確定した予言を変える方法!
「…退屈だねぇ」
ここ数日滞在している街の、公園のベンチで、私は研究日誌を閉じた。
この街は、平和すぎる。
何の面白いバグも、観測対象も見当たらない。
人々は、予測可能な範囲で、実に凡庸な日々を送っている。
「あの……お姉さん」
不意に、背後からか細い声がした。
振り返ると、銀色の髪と、透き通るような青い瞳をもつ少年が、おずおずと立っていた。
「その……難しい顔をして、何か書いているけど、何をしているの?」
「フフフ……私はね、この世界の怪異を……『バグ』を、探しているのさ!」
私の答えに、少年は怯えるどころか、目をキラキラと輝かせた。
「バグ?……すごい!僕、ミーシャって言います!お姉さんは?」
「エラーラだ。しがない学者だよ」
ミーシャと名乗った少年は、それから毎日、私の元へやってくるようになった。
彼は、私が退屈しのぎに見せる、コインを宙に浮かせるといった初歩の魔術に歓声を上げ、私が語る難解な数式や世界の法則の話を、目を輝かせて聞いた。
彼にとって私は、この退屈な街に現れた、最高にクールな魔法使いに見えたのだろう。
私にとっても、彼のその反応は、悪くない観測データだった。
「エラーラさん、すごいなぁ。何でも知っているんだね」
「ハーッハッハ!当然じゃあないか!私は、君とは脳の処理能力が違うのだよぉ!」
「えへへ。あっ……じゃあ、これを見たら、エラーラさんは驚くかな?」
そう言ってミーシャが得意げに取り出したのは……一冊の古びた日記帳だった。
「僕の宝物なんだ!ここに書いたことは、全部、本当になるんだよ!」
彼は、日記の一ページを、誇らしげに私に見せた。そこには、子供らしい拙い文字で、こう書かれていた。
『明日は、おやつにイチゴのタルトが食べたいな』
「昨日ね、これを書いたら、今日、母さんが本当に作ってくれたんだ!」
私は、そのあまりの純粋さに、思わず笑みをこぼした。
「なかなか可愛いじゃないか、少年。自己暗示による無意識の誘導、あるいは、単なる偶然というやつだねぇ。まあ、君が楽しいなら、それでいいんじゃないか」
私は、その子供らしい空想を、全く相手にしなかった。
だが、その翌日……。
「エラーラさん!見て!青い鳥が肩に止まりますように……って書いたら、本当に来たよ!」
ミーシャの肩で、美しい青い鳥が、確かにさえずっていた。
その次の日も。
「パン屋のおじさんが、おまけをくれますように、って書いたら……ほら見て!コロネを二つもくれたんだ!」
ミーシャが、嬉しそうにパンを掲げて見せる。
私の眉が、ぴくりと動いた。
(この日記……おそらくは、本物の『怪異』だねぇ)
その日。
私は、公園でミーシャと彼の親友が、喧嘩するのを目撃した。親友の名はティモ。流行りのカードゲームのことで、言い争いになっているようだった。
もみ合いになった弾みで、ミーシャが大切にしていたカードが、破けてしまった。
ミーシャの青い瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
ティモは、しまったという顔で、走り去ってしまった。
ミーシャは、破れたカードを手に、いつまでも泣いていた。
その夜だった。
泣き腫らした顔で、ミーシャが私が滞在している宿舎に駆け込んできた。
「エラーラさん……僕、とんでもないことをしちゃった!」
彼は震える手で、日記帳を開いて見せた。
そこには、涙で滲んだインクで、こう書きなぐられていた。
『ティモなんて大嫌いだ!明日の朝、階段で滑って、壊れちゃえばいいんだ!』
「僕、こんなことを……でも、本当にちょっとだけ、そう思っただけで……」
彼の言葉の途中で、遠くから、魔導救急車のけたたましいサイレンが聞こえてきた。
やがて、街の噂好きが、血相を変えて宿屋に飛び込んできた。
「大変だ!ティモ坊が階段から落ちて、骨をめちゃくちゃに折ったらしい!意識もねえって話だ!」
ミーシャの顔から、完全に、血の気が引いた。
「僕のせいだ……僕が、ティモを……!」
彼はその場に崩れ落ち、泣きじゃくった。
私はミーシャから日記を受け取り、その魔力を解析した。
「フム……なるほど……」
私は、震えるミーシャの頭に、ぽんと手を置いた。
「泣くんじゃあないぞ、少年。君の引き起こしたバグは、この私が特別に、修正してやろう!」
私は、日記の法則を即座に見抜いた。
日記は、書かれた「言葉」だけではなく、その裏にある書き手の「感情」までもを現実化させる、意志の増幅器だった。
ミーシャの言葉は、その瞬間の強い「憎しみ」の感情によって上書きされ、最悪の結果を招いたのだ。
過去は覆せない。
だが、この日記の法則を逆用すれば、書き換えられた現実を、上書きすることは可能かもしれない。
私は、ペンを手に取ると、ミーシャが呪いの言葉を書いた、まさにそのページに、新しい文章を書き加えた。
それは、この日記の法則を論破する、自己言及のパラドックス。
私が書き加えたのは、ただ、一文。
「なお、この日記に書かれた願いは、すべて嘘である」
その瞬間、日記が、まるで悲鳴を上げるかのように、淡い光を放った。
書かれたという「事実」は消せないが、内容は、今までも、これからも、「嘘」である……という自己言及。
すると。
宿屋の扉が勢いよく開き、ティモの母親が、泣き笑いの表情で飛び込んできた。
「ミーシャ君!聞いて!ティモの意識が戻って……!それに、あれだけ酷かった骨折が、ただの軽い打撲になってたの!奇跡だわ……!」
「……本当!?」
ミーシャは、私を振り返り、そして、また泣きながら、何度も「ありがとう」と繰り返した。
私は、ただの古いノートになったその日記帳を、興味なさそうに眺めていた。
「結論。因果を書き換える怪異は、自己言及のパラドックスを記述することで、その事象を無効化できる。……まあ、怪我がかすり傷で、良かったじゃないか」
私は、安堵するミーシャの頭を、やれやれと撫でると、もうすっかり興味を失った様子で、次の面白い「現象」を探しに、どこかへと歩きだすのだった。




