第三十八章 問いに備える
四月から五月。
篠原は最終接触に備えて、送信機の再整備を始めた。第二ノードの返答データから抽出した全プロトコル情報を元に、より精度の高い通信が可能な装置を組み上げた。
だが、技術的な準備よりも難しかったのは、**人間の側の準備**だった。
「向こうが問いかけてくる。何を聞かれるかわからん。そして、答え次第で情報が渡される。その情報が何かもわからん」
篠原が全拠点に向けて報告した時、反応は割れた。
藤堂が言った。
「情報は受け取るべきたい。どんな情報であれ、持っとった方が有利。拒否する理由がない」
永田が反論した。
「情報の内容がわからんのに、受け取ると決めるのは早計やろう。条件を確認してからでよか」
黒木が言った。
「そもそも、向こうの問いに対して、**誰が答えるんですか**。千七百人全員の総意を伝えるんですか。それとも、代表者が答えるんですか」
沈黙が落ちた。
それは、誰も考えていなかった問題だった。
最初のノードには美咲が「なぜ」と叫んだ。第二ノードには美咲が記憶を差し出した。だが、あれは緊急事態の中での個人の行動だった。今度は、事前に準備する時間がある。ならば、**千七百人の人類を代表して答える人間を、どう決める?**
藤堂は「指揮官が答えるべきだ」と主張した。
永田は「合議で答えの内容を決めるべきだ」と主張した。
黒木は「そもそも答える必要があるのか」と問いかけた。
篠原は「科学的に最適な回答を準備すべきだ」と言った。
中村は何も言わなかった。会議の間、ずっと黙っていた。
美咲は中村を見た。一年半前なら、真っ先に「俺が行く」と言ったはずの男。
会議後、美咲は中村のところに行った。
「中村さん。何も言わんかったですね」
中村は窓の外を見ていた。校庭の桜は散り始めていた。
「……俺はもう、先頭に立つべき人間やなかかもしれん」
美咲は驚かなかった。ずっと感じていたことだった。
「なんでそう思うとですか」
「この一年で、俺は人を疑うようになった。黒木を疑い、小野を疑い、藤堂を疑った。前の俺なら、まず信じて、それから考えた。今は、まず疑って、それから確認する。それは正しいことかもしれん。だが――」
中村は自分の手を見た。鉈を握っていた手。人を守るために振るった手。
「先頭に立つ人間は、信じる力が要る。俺にはもう、それが足りん」
美咲は中村の隣に座った。
「中村さん。あの日、地下街で言ったこと覚えとう? 走れ。止まるな。振り返るな。生きろ」
「覚えとう」
「あの言葉で、私は走れた。お母さんを失った後で、それでも走れたのは、中村さんが『生きろ』って言ったけんです」
美咲は中村の目を見た。
「中村さんは変わりました。慎重になった。疑うようになった。でもそれは、**壊れた**んやなくて、**傷ついた**んです。一年半、全員を守り続けて、判断し続けて、失い続けて。鶴田さんの前で鉈を振れんかった時から、ずっと傷ついとった」
中村は何も言わなかった。
「先頭に立たんでもよかです。でも、**後ろにおってください**。私が走る時に、後ろから見とってください。転んだ時に、支えてください。あの日、朝礼台から降りた時みたいに」
中村は長い間黙っていた。そして、小さく頷いた。
「……わかった。後ろにおる」




