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壊れた世界のやりなおし方  作者: 王牌リウ
第2章:白衣の騎士エラーラ篇
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第13話:古城を叩け!(スペクタクル)

私が奪取した小型飛行艇は、黒煙を吹きながら、名もなき大陸の広大な砂漠地帯に不時着した。いや、正確には、私が魔力制御装置を破壊して、意図的に不時着させたのだ。

レイヴンの亡骸――その身体は、もはや人間と、植物と、獣と、機械が冒涜的に融合した、哀れなキメラのオブジェと化していた――は、衝撃で機外へと放り出され、熱い砂の中に静かに埋葬された。


「さて、と」


私は、白衣についた砂埃を払い、この新たな実験場を見渡した。地平線の彼方まで続く、砂と、風と、乾いた岩。生命活動の痕跡は極めて希薄だ。だが、この不毛の地にも、人間という名の厄介なバグは、しぶとく生息しているらしかった。


私は、数日間歩き続け、やがて「沈泥の共和国」と呼ばれる、寂れたオアシスの集落にたどり着いた。そこは、かつては鉱山で栄えたが、今は資源を掘り尽くされ、忘れ去られた人々が、ただ、生きるためだけに生きている、灰色の場所だった。


集落の民は、私を、警戒と侮蔑が混じった目で見た。


「お嬢ちゃん、ここにゃあ、アンタみてえな綺麗なお方がいる場所じゃあ、ねえよ」


集落の長らしき、日に焼けた男が、私に吐き捨てるように言った。


私は、彼らから提供されたガラクタ同然の部品を使い、三日三晩かけて、長距離通信機を組み上げた。集落の子供たちが、興味津々で私の周りをうろついている。


「ねえ、お姉ちゃん!それ、何作ってるの?キラキラしてて、おもちゃみたい!」


一人の、そばかすだらけの少女が、私に話しかけてきた。


「これは因果性通信機だ、小娘君。時空連続体に指向性の量子トンネルを穿ち、情報の超光速伝達を可能にする…」


私の説明に、少女は目を輝かせた。


私は、通信機の最後の回路を接続し、スイッチを入れた。

ノイズの奔流の向こうに、二つの、懐かしい顔が浮かび上がった。


『―――エラーラ君!?』


画面の向こうで、ケンジが、信じられないという顔で叫んでいる。その後ろでは、アリアが、驚愕に目を見開いていた。


「やあ、モルモット君2号、3号。君たちの生存は確認していたが、実際に映像として観測するのは久しぶりだねぇ。感傷的な再会は不要だ。私は今、極めて重要なデータの解析中に、君たちという名の外部記憶装置にアクセスしているに過ぎない」


私の、あまりにもいつも通りの挨拶に、ケンジは呆れ、そして、心の底から安堵したような、実に非合理的な表情を浮かべた。


『…はは、変わらないな君は、本当に…。君は無事だったのか。あの後、一体何が…』


私は、ケンジに、これまでの経緯を説明した。

そして、アイテールガルドから持ち出した「銀の蝗害」のサンプルを、彼の前に差し出した。

だが、そのサンプルを見た瞬間、ケンジの顔から、全ての血の気が引いた。

彼は、まるで亡霊でも見るかのように、その銀色に輝く粒子を、震える指で指し示した。


「これは、キメラ兵器…これは…僕が、あのサルースの街で、使わされた…あの兵器の…『始祖だ…」


ケンジの告白は、衝撃的だった。 彼が、あの救いのない悲劇の中で、自らの善意を踏みにじられながら、強制的に使わされたという、人々を怪物へと変える呪われた兵器。

その根源的なプログラムコードが、この「銀の蝗害」と、完全に一致したのだ。

彼は、一つの戦闘の記録映像を、私に転送してきた。そこには、一人の屈強な獣人兵が、緑色の光弾に撃たれた後、その身体を痙攣させ、身体中から、蛇や、犬や、馬の体の一部が生え飛び出し、もがき苦しみながら、仲間だったはずの兵士たちに牙を剥く様が、克明に記録されていた。

私は、その映像を、食い入るように見つめていた。

私は、映像を拡大して閲覧した。

キメラ・ライフルの薬莢の底に、極めて小さく、しかし、見覚えのある刻印が、刻まれていた。

それは、二匹の蛇が、フラスコに絡みつく、古い紋様。


『これは、ヴェリタス家の紋章じゃないのか…?』


私の思考が、凍り付いた。


『…ありえん。私の家名は、私一代で途絶えたはずだ。私は、あの非合理的な家族というシステムを、とうの昔に、この手で葬り去った…!』


『エラーラ君、どうしたんだ!?顔色が…!』


ケンジの、心配そうな声が、遠くに聞こえる。


『…見つけた。この世界の、最も根源的で、最も醜悪なバグの正体を…』


私は、立ち上がった。その瞳には、もはや科学者としての好奇心はない。ただ、自らの過去を、そして、自らが乗り越えるべき唯一の論理的矛盾を、完全に破壊しようとする、決意の光だけが宿っていた。



砂塵の国「沈泥の共和国」を後にしてから、数日が経過した。

私の脳内では、ケンジとアリアから受信した「キメラ兵器」に関するデータが、不愉快なノイズとなって反響し続けていた。

ヴェリタス家の紋章。そして、死んだはずの父親の影。私の完璧なはずの論理体系に、過去という名の、最も厄介なバグが侵食を始めていた。

私は、全ての元凶を、この手で完全にデバッグする必要性を感じていた。


目的地は、ただ一つ。私が生まれ、そして、自らの手で葬り去ったはずの故郷――クライン王国。

私が「追放」という名の、長期フィールドワークに出てから、実に数年ぶりの帰郷だった。

王国の上空に飛行艇が到達した時、私はその変貌ぶりに、興味深いという感情を通り越して、純粋な戦慄を覚えた。


街は、死んでいた。

かつて、私が非効率的だと唾棄した、猥雑な市場も、無駄に装飾された貴族の屋敷も、全てが消え失せていた。そこに広がっていたのは、寸分の狂いもなく区画整理された、どこまでも続く、灰色の建造物の群れだった。道を行き交う人々の服装は、全てが機能性だけを追求した、灰色の統制服。彼らの表情からは、喜怒哀楽という非合理的なノイズが完全に除去され、まるで精巧なオートマタのように、定められたルートを、定められた速度で、黙々と歩いている。

空には、監視ドローンが幾何学的なパターンで飛び交い、街角のスピーカーからは、市民の行動規範を読み上げる、感情のない合成音声が、途切れることなく流れている。

貧困、犯罪、そして、無駄。その全てが、この街から完全に「デバッグ」されていた。

だが、同時に、生命活動の根源であるはずの「混沌」もまた、完全に死滅していた。


ここは、私の理想とした世界の成れの果て。

私は、夜陰に乗じて、かつて私のラボであった屋敷へと向かった。

潜入は、あまりにも容易かった。警備システムは、私が数年前に設計したもののままだった。

屋敷の内部は、あの日、私が出て行った時のままだった。塵一つない廊下、完璧に磨き上げられた調度品。そして、そこに仕える者たち。

年老いた執事も、若いメイドたちも、私兵だった男たちも、まるで時が止まったかのように、変わらぬ姿で、そこにいた。

私は一直線に、屋敷の最奥にある父の書斎へと向かった。

そこに、全ての答えがあるはずだ。

重い扉を開ける。


そこには、見知らぬ男がいた。

歳の頃は、私と同じくらいだろうか。上質な、しかし、装飾のない黒い衣服に身を包み、銀縁の眼鏡の奥で、静かな、しかし、底の知れない光を宿した瞳が、私を捉えた。彼は、巨大な書斎の中心で、一人、チェス盤に向かっていた。まるで、私がここに来ることを、何年も前から知っていたかのように。


「…ようやくお帰りかね」


その、あまりにも穏やかな声。


「君は誰だ。なぜ、私の父の椅子に座っている?」


私は、懐に忍ばせた毒針に、いつでも指をかけられる体勢で、問いかけた。

男は、私に視線を向けぬまま、黒いナイトの駒を、一つ進めた。


「父上は、もういない。私が、この盤上から『除去』した。実に、非効率的な駒だったからね」


「…君が、キメラ兵器を?」


「美しい芸術品だろう?生命という最も美しい数式を、より高次元のステージへと導くための、ささやかな手助けさ。君も科学者なら、そのエレガントさが分かるはずだ」


彼の指す言葉、その論理構造は、あまりにも私に似すぎていた。


「問答は無用だ。君という存在は私の計算を狂わせる許容できないバグだ。今すぐ、ここから排除する」


私が一歩踏み出した、その時。男は、初めて、顔を上げた。


「チェックメイトだよ、エラーラ。君は、この屋敷に入った瞬間から、完全に詰んでいる。君のその行動パターン、思考の癖、そして、その、君自身も気づいていない心の揺らぎさえも、私は、全て、読み切っている」


彼の言葉には、絶対的な確信があった。


私は、彼の言葉を無視し、書斎の壁に隠された秘密の通路のスイッチを押した。父の、そして、私の、本当のラボへと続く道だ。

だが、男は、慌てるでもなく、私の後を、静かについてきた。

地下のラボは様変わりしていた。そこは、もはや生物学の研究所ではなかった。巨大なサーバー群が青白い光を放ち、壁一面のスクリーンには、膨大なデータが、滝のように流れ落ちている。

そして、そのデータは、全て、私に関するものだった。


「…どうやって…!」


「言っただろう。私は、君の全てを知っている、と。君がこの世界で観測してきた全ての事象は、同時に、私によっても観測されていたのだよ」


彼は、スクリーンの一つを指さした。そこには、キメラ兵器の設計図が映し出されていた。


「君の言う通り、この兵器には、まだ欠陥がある。だが、その欠陥を補って余りある、素晴らしい『機能』がある。それは、被験者の遺伝子情報だけでなく、その記憶や感情さえも、データとして収集する機能だ」


彼は、私に向き直った。その瞳は、もはや、穏やかではなかった。狂信的な科学者の、爛々とした光が宿っていた。


「私は、この戦争を通して、人類という種の、全てのデータを集めている。そして、そのデータを元に、新たな人類を創造する。感情というバグに左右されず、病に苦しむことも、老いることもない、完璧な生命体。それこそが、父が、そして、かつての君が目指した、理想の世界の姿だろう?」


私は、彼の狂気に満ちた理想論に、吐き気を催した。


「君は、父と同じだ。いや、それ以上、かもしれない。」


私は、忍ばせていたナイフを、彼の喉元に突きつけた。


「最後に問う。君は一体、何者だ」


その時だった。

男の、その完璧なポーカーフェイスが、初めて、崩れた。


彼の瞳が、まるで、迷子になった子供のように、深く、そして、悲しげに、揺らいだ。


「…分からないのかい」


彼の声が、震える。


「僕だよ。僕だ。君の、ただの『検体』だった、君の…」


彼は、眼鏡を外し、その素顔を、私に晒した。

その顔には、見覚えがあった。

幼い頃、私が「治療」という名の、最初の実験を施した、あの病弱な少年の面影が、確かに、そこにあった。

だが、その左目だけが、人間のものではなかった。それは、青白い光を放つ、複雑な幾何学模様が刻まれた、機械の目だった。


「僕の名前は、エミール・ヴェリタス。君の弟だよ。君が治し、そして、捨てていった、哀れなモルモットの、成れの果てさ」


その言葉は、雷鳴のように、私の思考回路を、完全に、破壊した。

弟。死んだはずの。私が、救ったはずの。

彼が生きていた?そして、私の前に、敵として、立っている?

ありえない。私の計算では、私の記憶というデータバンクでは、その事象が発生する確率は、限りなくゼロだったはずだ。


「君が去った後、父さんは狂ったよ。君が僕に施した『治療』を、再現するために、僕の身体を、何度も、何度も、作り変えた。失敗作のキメラを合成され、記憶を書き換えられ、僕は、何度も、死んだ。だが、その度に、君が僕の遺伝子に埋め込んだ、あの薬…あれが、僕を、守ってくれた。僕を、より強く、より、君に似た存在へと、作り変えてくれたんだ」


彼は、泣いていた。笑っていた。

その表情は、もはや、論理では、解析不能だった。


「僕は、ずっと君を探していたんだよ、姉さん。そして、君に、聞きたかった。あの日、君が僕を治した時、君の心には何があったのかを。僕を、ただの検体として見ていたのか。それとも、そこに、ほんの少しでも、『弟』を想う、非合理的な感情は、存在したのか…と」


私の、完璧なはずの世界が、音を立てて、崩れていく。

私が捨てたはずの過去が、今、巨大な怪物となって、私の目の前に、立ちはだかっていた。


その頃、世界の果て、「白樹の郷」では、ケンジが、言いようのない胸騒ぎを感じていた。


「…おかしい」


ケンジは、エラーラが残していった気象観測装置が、奇妙なノイズを発していることに気づいた。それは、ただの電波障害ではない。遠い、遠い場所から送られてくる、断片的な、魂の悲鳴のようなデータだった。


「エラーラ君の、生体信号…?それに、このデータ配列…ヴェリタス家の紋章…『弟』…『検体』…!?」


「ケンジ、どうした」


アリアが、道場での子供たちとの稽古を終え、汗を拭いながらやってくる。

ケンジは、血の気の引いた顔で、アリアに告げた。


「分からない…。だが、嫌な予感がする。エラーラ君は、僕たちが想像していたよりも、ずっと深い闇に、一人で立ち向かっているのかもしれない」


アリアは、何も言わなかった。ただ、道場の壁に立てかけてあった、一振りの、実戦用の鋼の剣を手に取った。


「行くぞ、ケンジ。あの、非合理的な天才を、一人で死なせるわけにはいかない」


彼らは、最も速い飛竜艇を借り受け、エラーラの最後の信号が途絶えた座標――クライン王国へと、飛び立った。


私の監禁されていた部屋の扉が、音もなく開かれた。エミールが、夕食の乗ったトレイを手に、静かに入ってくる。


「姉さん。食事の時間だよ。君の健康状態を維持できる、完璧な栄養バランスだ。」


その、あまりにも穏やかな声。だが、その瞬間、部屋の照明が、不規則に明滅を始めた。壁のスクリーンに、私が過去に記した研究ノートが、凄まじい速度で表示されては、消えていく。だが、その文章は、書き換えられていた。


『仮説:感情は、生存戦略における致命的なバグである』


その一文が、赤い文字で、こう修正される。


『証明:エラーラ・ヴェリタスの非合理的な行動は、被験体レオ及びクララの機能停止を招いた。よって、感情はバグではなく、エラーラ・ヴェリタスという論理体系そのものが、欠陥品である』


「やめろ…」


「なぜだい?これは、君の論理に基づいた、客観的な事実の提示だよ」


スピーカーから、私の声が聞こえてくる。それは、私がシルヴァングレイドで、メルカンティルムで、発した言葉の断片。だが、巧妙に編集され、まるで私が、自らの論理の矛盾を、自ら嘲笑っているかのように聞こえた。彼は、私を物理的に攻撃するのではない。私の魂そのものである、「論理」を、内側から汚染し、破壊しようとしていた。


「君は、生命をただの数式だと思っている。実に、正しい。だが、姉さん。君は、その数式を、書き換える勇気がない」


エミールは、近くのテーブルに置かれていた、実験用の白鼠を、その手で掴んだ。


「例えば、こうやってね」


彼が、その白鼠に、そっと指で触れた瞬間。白鼠の身体が、粘土のように、変質を始めた。背中から、水晶のように美しい、蝶の羽が、血を流すこともなく、滑らかに生えてくる。そして、その小さな口が開き、エミールと全く同じ、穏やかな声で、歌い始めたのだ。


「…キメラ…!」


「古い言葉だね。僕は、これを『再定義』と呼んでいる。生命というプログラムの、バージョンアップさ」


彼は、自らの左腕の袖を、ゆっくりとまくり上げた。その皮膚の下で、無数の、青白い光の線が、まるで集積回路のように、明滅している。


「僕の身体は、君が治してくれたあの時からずっと進化を続けている。僕は、もはや、単一個体ではない。僕は、この研究所のシステムそのものであり、僕が作り出したキメラたちのネットワークそのものなのだよ」


彼は、兵器を使っているのではない。彼自身が、兵器なのだ。


私は、彼の狂気を前に、脱出を決意した。部屋を飛び出し、屋敷の通路を駆け抜け、屋敷の地下にある、古い緊急脱出口へと向かった。そこだけが、彼の知らない、私だけの秘密のはずだ。

だが、その扉の前で、私を待っていたのは、希望ではなかった。

かつて、私に忠誠を誓っていたはずの、メイドや執事たちが、その瞳に、感情のない赤い光を宿し、武器を手に、私の前に立ちはだかっていた。彼らもまた、エミールという巨大なネットワークに接続された、ただの人形と化していたのだ。


私は、辛うじて屋敷を脱出した。だが、私に安息の地はなかった。

私は、騎士時代の古い通信機を使い、最後の、そして、唯一信頼できる可能性のある者たちへ、救難信号を送った。


『プロトコル・ゼロ。ヴェリタスの遺産による脅威を確認。旧王都跡地にて、援護を要請する』


それは、かつて私が率いた、王国最強の特殊部隊「白衣の死神」の、元隊員たちだけが知る、緊急招集コードだった。


旧王都の、崩れかけた古城。そこに、私の呼びかけに応え、かつての仲間たちが集結した。


「…お久しぶりです、隊長」


かつての副官、老獪な戦術家であるギデオン。


「あなた様のためなら、この命、いつでも!」


私を女神と崇める、若き偵察兵、ライラ。

彼らを含む、10名の精鋭。それが、私の最後の戦力だった。


だが、エミールの最初の攻撃は、我々の想像を、遥かに超えていた。

彼が放ったのは、兵士ではない。一体の、蝉に似た、キメラだった。それは、大聖堂の上空で、その身を破裂させた。音は、なかった。ただ、人間には聞こえない、超高周波の音波だけが、放射状に広がった。

次の瞬間、我々の部隊の、後衛にいた三名の兵士が、何の兆候もなく、その場に崩れ落ちた。


「どうした!?」


ギデオンが叫ぶ。だが、彼らに外傷は一切ない。

私は、戦慄した。超高周波が、彼らの頭蓋骨を共振させ、その脳を、内側から、沸騰させたのだ。彼らは、苦しむ暇さえなく、思考そのものを、焼き尽くされて死んだ。


「全隊、散開!奴は、我々の常識が通用する相手ではない!」


ギデオンの指示で、我々は、遺跡の瓦礫の中に身を隠した。

ライラが、その俊敏さを活かし、敵の本体であるエミールの位置を探るため、塔の残骸を駆け上がった。

その時、彼女の周囲の空間が、陽炎のように歪んだ。


「ライラ!」


彼女の悲鳴。彼女が立っていた場所を中心に、直径10メートルほどの、不可視のフィールドが発生していた。その中で、物理法則が、狂い始めていた。ライラが投げたナイフは、途中で液体のように溶け落ち、彼女が着ていた革の鎧は、石のように硬化し、その動きを封じていく。


「…助けて…隊長…」


彼女は、そのフィールドの中で、一瞬で、数千年の時を経験した。その若々しい肉体は、老婆のように萎び、骨になり、やがて、風に吹かれた砂のように、塵となって、崩れ落ちていった。


「…ここまでか…」


ギデオンが、絶望に膝をつく。

だが、私は、諦めてはいなかった。

私は、大聖堂の地下にある、古い霊廟へと走った。そこは、かつて、王家の宝物庫として使われていた場所。

私は、そこに、封印していたのだ。


私が、騎士として、「白衣の死神」と呼ばれていた頃に使っていた、一振りの剣を。

その名は、「スカルペルソード(手術用大剣)」。

魔法の力など、何一つ宿っていない。ただ、人体という名の機械を、最も効率的に破壊デバッグするためだけに、私の理論に基づき、完璧に設計・鍛造された、究極の凶器。


私は、その冷たい柄を、数年ぶりに、握りしめた。

そして、私は、再び、戦場へと戻った。

私の動きは、もはや人間のものではなかった。エミールが放った、狼と蛇の合成キメラの群れ。私は、その一体一体の、筋肉の収縮、骨格の可動域、神経の走行ルートを、瞬時にスキャンする。そして、メスが、閃く。腱を断ち、関節を外し、神経節を突く。誰一人として殺しはしない。ただ、その戦闘能力という「機能」を、完璧に、奪い去っていくだけ。


「隊長!奴の狙いは、我々の分断です!」


ギデオンが、戦場で、再び、その天才的な戦術眼を取り戻していた。


「奴は、一体一体のキメラを、個別のユニットとしてではなく、一つの巨大な情報ネットワークとして運用している!ならば、その中枢を叩く!」


ギデオンの指示の下、我々は、単なる個の力ではなく、一つの部隊として、機能し始めた。陽動、包囲、一点集中。エミールの完璧なネットワークに対し、我々は、長年の経験と信頼関係で培われた、人間的な「連携」という、非合理的な力で、対抗していた。しかし、徐々に追い詰められ、ついに、古城の胸壁にまで追い詰められた。


「隊長、お下がりください!」


エミール本人が、ついに、その姿を現した。

彼の左腕は、無数の刃を持つ、おぞましいキメラの腕へと変貌していた。

その刃が、私を捉えようとした、その瞬間。ギデオンが、その老いた身体を盾に、私の前に立ちはだかった。


刃は、彼の胸を、深く切り裂いた。


「…ぐっ…!」


「ギデオン!」


「…隊長…。あんたは最後の希望だ…。あんたの論理、間違ってなんかいなかった…。ただ、少しだけ…不器用だった、だけだ……逃げろ!」


彼は、そう言って、笑った。

その、あまりにも人間的な自己犠牲。その、あまりにも非合理的な信頼。

その瞬間、私の完璧なはずの論理体系に、最大の亀裂が入った。

私は、負けた。

私は、ここで死ぬのだ。

私の論理では、弟の狂気には、届かない。

絶望が、私の心を、完全に、覆い尽くした。



その時だった。

私の背後から、一隻の、ボロボロの飛竜艇が、迫り上がって、戦場に、姿を現したのだ。

ハッチが開き、二つの影が、そこから、飛び降りてきた。


「助けに、来たぞ。」


鋼の剣を構えた、アリア。そしてケンジ。

彼らは、私の絶望の淵に舞い降りた、最後の、そして、最強の、非合理的な変数だった。

私の瞳から、あの、ハグルマ・シティのラーメン屋以来の、熱い液体が溢れ出した。

だが、それは、もはや、解析不能なバグではなかった。

私はその感情の、本当の名前を知っていた。


「なんと非合理的な!自殺行為だ!」


私は叫んだ。


飛竜艇に乗り込み、座席に座った。

方舟の周囲には、蝙蝠と戦闘機が融合したような、無数の飛行型キメラが、鉄壁の防空網を形成していた。


エミールの計画は、最終段階へと移行していた。

クライン王国の首都そのものが、地響きと共に、変貌を始めた。

灰色の建造物群が、まるで巨大な生き物のように再構築され、天を突く、巨大な方舟へと姿を変えたのだ。それは、生命と機械が冒涜的に融合した、巨大なバベルの塔。その頂点には、キメラ・ウイルスを惑星全土に散布するための、巨大な砲塔「神の吐息」が、空を睨んでいた。


「行くぞ!」


アリアの叫び。我々の、最後の戦いが始まった。


「アリア!左舷、敵機多数!回避!」


「分かっている!」


アリアの操縦は、神業だった。

彼女は、騎士としての戦闘直感を、飛竜艇の操縦に完璧に応用し、死の弾幕の中を、まるで舞うように、すり抜けていく。


「ケンジ!奴らの弱点はどこだ!」


「 生物学的には、翼と胴体の付け根だ!だが、装甲が厚い…!」


「ならば、戦術的には、奴らの思考ルーチンを突く!」


私は、通信機を奪い取ると、叫んだ。


「奴らの動きは、最適化されすぎている!つまり、予測可能だ!ケンジ君、君の非合理的なまでの優しさが、最大の武器になる!」


「どういうことだ!?」


「傷ついた仲間を、見捨てられないふりをしろ!」


ケンジは一瞬戸惑ったが、すぐに私の意図を理解した。アリアは、わざと被弾したように見せかけ、飛竜艇の動きを鈍らせる。キメラの群れは、その「弱った獲物」というデータに、完璧に反応し、その陣形を崩して、一点に殺到した。 「そこだ!」 アリアは、機体を急反転させ、密集したキメラの群れの、ど真ん中を、魔導砲で撃ち抜いた。連鎖的な爆発が、空に、巨大な穴を穿つ。

我々は、その穴を通り抜け、方舟の、私が知る唯一の弱点――古い時代の、排熱口へと、突入した。


排熱口の先は、キメラの生産工場だった。そこは、悪夢の光景が広がっていた。巨大な培養槽の中では、人間とも獣ともつかぬ「何か」が、緑色の液体の中で蠢いている。ベルトコンベアの上を、まだ生々しい肉片が流れ、機械のアームが、それを無機質に、正確に、キメラの素体へと組み上げていく。


「…ひどい…」


ケンジが絶句する。 その、我々の感傷を打ち破るように、完成したばかりの警備用キメラ――蠍の尾を持つ、巨大な狼の群れ――が、襲いかかってきた。


「奴らの神経系を狙え!」


私は、即座に指示を飛ばした。 アリアの剣が、鋼鉄の嵐となって、キメラの装甲を切り裂く。

ケンジは、獣医師として、その特殊な生態を一瞬で見抜いた。彼は、近くにあった配管を破壊し、高圧の蒸気を噴出させた。その轟音が、キメラたちの聴覚を麻痺させ、その動きを、一瞬だけ、鈍らせる。


「アリア!中央の培養液供給パイプだ!あれを破壊すればこいつらの生産を止められる!」


ケンジの分析は的確だった。だが、そのパイプは、無数の警備アームによって守られている。


「私が行く」


私は、アリアの剣を一本借り受けると、アームの群れへと、飛び込んだ。


「エラーラ!」


私の動きは、戦闘ではない。ただの、解体作業だ。アームの関節、動力ケーブル、制御基盤。私は、その全ての構造的弱点を完璧に見抜いていた。私の剣は、舞うように、しかし、外科手術のように正確に、工場そのものを「解体」していく。

やがて、生産ラインは完全に沈黙した。だが、我々の前には、さらに巨大な絶望が、立ちはだかっていた。


中央制御室へと続く、最後のゲート。それを守っていたのは、一体の、あまりにも巨大なキメラだった。 それは、特定の生物を模したものではない。この研究所で、失敗作として廃棄された、何百、何千という生命の、苦悶と絶望が、一つの肉塊となって、融合した存在だった。人間の腕、獣の脚、鳥の翼、魚の鱗。その全てが、脈打つ一つの巨大な肉の山から、無秩序に生えている。


『…ころ…して…』


その肉塊から、無数の、声にならない声が聞こえてくる。


「…こいつは…」


アリアが、剣を構えたまま絶句する。

ケンジもまた、その悲劇的な存在に言葉を失っていた。 だが、その肉塊は、エミールの命令に従い、巨大な触手を、我々めがけて振り下ろしてきた。


「アリア!物理攻撃は無意味だ!こいつに弱点はない!」


私は叫んだ。


「こいつは純粋な魔力の塊だ!ケンジ君!君の、あの非合理的なまでの生命エネルギー!それを直接こいつにぶつけるんだ!」


ケンジは獣医師として、ただ、命を救うことしかできない。だが、彼のその純粋な「生」への渇望は、この世界で、最も強力な正のエネルギーでもあった。


「やってみる!」


ケンジが、両手を肉塊にかざす。

肉塊の動きが、一瞬だけ、止まった。その苦悶の表情が、僅かに、安らぎの色を浮かべる。 だが、エミールの支配は、それよりも強かった。


「アリア!奴の力の源は床に繋がるあの魔力供給ケーブルだ!あれを断ち切れ!」


アリアは、ケンジが作ったほんの一瞬の隙を突き、床を滑るように駆け抜けた。そして、その剣を、大地に突き刺さる巨大なケーブルめがけて、渾身の力で振り下ろした。 ケーブルは切断され、肉塊は、その巨体を維持できなくなり、光の粒子となって崩壊していった。


『…ありがとう…』


最後に、そんな声が聞こえた気がした。


我々は、ついに、方舟の中枢、エミールのいる純白の制御室へとたどり着いた。 だが、彼は、物理的にはそこにはいなかった。彼の肉体は、玉座のような制御装置と融合し、その意識は、この方舟のシステムそのものと化していた。


『…来たね、姉さん。そして、その、非合理的な仲間たち』


彼の声が、我々の脳内に直接響き渡る。 次の瞬間、我々の意識は、それぞれの魂の牢獄へと引きずり込まれた。


アリアは、帝国軍の殲滅魔法によって焼き尽くされる、故郷の街にいた。何度叫んでも、母を救うことはできない。同じ絶望が、永遠に繰り返される。


ケンジは、リリアンヌの、あの産婦人科病棟にいた。彼の目の前で、赤子たちが、次々と殺されていく。彼は、知識を持ちながら、何もできない。その無力感が、彼の魂を蝕んでいく。


そして、私は。 私は、完璧に静かで、完璧に合理的な、白く無限に続く空間にいた。そこには、誰もいない。何のバグも、エラーも、存在しない。私の理想の世界。だが、その完璧な孤独は、私の心を、ゆっくりと、確実に、殺していった。


「…ここまで、か…」


私が、絶望に膝をついた、その時。 私の、白い世界の壁が、砕け散った。 そこに立っていたのは、アリアと、ケンジだった。


「馬鹿を言え。私たちは、お前を助けに来た。お前が一人ではないと、教えるために!」


アリアが、私の手を掴む。


「エラーラ君!命は数式だけじゃ割り切れないんだ!君のその痛みも、僕たちが、背負ってやる!」


ケンジが、私の背中を支える。


彼らの、非合理的なまでの温かさは、エミールの論理体系が、理解できない、最強のバグだった。 我々の魂は、再び、一つになった。

精神世界から帰還した我々を前に、エミールは最後の手段に出た。方舟そのものが、巨大な人型のキメラへと変形を始めたのだ。


「もう、誰も、僕の邪魔はさせない…!」


だが、その時、私は、彼のシステムの最後の脆弱性を見つけ出していた。


「ケンジ君!私が調合したこの神経安定剤を!アリア!私が、奴の注意を引きつけている間に、それを、奴の心臓部…あの玉座に直接、打ち込むんだ!」


それは、あまりにも無謀な作戦だった。 だが、彼らは、私の言葉を、寸分の疑いもなく、信じた。 私は、自らの身体を盾に、巨大なキメラの前に立ちはだかった。


「来たまえ、エミール!君のその数式の、最後の答えを、この私自身が、検算してやろう!」


私の挑発。巨大なキメラの拳が、私めがけて振り下ろされる。 その背後から、アリアが、ケンジを抱え、空を舞う。 そして、ケンジが、その手に持った巨大な注射器を、エミールの、かつては人間だったはずのその胸に、突き立てた。 薬が注入される。 エミールの動きが止まった。 暴走していたシステムが急速に鎮静化していく。 私は、崩れ落ちていく方舟の玉座へと駆け寄った。 そこにいたのは、もはや狂気の科学者ではない。ただ、苦しみから解放され、安らかな寝息を立てている、私の、たった一人の、弟の姿だった。

世界は、救われた。

方舟は、自爆することなく、その機能を完全に停止した。



数日後、クライン王国の王宮。

国王は、私の前に深々と頭を下げた。


「エラーラ・ヴェリタス卿。君は、この国を、いや、世界を救った。追放の命は、撤回する。どうか、この国に残り、その偉大なる知性で、我々を導いてはくれまいか」


それは、私がかつて、心のどこかで望んでいた言葉だったのかもしれない。 だが、私は静かに首を振った。 そして、私の背後で、退屈そうに腕を組んでいる、アリアと、心配そうに私を見守る、ケンジの顔を見た。


「結構です、陛下。私の観測によれば、完璧なシステムとは、最も退屈で、最も生命からかけ離れたものだ。私は…」


私は、不器用に、しかし、心の底から、笑った。


「…もっと、非合理的で、予測不能で、面倒くさいバグに満ちた場所の方が、性に合っているらしい」


私は、国王の引き留める声も聞かず、玉座に背を向けた。

そして、ケンジとアリアの隣に立った。 彼らは何も言わなかった。ただ、それが当然であるかのように、私のために、場所を空けてくれた。


私は、私たちは、歩き出した。


私の長かった、孤独な実験は、終わった。

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