
私は、この「システム」が人間の心理にどう作用するかという、実に面白い社会実験を開始することにした。
観測サンプルとして、私は、全く対照的な二人を選んだ。
一人は、非科学的なものを好まない、石頭のカレル・オータム警部。
もう一人は、最近近所に遊びに来る、快活な画家の狐獣人、リウ・ヴァンクロフト。
「さあ、観測対象君たち。最高のデータを提供したまえよ」
私は、完璧な複製を二通作成し、ほくそ笑みながら、匿名で彼らに送りつけた。
私の実験は、当初、実に興味深いデータを提供してくれた。
石頭のカレル警部は予測に反し、この手紙を「悪質な悪戯」と断定。
探偵気取りで、インクの成分分析や街中の聞き込みといった、滑稽なほどに真剣な「捜査」を開始した。
一方のリウ君は、予測通り、面白がりながら、すぐに誰かへ手紙を転送した。
だが、彼女の噂好きの性格が、事態を加速させた。
「あの手紙は本物ですわ!送らなかった人は、必ず影に飲まれますわよーっ!」
……などという、実に独創的な尾鰭をつけて。
街は、一夜にしてパニックに陥った。
数日後。
私が街の様子を観測しに出かけると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
道という道が、おびただしい数の同じ手紙で埋め尽くされているのだ。
まるで、灰色の雪が降ったかのように、羊皮紙が路上に降り積もり、人々はそれをガサガサと踏み分けながら歩いていた。
広場の噴水は手紙で完全に詰まり、水ではなく、インクの滲んだ羊皮紙を虚しく噴き上げていた。
郵便配達員は、街角で白目を剥いて倒れている。
「フム……指数関数的な増殖の、美しい可視化だねぇ!」
観測を終えて探偵事務所に戻ると、扉が異様に重い。
鍵を開けた、次の瞬間!
凄まじい勢いで、雪崩のように、おびただしい数の「呪いの手紙」が私めがけて殺到してきた!
「わ!……うわーっ!」
部屋は、足の踏み場もなかった。
私の貴重な研究資料も、精密な観測機材も、全てが、同じ文面が書かれた羊皮紙の海に埋もれている。
どうやら……回り回って、何百通もの手紙が、私自身に送りつけられてきたらしい。
「私の探偵事務所が、紙屑の山に埋もれるとは!許さんぞ!」
自分の研究の邪魔をされたことで、私の興味は「観測」から「駆除」へと切り替わった。
「……後始末の時間と行こうじゃないか!」
私は、この呪いのシステムの、根本的な欠陥を突くことにした。
「この呪いは、『受け取った者』が『二人』に送ることで拡散する。ならば、街中に存在する全ての手紙の宛先を、たった一つの標的……すなわち、この呪いの『発信源』に書き換えてやれば、どうなるかねぇ?」
私は、自らが受け取った最初の手紙を魔術的に解析し、その微弱な魔力の痕跡を辿った。
そして、この呪いの発信源が、街の片隅の廃墟に巣食う、「詩人の亡霊」の仕業であったことを突き止めた。
「やあやあ、三流詩人君。君の詩は独創性がなく退屈だ。だが、その拡散システムだけは、実に興味深かったよ」
私は、姿を現した亡霊を嘲笑うと、街全体を覆う、巨大な「宛先変更」の魔術を発動させた!
呪いの手紙が持つ魔術的署名を感知すると、その宛先を、強制的に、「詩人の亡霊」がいる霊的座標へと書き換えるのだ。
その瞬間、街の至る所で、奇妙な光景が繰り広げられた。
カレルが、リウが、街中の人々が。誰もが呪いの手紙に宛先を書こうとすると……無意識のうちに、ペンが「詩人の亡霊様」と書き殴ってしまうのだ!
そして、その数千、数万という呪いの手紙が、一斉に、亡霊自身へと殺到した!
『影は影を呼び…』
『影は影を呼び…』
『影は影を呼び…』
『影は影を呼び…』
亡霊は、自らが作り出したルールに囚われた。
受け取った数万通の手紙に対し、その倍の数を、24時間以内に送らなければならない。
無限のタスクに亡霊の精神は耐えきれず、システムは過負荷を起こす。
彼は、自らが書いた詩の断片を絶叫しながら、呪いの奔流に飲まれ、やがて……消滅した。
街に平和が戻った。
人々は、「何か不吉な手紙が流行っていた」という、曖昧な記憶だけを残し、日常に戻っていった。
私は、自室に山積みになった手紙を、火炎魔術で灰に変え、後片付けを終えた。
研究日誌を取り出した私は、満足げにペンを走らせた。
「結論。自己増殖する怪異は、全ての出力を発生源へと還流させることで、過負荷により自壊させることが可能である。なるほど、実に美しい解決策だったじゃないか」
私は、自己が引き起こした大騒動を、自己が完璧な理論で解決したことに、満足げな笑みを浮かべるのだった。




